対局日誌

ネット囲碁対局サイトでの、私の棋譜を記録していきます。
全くの初級者がどう成長していくか、見守ってください。

挑戦手合を考える

2006-03-12 16:12:11 | 雑談
今まで何の疑問も感じずにいたが、囲碁将棋でもっとも一般的な大会形式である「挑戦手合」は不思議なシステムだ。
他の競技で使われているのを、ちょっと思い浮かべることが出来ない。
毎年その棋戦で多くの勝ち星を挙げて勝ち上がってきた人が、番勝負に1局負け越すだけで全ての栄誉を逃してしまうのである。
このシステムで恩恵を預かった代表としては高川先生、秀行先生が挙げられようが、他のタイトルホルダーも防衛する際に少なからず利があっただろう。

もっとも、だからといってこの形式を批判しようとは微塵も思わない。
面白いことにタイトル戦以外の棋戦や、あるいは挑戦者の顔ぶれをみても、結局は強いところがちゃんとタイトルを取っているのだという気がするから。
多少は連覇などがしやすくなっているところや、フロック的な勝ち上がり盛り上がりがないところはあるが、時の第一人者の対局過多(全部勝ち上がらなければならないとしたら、膨大な対局数だ)による消耗を防ぎ、棋戦の内容の充実、タイトルに箔をつけるというメリットの方が大きいだろう。
このシステムがなければ羽生先生の七冠という偉業もなかったろうし。
だから今後も挑戦手合(将棋ではこういう呼び方はしない)は続けて欲しいが、煩雑な予選はまだまだ改正の余地があるでしょうね。

この記事を書き出した当初の動機は、
「挑戦手合の国際棋戦があっても面白いのでは?」
ということであった。
そこから挑戦手合の不思議にたどり着いたのである。

もし今ある国際棋戦が全て挑戦手合で始まっていたら、今の棋界の勢力図はどうなっていたろう。
李プロが世界を席巻し、セドルやその他の日中韓の新鋭が追うという展開は変わらないだろうが、多少は日本の立場も違っていたかもしれない。