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良心的裁判役拒否(連載最終回)

2012-02-03 | 〆良心的裁判役拒否

補遺2―あとがきに代えて

 まえがきでも触れたように、本連載の叙述は裁判員制度施行前に用意していた草稿に基づいています。制度施行から3年近くが経過しようとしている現在、再考しなければならない問題が生じています。
 それは本連載の主題にとってどんでん返しにようになりますが、果たして良心的拒否‐市民的不服従だけで制度を廃止に追い込めるだろうかということです。
 このように問うことにはわけがあります。すなわち、これまでの制度運用状況を見る限り、毎年相当数の人が法律上の辞退を認められているばかりか、良心的拒否者を含むと見られる不出頭者も少なくないことの結果として、呼出状を送付された裁判員候補者のうち実際に裁判員選任手続に出席しているのは実質4割弱にとどまっています。しかも、当局は不出頭者に対する過料の制裁をまだ1件も発動していないというのです。
 こうしたデータから推察すると、司法当局としても、裁判員制度をめぐっては相当数の辞退者・拒否者が出るであろうことを想定して、それらの者は深追いしないという方針を持っていると見られます。言い換えれば、積極的な協力姿勢を示す候補者だけをピックアップして翼賛的な「少数精鋭主義」で制度を運用しようとの方針です。
 この点、裁判員制度における原則6人という裁判員数は、原則12人の陪審制と比べ、こうした「少数精鋭主義」を採りやすい員数構成になっていると言えます。
 その結果として、裁判員裁判における無罪率は従来の職業裁判官裁判よりも低く、一部で期待されていた死刑判決の抑制にもつながらず、量刑水準は総体として従来並みか、一部凶悪事件では制度施行前から始まっていた厳罰化政策に沿ってかえって重罰化の傾向を示しているのです。
 要するに、裁判員制度は本文でも述べたとおり、「犯罪との戦い」という法イデオロギーに立脚した必罰‐厳罰装置としておおむね“順調に”機能し始めており、本文でも引いた法学者・小田中聡樹氏の言葉を再引用すれば「国民に刑事裁判参加を義務付け強制することを通じて権力層に抱き込み、「統治主体意識」つまりは権力的意識・処罰意識を注入し、国家的な処罰・取締体制の基盤を強固なものとしていくこと」という支配層の狙いはかなりの程度実現できていると言ってよいでしょう。
 一方で、多くの国民が依然として制度に否定的でありながら、本文で提示したような市民的不服従のうねりは見られず、当局としても、一部の拒否者は放任しておいても制度は十分に維持していけると踏んでいるようです。そうなると、制度を廃止させるための戦略も見直さざるを得ないように思われるわけです。
 とはいえ、本連載が主題としてきた良心的拒否の意義が失われたわけではありません。しかし、このように制度を言わば外側から揺さぶるだけでなく、内側からも揺さぶることが必要ではないかと考えられるのです。
 裁判員制度を内側から揺さぶるとは、良心的拒否とは反対に、制度に批判的な立場に立ちつつ、あえて裁判に参加してみること―言わば「批判的裁判参加」―を意味します。
 具体的には、あえて裁判員を引き受けつつ、評議を通じて必罰・厳罰の流れに抗することです。これは一見困難なことのように見えますが、要するに「疑わしきは被告人の利益に」(無罪の推定)及び「刑罰は必要最小限度で」(刑罰の謙抑性)という刑事司法の二大鉄則に忠実な意見を堂々と述べればよいのです。
 実際、このように基本に忠実な初心的意見を述べることこそ、言葉の真の意味で「国民の健全な社会常識」に沿った裁判行動と言えるのではないでしょうか。
 このような行動をとる裁判員が増加することで、裁判員裁判が思惑どおり粛々と遂行できないようになれば、当局としても所期の狙いを外され、制度を維持していく意義を感じなくなるでしょう。
 ただし、理論編でも見たように、裁判員制度は排除の装置を何重にも用意しています。制度に批判的な者は裁判員選任手続の段階で「不公平な裁判をするおそれがある」とみなされて排除される可能性もありますが、選任手続をどうにかパスしても、審理や評議の過程で同じように判断されれば改めて解任されるおそれがあります(裁判員法41条1項7号・43条2項・同条3項)。
 従って、批判的裁判参加を完遂するには制度の是非論には言及しないなど、言動に相当な神経を使う必要があるかもしれません。
 このように、裁判員制度に対する良心的拒否と批判的参加の二つの流れが合わさることを通じて、制度廃止への道筋が見えてくるのではないかというのが、現時点での筆者の見方ということになります。
 さて、最後に、刑事司法全般に妥当する小田中氏のもう一つの警告的至言を引いて締めくくりとします。

「もし私たちが人身の自由を蔑ろにして警察、検察、裁判所の処罰権力に人身拘束、取調、起訴、裁判についての権限拡大と濫用を許せば、人間と社会の自律性は衰退し、かえって犯罪と非行は増大し、人間崩壊、社会崩壊が進むという悪循環に陥っていくでしょう。」

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