ザ・コミュニスト

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マルクス/レーニン小伝(連載第62回)

2013-03-08 | 〆マルクス/レーニン小伝

第2部 ウラジーミル・レーニン

第5章 死と神格化

ロシアの労働者と農民がヴェ・イ・レーニン率いる共産党の指導の下に成し遂げた10月社会主義大革命は、資本家と地主の権力を打倒し、抑圧の鉄鎖を打ち砕き、プロレタリアートの独裁を確立し、新しい型の国家にして革命の成果の防衛及び社会主義と共産主義の建設の基本的な手段であるソヴィエト国家を作り出した。資本主義から社会主義への人類の世界史的転換が始まった。
―ソヴィエト社会主義共和国連邦憲法前文第一段


(1)レーニン死去

早かった死期
 
レーニンは大規模な内戦・干渉戦がようやく終息に向かった1920年に50歳を迎えた。まだ老いる年齢ではなかったが、体制の基盤が固まるのに反比例してレーニンの健康は衰えていく。
 彼は22年4月、18年の暗殺未遂事件の際の銃撃で肩に打ち込まれた銃弾の摘出手術を受けたが、その直後の5月と12月に二度にわたって脳梗塞と見られる発作を起こした。
 その年末にはかの「グルジア問題」をめぐってグルジア人のスターリンと対立し、「レーニンの遺言」として知られる最後の論説の中で、スターリンの性格を「粗暴」と評し、党書記長からの解任を検討するが、実現しなかった。
 スターリンとの対立は翌年もう一度発生する。今度は病状が悪化したレーニンを政治活動から遠ざけ、党中央で治療管理する方針を決めたスターリンがクループスカヤ夫人に対しレーニンに政治活動をさせないよう求めたことを妻への暴言と受け止めたレーニンが激怒し、スターリンに謝罪か絶交かを迫ったのだ。
 レーニンの病状を考えると、彼の態度は過剰反応とも言えるものであったが、このエピソードにはレーニン夫妻の一心同体的な絆の深さが表れている。レーニンが壮健だった頃の二人は苦難に直面すると、散歩や山歩きをして支え合うような間柄であった。そこにはマルクス夫妻とも似た関係が見られた。
 それだけにレーニンは自分を遠ざけようとするスターリンの政治的な野心を嗅ぎ取った以上に、妻に対するスターリンのぞんざいな物言いを自らに対する侮辱と受け止めたものと見られる。
 この一件の後、23年3月、レーニンは三度目の発作を起こしてついに言語機能を喪失し、事実上政治生命を絶たれた。これはレーニンの病状が一時的でも回復するようなことがあれば解任が現実のものとなったかもしれないスターリンにとっては幸いなことであった。
 翌24年1月、四度目の発作を起こして意識を失ったレーニンは、同月21日、息を引き取った。53歳での死はマルクスよりも10歳以上若かったが、その後の取り扱いはマルクスと雲泥の差があった。
 レーニンの葬儀は荘重な国葬として執り行われたうえ、党政治局の決定により遺体は永久保存措置を施され、特別に建設されたレーニン廟に納められ、今日に至るまで一般公開されている。
 旧都ペテルブルクはソ連邦解体後にほぼ旧名のサンクト・ペテルブルクに戻されるまで、レーニンにちなむレニングラードと改称されていた。彼の郷里シンビルスクもレーニンの本姓ウリヤーノフにちなむウリヤーノフスクと改称され、こちらは現在でもそのままである。

コメント

アディオス、チャベス

2013-03-08 | 時評

「21世紀の社会主義」の旗手、ベネズエラのチャベス大統領が世を去った。「21世紀の社会主義」はチャベス個人と密接に結びついていたので、彼の死と共に事実上終わるだろう。

「21世紀の社会主義」を嫌悪してきたアメリカとその同調者であるベネズエラの資本家・富裕層は安堵しているだろうが、かれらも「21世紀の社会主義」の本質を正確に洞察しているとは言えない。

「21世紀の社会主義」は結局のところ、チャベス体制とその影響を受けた二、三のラテンアメリカ諸国にしか広がらなかったので、一般化はしにくいのだが、その中身を見る限り、ソ連型国家社会主義の中途半端な復刻版であった。経済的には旧来の産業「国有化」政策を軸とするが、旧ソ連ほど「国有化」は徹底されない。

それでも、こうした復刻政策は、中国や近隣の社会主義「大国」キューバでさえ市場主義へ傾斜していく中、チャベス個人のカリスマ的性格とも相まって、世界の注目を引いてきたことはたしかである。

また、「21世紀の社会主義」は武装革命でなく、選挙を通じた「投票箱による革命」として始まった点で新たな革命の方法としても注目されたが、革命後の展開は全く民主的とは言えないものであった。

政治的な観点から見れば、「21世紀の社会主義」はラテン的反米ポプリスモの流れを汲むもので、南米伝統の強力な大統領制を利用した独裁政治の一形態であった。とりわけ大統領に立法権まで付与する「授権法」はナチス的制度の復刻でさえあった。

簡単に言えば、チャベスとは、レーニンとヒトラーを半分ずつ掛け合わせたような、混沌とした21世紀のハイブリッド型革命家であり、彼の体制はソ連体制とナチス体制を半端に掛け合わせた「国家‐民族社会主義」とでも呼ぶべき混合体制であったと言えるだろう。

かくして、マルクスがヘーゲルの言葉として引用した「すべての世界史的事実と世界史的人物は言わば二度現れる」に付け加えた有名な言葉「一度目は偉大な悲劇として、二度目は惨めな笑劇として」が想起されるのである。

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