「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

リハビリも一段落? あとは一歩ずつ喜ばれる仕事を

2013年04月04日 | 基本指圧の素晴らしさ

  脳出血で倒れて2年3か月、一生懸命失語症の訓練を受けてきました。最初の2か月は、入院先の東京警察病院で言語聴覚士の先生の訓練をうけ、退院以後は、埼玉県上尾の国立リハビリセンターで週2回、やがて1回になりましたが、言葉のリハビリを受けていました。

 
脳の中の言葉に係る部分が障害を受けていて、頭の中にあっても言葉には、できないのです。当初はなぜか「卵とカレーとラーメン」だけは言えましたが、あとは全く言葉が出ない状態でした。この後どうなるのか全く分からずに、ただ訓練をするしかない状態でした。

 
理にかなった訓練とは本当に有難いもので、必死に励んだ分どんどんよくなるのが分かりました。先生方の指導を受けながら、現在では、何とか生活には余り不自由が無いほどに回復できました。ありがとうございました。

 
ただ、まだまだ上手く喋れないので、問題はこの後どうすれば良いかです。自分のなかでは、まだ「伸びしろ」は、あると思っているので、訓練終了の5月末までゆっくり考えようと思っています。いい案(情報)があったらお知らせください。よろしくお願いします。

 
当初、どうしても自分が喋れないということが実感できず、喋ろうと思った時に、どうして言葉が出ないのか不思議でした。今でも喋れるという感覚でいつもいます。なんか変ですが、それが本当のところです。

 
この2年あまりは、リハビリ中心の生活でした。以前はいつも忙しくて、目の前しか見えていなかったように思います。とにかく「仕事が第一」で、本当はやりたくない仕事でも、「NO」と言えずにむりをしてやったことも多かったと思います。

 
私は60歳になったのでもう定年。大病もしました。後は、本当に自分がやってみたいと思う仕事だけをしていこうと思っています。長年、技術を磨き、精進してきて本当によかったと思います。1人でも2人でもいいです。本当に喜んでいただける仕事がしたいというのが正直な気持です。

 
同時に今までは忙しくて、余りできなかった後進の指導もしっかりと時間をとっていきたい。大病をしたことで、この2年間色々と得たものが多く、このあと本当にいい日々が送れる気がします。大げさにいうと残った日時を本気で行こうという、「何か覚悟めいたもの」ができたような気がします。
 
たぶん、もう残りわずかなのでしょうね? その間、真剣に生きたいと心から思っています。

 
私が一番弱っている時に、周囲の皆様の助け船がいちばんありがたかったです。また先生方の指導で訓練を受けることで、大きな希望を持てたのです。本当にありがとうございました。

 
これから二分脊椎症の子供を持つお母さんがたに、治療のための指圧を教える試みが始まります。東京、横浜、福岡、秋田などから川越へ行きたいとオファーが届いています。
 
温かい春を迎えました。私も初心に返って一歩ずつ踏み出していきたい。自分の身体と相談しながら一つ一つ積み上げていこうと思っています。

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