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マルクス/レーニン小伝(連載第64回)

2013-03-23 | 〆マルクス/レーニン小伝

第2部 略

第5章 死と神格化

(2)忠実な相続人スターリン(続き)

レーニンとスターリン〈1〉
 レーニン死して、後継争いを制したスターリンの時代が到来した。世上しばしば「レーニンの正しい路線をスターリンが歪めたために、ソ連体制は最終的に失敗した」と言われてきたが、このような評価は果たしてどの程度妥当するのであろうか。
 スターリンが加えた歪みとして筆頭に挙げられるのは、生前レーニンが警戒していた党官僚制を肥大化させて党と人民大衆との著しい乖離を生じさせたことである。
 しかし、党官僚制はレーニンの持論であった中央集権的党組織論から必然的に生ずるものであって、レーニンと無縁のものではあり得ない。党中央委員会を頂点とするヒエラルキー的党組織は、党が政権を担うようになればそれ自体が国家官僚制の類似物に転化することは必定であり、10月革命後のレーニン自身もそうした党官僚の頂点に立ったわけである。
 ただ、レーニンは党官僚制に対する防波堤を労働組合に求めようとしていた。彼は労組を長期的に見て「すべての労働者に国民経済を管理すること」を教える「共産主義の学校」ととらえ、実際ネップ期には労組の自立性が相対的に保障されていたのである。
 しかし、労組にそこまでの役割を期待するのは、マルクスが労組に賃労働制廃止、つまりは革命的な役割まで期待していたことと同様、過大な要請であった。まして党官僚制がすでに強固に形成されつつある中、労組も党の支配下に置かれてしまっている状況で、労組に対抗力を期待することはほぼ不可能であったと言ってよい。スターリンはそういう現実を、自らも古参の党官僚として十分に理解していたのである。
 党官僚制の問題とともに、スターリンのレーニンに対する裏切りと非難されてきたのが、有為の人材の大量喪失を招いた「大粛清」である。
 この点、今日ではレーニン時代にも前に述べたような「赤色テロ」による大量抑圧があったことが明らかになっている。ただ、レーニンの「赤色テロ」は党外の反革命勢力に向けられたものであったのに対し、スターリンの「大粛清」はまさに粛清、つまりは党内の反対派(と彼が疑った者)に向けられた内部テロであった点に大きな違いがある。
 しかし、レーニン時代にもすでに帝政ロシア秘密警察のスパイであったことが発覚した党幹部マリノフスキーに対する粛清という一件があったし、「大粛清」で多用された秘密警察―当時は内務人民委員部(NKVD)と改称されていた―を動員した裁判なしの、または略式裁判による収容所送致や銃殺といった方法は、すでにレーニン時代の「赤色テロ」でも使われていた適正手続無視の手法をスターリンが学習し、いっそう拡大・応用したものにすぎなかった。
 それにしても、レーニン存命中にはこれほど大がかりな内部粛清はあり得なかったと言われるかもしれない。現象的に言えばそうであるが、内部粛清の理論的な淵源がレーニンの「鉄の規律」という党組織論にあることは否めない。「鉄の規律」は党内の異論派への非寛容を生み出し、粛清的雰囲気を高めるのである。
 実際、「大粛清」の序曲となった1936年‐37年のいわゆる「見世物裁判」で真っ先に標的にされたのは、10月革命蜂起に反対してレーニンが一時除名を検討したカーメネフとジノヴィエフであった。彼らは当時海外に亡命していたトロツキーと結託して反ソ活動を行ったとする虚偽の自白をさせられ、銃殺されたのであるが、彼らの粛清は20年前のレーニンの意思に基づくと見ることもできる。もっとも、レーニンは彼らの党からの抹消を望んだだけで、地上からの抹消を望んだわけではなかったのであるが。
 ちなみに、この「見世物裁判」で粛清された今一人の古参幹部は、スターリンが対トロツキー闘争の過程で一時手を組んだこともあるブハーリンであったが、彼もレーニン最晩年にレーニンから弁証法に対する無理解を指摘され、後継候補から事実上外されていた。
 こうしてみると、スターリンはレーニンからも問題視されたことのある人物たちを彼なりの仕方で最終的に“始末”したのだとさえ言えるのである。
 ただ、スターリンの「大粛清」が極端な広がりを見せたことは、彼の個人的な性格によるところも大きかったのは事実である。スターリンの性格の特異性は極端なまでの猜疑心の強さにあった。スターリンは他人の些細な態度や言動の中に不忠と裏切りの臭いを嗅ぎ取るのであった。おそらくそれは晩年のレーニンが指摘した粗暴さよりは、むしろ小心さの表れと見るべきものであろう。
 そうしたスターリンの小心さが当時ヨーロッパ方面におけるドイツ、極東における日本の脅威が高まり、第二次世界大戦の足音が迫る中、彼の猜疑心を病的なまでに増幅させていたのである。

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