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弁証法の再生(連載第4回)

2024-02-09 | 〆弁証法の再生

Ⅰ 問答法としての弁証法

(3)弁証法の第一次退潮期
 ソクラテスが真理に到達するための問答法として提起した弁証法は、弟子のプラトンに継受されていくが、プラトンにおいては、より緻密化され、対象を自然の本性に従って総合し、かつ解析していく「分析法」へと発展せられた。
 対象事物を微細に分割しつつ、その本性を解明しようとする分析という所為は、今日では諸科学において当然のごとくに実践されているが、プラトンにとって、こうした分析=弁証法こそが、もう一つの方法である幾何学と並び、事物の本性—イデア—に到達する思考手段であった。
 もっとも、プラトンにとってのイデアとは元来見られるものとしての幾何学的図形を観念化したものであったから、弁証法より幾何学のほうに優位性が置かれていたと考えられる。このようなプラトンの分析=弁証法は、ソクラテスの問答=弁証法に比べると、問答という対話的要素が後退し、対象の本性を解明するための学術的な方法論へと一歩踏み出していることがわかる。
 このような弁証法のアカデミズム化をさらに大きく推進したのが、プラトンの弟子アリストテレスであった。彼は分析=弁証法という師の概念を弁証法自体にも適用することによって、いくつかの推論法パターンを分類したが、そのうちの一つが蓋然的な通念に基づく弁証法的推論というものであった。
 ここでの弁証法的推論とは、社会において通念となっているために真理としての蓋然性が認められる概念に基づいた推論法ということであるが、その前提的出発概念である社会通念は必ずしも絶対的に真理性のあるものではなく、社会の多数によって共通認識とされていることで蓋然的に真理性が推定されるにすぎないから、推論法の中では第二次的な地位にとどまることとなった。
 アリストテレスの分類上、弁証法的推論法は、より不確かな前提から出発する論争的推論法よりは相対的に確実性の高い推論法ではあるのだが、彼にとっては、絶対的真理である前提から出発する論証的推論法こそが、最も確実な第一次的推論法なのであった。
 このような論証的推論法は、三段論法に象徴される「形式論理学」として定式化され、アリストテレス以降、哲学的思考法の中心に据えられ、西洋中世に至ると、大学における基礎的教養課程を成す自由七科の一つにまで定着した。
 こうして、「万学の祖」を冠されるアリストテレスにより弁証法が論証法(論理学)より劣位の第二次的な思考法に後退させられたことで、弁証法は長い閉塞の時代を迎える。これを、20世紀後半以降の現代における弁証法の退潮期と対比して、「弁証法の第一次退潮期」と呼ぶことができる。

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弁証法の再生(連載第3回)

2024-01-31 | 〆弁証法の再生

Ⅰ 問答法としての弁証法

(2)ソクラテスの問答法
 弁証法の基底は「問答法」であるが、こうした「問答法」としての弁証法を最初に確立したのは、ソクラテスであった。アリストテレスによれば弁証法の創始者とされるゼノンの弁証法はまだごく初歩的な弁論術にとどまっており、その内容も不確かな点が多いが、ソクラテスの問答法は、弁証法の歴史における実質的な元祖と言い得る特質を備えていた。
 彼の問答法をめぐっては、しばしば「ソクラテス式問答法」の名のもとに様々な議論がなされているが、彼の問答法の特徴は、相反する命題を徹底的に対質させる点にある。それは、彼の高弟プラトンが自身の著作で示した「勇気」の本質をめぐるソクラテス式問答法の実際に象徴されている。
 しかし、ソクラテス式問答法は相反する命題間で論争を戦わせて相手を論破するという現代における“ディベート”の論争ゲームとは次元の違う対論である。
 ソクラテス式問答法の実質は反証ということにあるが、ここでの反証とは、対立命題を否定する証拠を提出してその命題の正当性を崩すという消極的な証明にとどまらず、そこから容易に結論を導けない難問—アポリア—を浮上させようとするものである。
 その点で、ソクラテス式問答法の最終目標を確定的な真理の証明にあるとする解釈は妥当ではない。彼は対立命題を反証して確定済みの真理へ誘導しようとしているのではなく、別の問いを立てさせようとする。
 言い換えれば、答えを導くのではなく、問いを導き、さらにそこから、未知の真理を浮かび上がらせるのである。彼の問答法が比喩的に「産婆術」と呼ばれたのも、このようにいまだ知られていなかった新しい真理を浮上させることの手助けをする手段であったからにほかならないだろう。
 また彼の有名なモットー「無知の知」も、こうした文脈からとらえれば、単なる知的謙虚さの自覚にとどまらず、いまだ知られていない知見の謂いであったとわかる。そのような未知の真理を浮かび上がらせるためには、無知の自覚が必要であるという限りでは、「無知の知」は知的謙虚さの箴言でもあろう。
 しかし、このようなソクラテスの方法論は、政治的には危険視されかねない。それは既知の命題への批判的反証活動を活性化させるからである。彼の時代、それは政治社会の基盤であった宗教的な教条との対決が避けられなかった。ソクラテスが青年を堕落させる宗教的異端者として有罪・死刑を宣告され、毒殺刑に処せられたことには理由があったのである。
 実際のところ、ソクラテスは無神論者でも異端宗教者でもなかったが、ソクラテス式問答法が神の存在について展開されたときには、あらゆる宗教が措定する神の存在に関する絶対前提が反証に付され、揺らぐ可能性は十分にあった。当時のアテナイ当局は、そうした危険性を嗅ぎ取り、言わば予防的保安措置としてソクラテスを葬ったのであろう。
 こうして、弁証法創始者ゼノンと同様、ソクラテスも政治犯として命を絶たれることになった。彼の後も弁証法実践者は程度の差はあれ、政治的に迫害されることがしばしばあったことは決して偶然ではない。弁証法は、政治的には我が身の安泰を保証してくれない方法論である。それは、彼がまさに弁証法の主題とした「勇気」を必要とする哲学方法論なのかもしれない。

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弁証法の再生(連載第2回)

2024-01-16 | 〆弁証法の再生

Ⅰ 問答法としての弁証法

(1)ゼノンの原始弁証法
 漢字文化圏で「弁証法」(中:辩证法)が定訳となっているδιαλεκτική(ディアレクティケー/英:dialectic)は、元来は古代ギリシャ哲学に発し、かつそれが「問答」を語源とすることは哲学史上の確定事項である。このことは、古代ギリシャ哲学に限らず、東洋の儒学や仏教哲学を含め、多くの古代哲学が師弟間の問答を軸にして展開されていったことと無関係ではないだろう。
 その点、漢字文化圏にδιαλεκτικήが摂取された際に与えられた「弁証法」の訳は、「弁じて証明する」といったやや一方向的な弁論のニュアンスに傾いており、「問答」という双方向的な対話の要素が希薄である。いささか素朴に「問答法」と訳したほうがよかったのかもしれない。
 もっとも、漢字文化圏にδιαλεκτικήが摂取されたときには、近代のヘーゲルやマルクスの弁証法がすでに台頭していたために、論証手段的な「問答法」では済まされず、ヘーゲル及びマルクス弁証法におけるような実質的命題論証のニュアンスを出すために「弁証法」と訳されたのかもしれない。
 それはともかく、「弁証法」の基層に「問答」という双方向的な対話の要素が存在していることは、当連載の主題である「弁証法の再生」のために再確認しておくべき点である。現代社会が弁証法を喪失したことの要因として、双方向的な対話の欠乏あるいは困難という現代人に共通する性向があるからである。
 ところで、問答法と言えば、ソクラテス式問答法で知られるソクラテスが想起されるが、アリストテレスによれば、問答法=弁証法の創始者はエレアのゼノンであるとされる。ゼノンはソクラテスより一世代ほど年長の哲学者で、運動という概念を反駁した「ゼノンのパラドックス」の命題は、今日まで論争の的とされてきた。
 ゼノンの弁証法は、問答を通じて矛盾を暴き出し、反駁するという今日では普通に用いられている弁論術を創始したものであり、問答法=弁証法の最も基層的な、まさに出発点を示すものである。それだけに、ゼノン弁証法と近代弁証法の間には距離がある。
 むしろゼノンに関して注目されるのは、その世界観である。彼は万物の本質を相互に変化し得る温・冷・乾・湿の四要素ととらえたうえ、人間の魂もこれら四要素から均衡的に組成されると信じていた。ここには、やはり原初的ながら、近代のマルクス弁証法が到達した唯物論的思考を読み取ることができるかもしれない。
 さらに、ゼノンはマルクス同様に反体制政治運動にも身を投じ、エレアの独裁的僭主ネアルコスの打倒を図るも失敗、捕らわれて拷問の末に処刑されたと伝えられる。運動概念の不能性を論じたゼノンが政治運動で命を落とすとは皮肉に映るが、弁証法の根底には批判という営為が埋め込まれており、それは実践において積極的な政治運動を導くことにつながることがゼノンの壮絶な最期によって示されているとも言える。

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弁証法の再生(連載第1回)

2024-01-09 | 〆弁証法の再生

序説

  
 現代世界の大きな特徴として、「哲学の貧困」ということが挙げられる。20世紀までは各々の時代を代表するような指導的な哲学者が存在し、良くも悪くも人々に知的な刺激を与えていたものだが、今や、哲学者という職業カテゴリー自体が絶滅しつつあるように見える。
 代わって、実用的な“ハウツー”思考を売り物にする文化人や経営者といった人々が、かつての哲学者の代用を果たしているようである。もっとも、世界の総合大学には哲学部/哲学科がなお存在しているが、そこに所属する人々の多くは主として過去の哲学文献を学術的に研究する学者—哲学研究者—であって、自称はともかく、他称としてはもはや「哲学者」とは呼び難い人々である。
 とはいえ、現代世界も哲学を完全に失ったというわけではない。むしろ、現代世界では、三つの主要な哲学が隆盛しているとも言える。すなわち、現実主義・実証主義・功利主義である。これら各々が、(古典派)経済学・自然科学・倫理学(政治学)という主要な学術と結ばれて、知の世界を支配している。
 哲学的な順番としては、最も基礎部分の根本哲学(倫理学)として功利主義があり、その上に思考手段としての実証主義があり、さらに表層部分を世界観としての現実主義が覆うというような関係構造になるであろう。
 いずれにせよ、現代人は程度の差はあれ、また意識的か無意識的かの差はあれ、これら三つの哲学によってその思考を支配されている。実はこれら三つの哲学はそれ自体哲学でありながらも、脱哲学的な思考に人を導いていくため、現代人の思考から哲学が消滅しようとしているとも言える。
 一方、上記三哲学に最も欠けているのは、弁証法的思考である。弁証法は古代ギリシャ哲学に端を発しつつ、西洋哲学の中で様々に加工・熟成され、最終的にはヘーゲル弁証法をもって一つの完成を見たが、その後、マルクスによる脱構築的な再解釈によってマルクス哲学の核心に据えられた。
 ところが、それはマルクス自身が拒否した「マルクス主義」によって形式化・教条化され、ソ連共産党に代表される共産党支配体制のイデオロギーに利用されたことから、弁証法もこれら支配体制の思想統制の道具とみなされ、ソ連解体以降の世界では思想上の有罪宣告を受け、すっかり周縁に追いやられてしまった。
 しかし、本来の弁証法は決してそのような政治的教条ではない。弁証法はあれかこれかという二項対立的な素朴思考を脱却し、対立するものを総合して新しいものを創造するための思考手段であって、目的ではない。その点を誤って、弁証法が自己目的化すれば、共産党支配体制下でのイデオロギーのようなものに化けてしまうだろう。
 他方、弁証法を政治的イデオロギーと決め付けて廃棄するならば、哲学の貧困から脱却することはできず、とりわけ現実主義の表層的世界観に支配されて、社会の革新・変革が阻害されることになるだろう。それは、人類社会の閉塞と衰亡を促進する。
 そこで、この小連載では弁証法を歴史的に検証しつつ、歴史の過程で弁証法にまとわりついたあらゆる不純物を除去し、その本来の姿を取り戻させ、新たな時代に応じてこれを再生することを試みる。同時に、これは筆者の『共産論』の根底にある思考を抽出する試みでもある。

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