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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(35)

2015-09-05 | 〆リベラリストとの対話

∞:総括的対論(上)

コミュニスト:本対論もいよいよ終盤に達しましたが、最後にまとめの意味で、総論的な問題について対論してみたいと思います。

リベラリスト:そうですね。今日は中でもかなりメタ・レベルの問題になりますが、あなたの共産論に関する全体的な感想として、意識とか意志のような精神的な要素を重視する唯心論的な傾向を感じます。これは、唯物論のチャンピオンであったマルクス主義とはやや異なる一面のように思え、私も一定共感できなくはない部分なのです。

コミュニスト:いわゆるマルクス主義と直接に比較すれば、たしかに精神的な要素により着目はしています。ですが、唯心論かと言われると、答えはノーということになります。これは『共産論』よりも『世界歴史鳥瞰』序論のほうで「物心複合史観」としてまとめたことなのですが、私見は物質的な要素と精神的な要素の両方を複合的にとらえる総合的な視座に基づいております。

リベラリスト:言ってみれば、折衷説のようなものですが、二つの対立物を折衷する場合、どちらを基盤と考えるかという問題が生じます。あなたの場合は、物質的な要素と精神的な要素といずれを基盤と考えるのでしょうか。

コミュニスト:「折衷説」という理解のされ方は本意ではありません。物心複合論は物と心とを単純につなぎ合わせようというのではなく、そもそも人間存在自体、物質的なものと精神的なものが弁証法的な関係でもって複合された「物心複合体:material-spiritual complex」であるという人間観に基づいているのです。

リベラリスト:たしかに、人間は大半を水分が占める肉体という物質的な要素と脳というそれ自体も物質的な基礎を伴う精神という要素から成っていますから、まさしくおっしゃるような「物心複合体」ですが、人間の場合は、他の動物に比べても精神的要素の比重が高いと思われます。

コミュニスト:精神の発達度にかけて、人間は最も高度な生物であるという限りではそのとおりです。ただ、精神も物質的な基礎なくしては存立し得ない一方で、物質は精神によって作り変えることもできるという意味では、両者の関係は複合的であり、単純な上下/優劣関係にはありません。

リベラリスト:そうですか。しかし、あなたも言われるように歴史=文明の履歴と考えれば、歴史とはある意味で人間の精神史なのです。歴史を物質史に作り変えようとした―そうした改変もまた精神の作用ですが―マルクス主義の誤りは明らかと思われます。

コミュニスト:マルクス主義を自称した後世の論者はともかく、マルクス自身は歴史=物質史というような単純な史観に立っておらず、むしろ生産様式の歴史という経済史を開拓したのですが、時代ごとの生産様式は地球環境や地域の地理的条件といった物質的な条件と生産方法に関する人間の発明という精神的な要素の絡み合いによって決定されますから、経済史はまさに物心複合史観によって初めて正確に俯瞰できるのです。

リベラリスト:その点、あなたの予言によれば、これから始まるであろう人類後半史は富の追求を第一義とするような「所有の歴史」から、よりよく在ること(better-being)・充足が目的となるような「存在の歴史」に変わるであろうというのですが、この点には異論があります。

コミュニスト:つまり「所有の歴史」は今後とも変わらないであろうということですか。

リベラリスト:ええ。これはもはや哲学だけでは解けない問題で、人類学に引き寄せなければならないと思いますが、しばしば強欲と自己批判されるような富の蓄積を追求しようとする人間精神は今後も不変であり、その意味で人類史には前半史も後半史もないというのが私見になります。

コミュニスト:それは大変に悲観的ですが、そもそもリベラリズムという思想はそうした悲観論のうえに立って、経済的な自由―それは資本主義として到達点に達しました―を保持しつつ、それによって生じる不平等・貧困といった弊害は福祉政策で補填するほかはないというペシミズムにほかなりませんから、特に驚くには当たりませんが。

リベラリスト:それだけではなく、伝統的な共産主義者がしばしば軽視してきた言論の自由をはじめとする精神的な自由の擁護もリベラリズムの重要な柱であることは忘れないでください。

コミュニスト:リベラリズムが精神的自由をことさらに強調してみせるのは、一方で人間の強欲さを経済的自由の名の下に擁護しようとすることを隠すイチジクの葉ではないかと思うのですが。

リベラリスト:経済的自由を偏重するいわゆるネオ・リベラリズムと、精神的自由を擁護する本来のリベラリズムとは明確に区別してください。ともあれ、開き直った言い方をするなら、あなたが提唱するような貨幣経済を廃した共産主義が現実に成り立つかどうかは、果たして人類が本性とも言える強欲さを放棄できるかどうかという人類学的問いにかかってきますので、次回はこの問題を取り上げましょう。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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