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自遊日記

定年後の備忘録

サンピエトロ大聖堂

2005-04-06 21:45:24 | イタリアの旅
サンピエトロ大聖堂には平成4年と平成7年と、都合2回訪れたことがある。
1度目はヨーロッパへ出張の際、暇を見つけて立ち寄ったもの。
この時受けた衝撃、感動は、今でもありありと思い出す。

こんなすごいものがあるんだ という驚きだった。
ヨーロッパの歴史の原点がここにある・・・という感じを強く持った。

ベルニーニの天蓋、ミケランジェロの巨大なクーポラ、玉座の荘厳さ・・・
さすがカトリックの総本山。
ただ見かけが豪華絢爛というのでなく、宗教的な重みが強く感じられ、息を呑んだ。

もう1度ヨーロッパを訪れるとすれば、絶対イタリアだ!
とその時、こころに誓った。

そして平成7年、機会が訪れ、家内と念願のイタリアを旅行を実現した。
このときは、サンピエトロ大聖堂、システィナ礼拝堂をたっぷり時間をかけて
見学出来た。
1度目以上の感動を覚えた。

今このサンピエトロ大聖堂に、ローマ法王 ヨハネ・パウロⅡ世のご遺体が
安置されている。
20数年間“空飛ぶ法王”の異名をとるほど行動的に世界をかけめぐり
平和を説き続けてこられた法王が眠っておられる。

昔この大聖堂を訪れた時の感動、衝撃を思い起こすとともに、
私はクリスチャンではないが、異国の地より、心からのご冥福をお祈りしたい。

フィレンツェ(ピッティ宮殿)

2005-03-06 16:22:30 | イタリアの旅
ヴェッキオ橋を渡り、しばらく行くと、左手に
ピッティ宮殿が見えた。
でっかーい。粗い石積の壁は、宮殿というより要塞の感じ。

15世紀後半に、大富豪ルーカ・ピッティがメディチ家に対抗して
建てたが、ピッティ家の滅亡後は、メディチ家の所有となった。
代々トスカーナ大公の住居として使われてきた。
現在はパラティーナ美術館他がある。

中に入ると絢爛豪華さに圧倒された。
“宮殿に飾られた絵画”のすばらしさに感動。
このような立派な宮殿に飾ってこそ、絵も生きてくる。
絵画単体でなく、宮殿と絵画が一体となってかもしだす雰囲気
が豪華極まりない。
この感動は、ウフィッツィ美術館では味わえないもの。

天井に描かれたフレスコ画や壁面上部の精巧な彫り物もすごい。
ビデオをズームアップしてたっぷり収録した。

大満足の状態でピッティ宮殿を出た。
宮殿の裏手に広がるボーボリ庭園を歩く。あまりの広さに辟易。
入り口あたりを少し散歩しただけで帰路につく。

途中で小じんまりしたBARに立寄り、オープンテラスでピザを食べる。
ふと思いついて、ウエイターに
「おたくのメニューをもらえませんか?記念品にしたいので・・・」
とあつかましいお願いをしてみた。

ウエイターは「これは商売用のもので差し上げるわけにはいかない」
といった意味のジェスチュア。
そこを何とか・・・ 。 this one ! souvenir! ok? と単語を連呼
しているとウエイターが根負けして、事務所から新しいメニューを1枚
もってきてくれた。 お礼に1000リラ渡した。
私的には1000円ぐらいを渡しているつもりだった。
後で超小額だったことに気づき猛反省。

ウエイターさん 無理言って済みませんでした。
そして、超小額チップで済みませんでした。
もう1度お訪れるチャンスがあれば、ユーロで適正なチップを渡します。
10年前の懐かしくも、ちょっと恥かしい思い出。

それにしても、いい思い出をたっぷり提供してくれた、フィレンツェ!
大好きな街。 もう1度行きたーい!



フィレンツェ(ポンテ・ヴェッキオ)

2005-03-06 15:09:37 | イタリアの旅
大聖堂から、ヴェッキオ橋に向う。
ヴェッキオとは「古い」とか「年老いた」の意。

ルネッサンスの時代には、肉屋や八百屋などが橋の上に並んでいたそうである。
現在は宝石や貴金属の店ばかり。

これは、この橋の上を(ヴァザーリの回廊を通って)往復していた
大公フェルナンド一世が、あまりの悪臭に肉屋や八百屋を追い出し
貴金属店に入れ替えたから、と言われている。
橋の中央部が大きく開いているのは、当時売れ残りのゴミを捨てる
ためだったと言われている。

この開口部からのアルノ川の眺めは格別。
中世の人々が眺めたのと同じ場所から、同じ景色を眺めていると
思うと感慨無量。

回りの橋は全て戦後に架けられたものだが、この橋だけは14世紀のもの。
第二次大戦中ヒトラーの命令でアルノ川に架かる橋全てを爆破する
予定であったが,美術愛好家の司令官ケッセルリンク元帥がこの橋
だけは残した。かろうじて難を逃れた貴重な橋。

この開口部で写真を撮った後、ピッティ宮殿へ向った。

フィレンツェ(花の大聖堂)④

2005-03-04 18:26:53 | イタリアの旅
大満足の状態で大聖堂を出て、ぐるりと大聖堂の回りを一周した。
俯瞰すると十字架の形をしていることが一周してはっきり実感できた。
正面から写真を何枚か撮った。
順光できれいに撮れた。

教会の正面入り口をきれいに撮影するには、午後に訪れるのがベスト
と言われている。
理由は教会の入り口は西側に設けてある場合が多いので
午後に訪れると逆光にならず、順光でいい写真が撮れるという訳。

ヨーロッパのカトリック系の教会は大体東西に軸線を持ち、
西から入って東に向って祈るという建築様式のものが多い。
(サン・ピエトロ寺院のように例外もあるが・・・)

東は聖地イスラエルの方向であり、光(神)の登る方向であるからと
いう説があるがよく解らない。

フィレンツェの花の大聖堂は教会建築の方位の伝統に100%則って
建てられている。
大聖堂をたっぷり鑑賞した後、ベッキオ橋を渡りピッティ宮殿に向った。

フィレンツェ(花の大聖堂)③

2005-03-02 12:25:56 | イタリアの旅
堂内に入る。
カラフルで豪華な感じの外観に比べ、中はかなり地味な感じ。
ややうす暗く いかにも“祈りの場”という印象。
ステンドグラス越しに,淡い光が入ってくる。
柱が少なく広さを実感できる。
この場所では凄惨な事件も起こっている。
この大聖堂でメディチ家のロレンツォとその弟ジュリアーノが
日曜日のミサに参列中、パッツィ家の刺客に襲われた。
ジュリアーノは殺されたが、ロレンツォは左奥の聖具室に逃げ込み難を逃れた。
いわゆるパッツィ家の陰謀の舞台となったのが、この大聖堂。
メディチ家のロレンツォ豪華王がこの大聖堂に出入りしていたと思うと感慨無量。

8000リラのチケットを買ってクーポラの頂上をめざす。
463段の階段をひたすら登る。
途中下を見ると、聖堂床面の大理石模様が俯瞰できる。
一方円蓋に描かれた天井フレスコ画も距離が縮まってくるので、
ズームアップして見えてくる。
そのうち狭いトンネルのような場所を登る。
クーポラの外側シエルと内側シエルの間を登っているようである。
これこそが、ブルネレスキが苦労して編み出した2重構造のシエル。
その真髄の部分を登っていると思うと感慨無料。

最後に超狭い急な階段を登りきるといよいよ頂上。
フィレンツェの街が一望できる。遠くトスカーナ地方一帯もよく見える。
ブラウンで統一された街並みがどこまでも広がっている。
世界の絶景ポイントに選ばれただけの価値あり。
景色もさることながらブルネレスキが苦心して作った円蓋の頂上に
立っているこのの方が私には感動を覚えた。
頂上から、8本の大理石のリブや屋根の表情をていねいにビデオに納めた。
景色より屋根ばかり撮っているのは,私ぐらいだった。



フィレンツェ(花の大聖堂)②

2005-03-01 15:20:41 | イタリアの旅
フィレンツェのシンボル、Duomoをファサードから眺める。
正式な名前はSanta Maria del Fiore (花の聖母教会)。
咲く花の匂うがごとく、繁栄の極みにあったフィレンツェが
聖母マリアに捧げた大聖堂である。

アルノルフォ・ディ・カンビオの設計で1296年に着工され
彼の死後ジオット、ピサーノ、タレンティらによって工事が続行され
最終的に、1467年ブルネレスキによるクーポラ(円蓋)の完成で
やっと工事が完了。実に170年もかかっている。
外壁には白、緑、ピンクと3色のトスカーナ大理石が使われており
華麗というか超豪華な印象。
建築期間が長かったためロマネスク様式、ゴシック様式、ルネッサンス様式などが
混在しており建築面からも興味の尽きない建物。
正面から見た感じでは、この大聖堂の大きさを実感しずらいが、実に3万人を
収容できる、世界でも有数の巨大な聖堂である。
当時のフィレンツェの住人全てを収容出来るように、設計されている。

この大聖堂の建設にあたっての、一番の功労者は何といっても
ブルネッレスキである。
壁面の建設は順調に進んでいったが、いざ円蓋の建設にさしかかって
大問題にぶつかったそうである。
直径42メートル高さ100メートルを越す巨大なクーポラの工事で壁に
ぶつかってしまった。
100メートルを越す足場を組む技術が、なかったのが致命的だった。
そこへブルネッレスキが内側シエルと外側シエルの2重構造で円蓋を作るという
画期的な工法を編みだした。精巧な模型まで作って工事責任者に提案した。
この工法なら簡単な足場だけで建設が可能だった由。

結局代案もなく、ブルネッレスキの案が採用された。
しかし、フィレンツェの威信をかけた大工事を、実績のないブルネッレスキに
まかせる事を不安に感じた工事責任者は、
ギベルティ(洗礼堂の彫刻コンクールで最後まで争ったライバル)を共同責任者
につける事を条件に承認した。

しかし建築に関しては素人同然のギベルティは、無能ぶりをさらけ出し、
しばらくして解任される。
そしてこの難工事をブルネッレスキ 1人で見事に完成させたのである。
洗礼堂のコンクールでは負けたが、建築家として見事にリベンジを果たした。
ブルネッレスキに拍手。

しかし2重構造にしたら何故足場が簡略化できるのか? 私にはよくわからない。
それはともかく、そんなエピソードを頭に描きながら,堂内に入った。



フィレンツェ(花の大聖堂)①

2005-02-28 19:19:42 | イタリアの旅
ウフィッツィ美術館の出口で、ツアーメンバーは解散した。
その後は自由行動、ということになった。
午後からは、ピサ行きのオプションが組まれていたので、
ツアーメンバーのほとんどの人は、このオプションに参加した模様。
我々夫婦は、オプションには参加せず、フィレンツェにじっくり
腰を据え、もっともっとフィレンツェ楽しむ事にした。
取り敢えず、美術館内をもう一度自分たちのペースでゆっくり回った後、
我々は大聖堂へ向った。

大聖堂見学の前に、手前にある8角形のサン・ジョバンニ(聖ヨハネ)洗礼堂を
まず見学した。
ダンテもここで洗礼を受けた由。風格のある洗礼堂。
堂内の天井は「最後の審判」「天地創造」などの、モザイク画に覆われ金色に輝いている。
“悪いことをすれば地獄に落ちる”という流れが 絵で解りやすく表現されている。
文字が読めない人が多かった中世でも、教育的効果は、絶大だったと思われる。
 
ミケランジェロが「天国の門」と呼んだ、東側の扉の前は観光客で一杯だった。
東扉制作に際しては、美術史上はじめてと言われるコンクールが実施された由。
ギベルティとブルネッレスキが最後まで争い、結局ギベルティが優勝。
東扉を制作したのはギベルティ。

しかし負けたブルネッレスキも、建築家として、しっかり リベンジを果たした。
大聖堂のクーポラを独創的なアイデアで設計、制作したのはブルネッレスキである。
フィレンツェ最大の芸術作品は、ブルネッレスキ設計のクーポラといわれている。
コンクールで負けたブルネッレスキが設計したクーポラが、
コンクールで勝ったギベルティが制作した東扉を見下ろしている。
こんな因縁を考えつつ洗礼堂とクーポラを見比べると、興味は尽きない。

尚 教会建築や大聖堂の本によると、洗礼堂が8角形をしているのは、
8が、ものごとの始まりを表わす数字だから とのこと。
創世記によると、神は6日間でこの世を創造し7日目を安息日とされた。
従って、8という数字は新たに始まる数字という訳である。
洗礼によって新たな生を受ける洗礼の場も、8角堂がふさわしい、という事になる。
偶然8角堂になった訳ではない。
そんなこんなを考えつつ,本命の大聖堂へ向った。

フィレンツェ(ウフィッツィ美術館)④

2005-02-27 12:30:57 | イタリアの旅
ウフィッツィ美術館には、静物画の展示は比較的少ないが
中世の静物画の見方についてもイコノロジー(図像解釈学)の本は
いろんな事を教えてくれる。

例えばカラバッジョの「果物籠」に描かれたりんごは、ところどころ虫が食った
穴があいている。ぶどうの葉もところどころ虫に食われて穴があいている。
今までは、リアルに表現している,細かいとろまで丁寧に書いている ぐらいにしか
私も見ていなかった。

しかしイコノロジーでは次のように解釈している。
果物は甘くて美味しい。これは快楽を寓意している。
快楽は長く続かない。虫に食われ腐ってしまう。
もっと言えば果物は、人生そのものを寓意している。
植物でも動物でも、生きとし生きるもの全ていずれは死を迎える。
この絵は世俗的快楽のはかなさ、命のはかなさを訴えている。
という訳である。

快楽におぼれてはダメですよ。 
命も人生もはかないものですよ。限りある人生、大切に生きなさいよ。
といったメッセージを作者は送っている。
という訳である。

中世に生きていた人々はペストの流行などで常に死と隣り合わせに生きていた。
当時の人々はこの絵を見て、恐らく作者の意図、寓意を即刻理解出来たと思われる。

太平の世に生きる我々も、作者から送られてくるメッセージを、ぼんやり見過ごす
のでなく、しっかり受け止めるべきかも。

中世の絵画は、見るだけでも感動するが、読んで解ると 一層感動する。


フィレンツェ(ウフィッツィ美術館)③

2005-02-26 16:09:42 | イタリアの旅
第10~14号室はボッティチェッリの部屋。
ここは、ウフィツィ美術館で最も大きい部屋。

有名な「ビーナスの誕生」と「春」は近い位置に展示されており
2枚の絵を、見比べながら鑑賞できる。

「ビーナスの誕生」は
全裸のビーナスが真珠母貝に乗って陸地に流れ着いたところが描かれている。

一方「春」は、春の花園にガウンを纏ったたビーナス、3美神、花の女神フロ-ラなどが
華麗に描かれている。

この2つの絵は、誰でも知っているおなじみの絵である。
しかし、この時代の絵を鑑賞するには
ただ絵を表面的に鑑賞するだけでなく,絵に込められた作者の意図を、
図像などから、深く読み解く必要があると、イコノロジーの本には書いてある。

イコノロジーの解釈によると、この有名な2つの絵はバラバラで鑑賞するのでなく
1対で鑑賞すると、作者の意図がより深いところまで、読みとれると説いている。

「ビーナスの誕生」で描かれた裸のビーナスは、今まさに天上界から降りてきた場面。
地上では女性が花柄のついたピンクのマントを着せかけんとしている。
花柄は地上的という意味がある。
天上界から降り立ったビーナスが、地上的な意味を持つ花柄のマントに今まさに
くるまれようとしている図なのである。

一方「春」の方の、着衣のビーナスは、星の模様の青いマント(裏地は赤)を纏っている。
星は永遠の空、つまり神の領域を表わしている。
また青は信仰,赤は慈愛を表わす。
地上のビーナスが今まさに星の世界、天上界へ旅立とうとしている図なのである。

この2枚の絵で、ボッティチェッリは、地上的なもの(物質界)と
天上的なもの(精神界)を対立するものと位置づけないで、
天は地へ、地は天への円環運動をおこなっている という世界観を示している・・・。
二枚の絵はバラバラに鑑賞したのではボッティチェッリの意図が理解できない。
二枚の絵を対で眺めて、対で解釈してこそ、ボッティチェッリが表現したかった、
真の世界観が理解できる・・・
イコノロジーではこのように解釈している。

ボッティチェッリが本当にそこまで考えて描いたのか、私には解らないが
ただ絵の美しさを味わうだけでなく、図像解釈学の力を借りて
作者の意図まで、あれこれ想像するのは楽しいものである。
ルネッサンス時代の人々と同じ気持ち、目線で、この絵を眺められたら
それはそれで、素晴らしいと思った。

日本人のガイドさんはこの絵の前で、ごくごく一般的な薄っぺらな説明をしただけで,
あっさりと、次のコーナーへ移っていった。

私は、しばらく2枚の絵の前から動かなかった。というか動けなかった。

フィレンツェ(ウフィッツイ美術館)②

2005-02-25 10:11:31 | イタリアの旅
長い時間待たされてやっと入館。
3階の展示室へ。

イタリア旅行に際しては、事前にいろんな本を読んだ。
美術関連の本では、
世界名画の旅(朝日文庫)、西洋絵画の主題物語(美術出版社)
フィレンツェ美術散歩(新潮社)、美術史入門(筑摩書房)
西洋美術史(美術出版社)
絵画の読み方(宝島社)、絵画を読む・イコノロジー入門(NHKブックス)など

これらの本の中では、特に“絵画を読む・イコノロジー入門”が面白かった。
イコノロジーというのは図像解釈学の意。
例えば 受胎告知の絵に白百合が描かれているのは聖マリアの
「処女性」を意味するとか、砂時計は「時」を表わすとか、仮面は「虚偽」を表わす
といった風に・・・
中世にはこのように、○○の絵は、△△の意味といった、たくさんの約束事が
あったそうである。
この約束事を研究する学問が図像解釈学。
中世の絵画を鑑賞する時は、ただ構図がどうの色使いがどうのというだけでなく、
作者が意図している寓意性などについてもよく思いを巡らせて鑑賞すると、
より味わい深いものとなる。
中世に生きていた人々は、このような符牒というか暗号のような約束事が
すぐ理解出来た。
中世の人々は絵を見るというより、読んでいたという訳。
現代に生きる我々には中世の符牒は理解しにくいが、ガイドブックの力を
借りれば中世の人々と同じレベルで鑑賞できる。
絵の色や形の美しさを堪能すると共に、作者が書き込んだ符牒も解読し
作者が本当に表現したかった意図まで理解できれば、その作品を100%
鑑賞したことになる。

そんな事を考えつつ展示室に入った。
ウフィッツイ美術館一番の目玉は10~14号室に展示されている
「ビーナスの誕生」と「春」である。
この絵の前で、図像解釈学の事を思い出しながら、じっくり眺めた。