「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

祖母の思い出と重なるカマキリの卵袋

2009年03月30日 | 雑感
  私達日本人は、桜の花に対してなにか特別な感情を持つように思われます。敬翁桜や河津桜は、まだ寒さの厳しい時期に見ることができる早咲きの桜です。最近は栽培技術の進歩により、お正月に桜の花を楽しむこともできるようになりました。

   私の治療院でも敬翁桜を活けて、皆で春を楽しんでいました。ここのところ、いっせいに若葉が芽を出し始めたので、「葉桜もまたいいだろう」と楽しみに毎日眺めていました。

   よく見ると、桜の枝にカマキリの卵袋が1つありました。野原で見る卵袋はごく薄いベージュ色なので、なんとなく、どれも皆そんな色なのかと思っていました。弱い動物が身を守るための知恵は、“保護色”を生みました。この卵袋は桜の枝の色で、わずかにツヤがあり、その肌あいまでもが桜の枝と実によく似ています。一生懸命似せたのでしょうが、でもバレちゃったョ! カマキリさん。
   あとは、やがて生まれてくるであろうカマキリの赤ちゃんをどうしよう? と楽しみ半分で考えています。

   子供の頃、富山に住む私の祖母が、野原の枯れ草や枯れ枝に産み付けられたカマキリの卵袋を見て、産み付けられた高さから判断するのでしょうか「今年は大雪だなぁ」とか「今度の冬は雪は少なくて済むがね」と言っていたのを懐かしく思い出しました。
   いずれにしてももうすぐ生まれるカマキリ、どうしましょう。

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二分脊椎症が好転、研究会での報告を勧められる

2009年03月28日 | 素晴らしい指圧効果
  2007年9月9日から2008年7月31日まで、私が根(こん)を詰めてやった仕事があります。当時、ブログでもたびたび紹介した、二分脊椎症のタツヤ君の身体機能改善プログラムです。
   この治療効果について、今回、彼の主治医が“画期的”だとの評価を下されました。この先生から、「二分脊椎症研究会」で報告をしてみませんか、とのお誘いを受けたのです。これは毎年開催され今年は26年目になる、順天堂大学付属病院の小児科主催のフォーラムで、医師、看護婦、患者とその家族等が参加するそうです。

  以前ご紹介したとおり、タツヤ君は二分脊椎症という病を持って生まれてきました。二分脊椎症は先天的な脊椎の形成不全により、歩行と排泄に障害がおきる病気です。時に水頭症や脊椎側湾症等の合併症もあります。排泄は自己導尿、人工膀胱、腸内洗浄、人工肛門など人工的に処理され、歩行はまったく不可能なケースも多く、たとえ歩けても身体を左右に大きく揺すってつま先で歩く、先足歩行が特徴的です。
   指圧とナンバ体操で少しでも改善できないか、と取り組んできたのですが、歩き方は今ではほぼ踵(かかと)が着きそうなほどに変わり、歩く後ろ姿を見ると、近所の人でも彼とは気がつかないほどです。   さらに自力排便ができるまでに回復したのです。医学的に見ると、二分脊椎症で自力排便が可能になること自体が奇跡だということで、先生は「研究会で報告する意義は大きい」と判断され、多くの患者さん達にも享受させたいと考えられたのです。

   彼の身体機能改善プログラムを組むに至ったのは、お母さんの指圧についてきたのがキッカケでした。それでタツヤ君とお友達になったのですが、そのとき、病院のリハビリでは「これ以上何もすることはない」と判断されていることを知りました。  「そんなはずはないでしょう! いくらなんでも、もう少しなんとかなるはずだ」というのが私の直感でした。仕事の合間にナンバ体操と指圧をしてみたら、思いもよらない効果が出たのです。
   そこで、体操指導はナンバの矢野龍彦先生(桐朋学園大学教授)と長谷川智先生(同講師)に、毎月お願いしてスタートしました。指圧も定期的な全身治療と同時に、状態に応じて日々圧していくことを繰り返しながら、好転していく変化を追い続けました。すると今まで不可能と思い込み、動かなかったところが動くようになってきたのです。体操指導をしていただき、歩行状態は見違えるほど改善しました。
   その間の日記は、ノート2冊になりました。またレッスンと歩行状態はビデオにも記録しました。今回、それらの記録が役立ちそうです。

   二分脊椎症であっても、そこそこきれいに歩き、自力で排便できているということは、身体の中の他の機能もかなり改善していると私は考えます。達也君の腎シンチ(腎臓がどのくらい機能しているかを測った検査)は、かつては左が11%、右が29%しかありませんでした。それしか機能していなかったのです。しかし現在、血液検査で腎機能はみごとに正常値を示しています。
   身体内外の機能の活性化は、彼独特の落ち着きのなさの改善にも大きな効果を挙げ、しっかりした少年らしい人格をつくりました。同時に兄弟家族にも大きな影響を与えました。弟は見違えるほど明るくなり、お母さんは薬剤師でありながら、新しい決意に燃えて、現在、指圧学校に通って指圧を学んでいます。

   タツヤ君が初めて自力での排便ができたのが、昨年1月19日でした。以来、順調に機能改善が進み、身体の中の変化が今現在も良い状態で保たれています。
   日本には、6千人ほどいるといわれる、同じ二分脊椎症で苦しむ方々の身体機能改善に役立てられたらと考えて、会の規定の抄録提出を今月中にやってみようと思っています。たとえ一人でも理解してくださる方があれば、二分脊椎症に対する今までの処置が変わると考えています。
   今後とも“医療としての指圧”を目指して、より高い技術に向けて上達したいと願っています。

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酷い不整脈が改善、「医療としての指圧」を夢見て

2009年03月13日 | 素晴らしい指圧効果
  2005年7月、自宅に近い内科医院でおこなった成人病検診で、私は「ブルガダ症候群」と診断され、医師から大学病院で精密検査を受けることを勧められました。そのときの医師とのやり取りです。
「先生、治療薬はあるんですか?」 
「治療薬はない」 
「それでは治療法は?」
 「治療法もない」
そういうことでしたので、私はで精密検査はしないことにしました。

   強い力で押す力押しの指圧に明け暮れていたころ、私はかなりの不整脈に悩まされていました。1分間に7つも8つも脈が跳ぶのです。当時は頻脈も烈しく、寝ていて120も打ち、安眠が妨げられることもしょっちゅうでした。
   じっと座って脈をとっていると、突然胸で何かがモゴモゴモゴと動き、それと同時に脈が1つとびます。不整脈を持っている他の人に聞いてみても、胸のモゴモゴ動きはない人がほとんどでした。
   あとになって、この胸の違和感がブルガダ症候群なのだと分かりました。どうやら心臓の筋肉がバラバラに動くのを、モゴモゴした違和感として感じるようです。しかしこの感覚は、物心がついた頃から時々あったように記憶しています。

   ブルガダ症候群は心臓病の1つ。1992年に症例を報告した医師名にちなんで名付けられたそうです。特徴的な心電図異常があり、ときに重い不整脈である心室細動が起きて死に至る場合があり、働き盛り世代の突然死の原因にもなっています。

   7年前、高円宮殿下が47歳の若さでこの心室細動で突然薨去されたのは、私たちの記憶に新しいところです。日本や東南アジアに患者が多く、日本では95%が男性。発症の詳しい原因は不明、発作に備えて体内に医療機器を植え込む治療法が有効とされてはいます。ただしこの機器は、電磁波の影響を強く受けてしまい、生活上かなりの不便があると予想されます。
   2006年に報告された厚生労働省研究では、機器を埋め込んだ患者2000人のうち、治療後に同じ職場で同じ仕事に復帰できた人は4割。2割は配置転換を余儀なくされ、残る4割は退職をしていた、といいます。いつどこで突然機器が作動するか分からないのです、きっとおちおち車の運転もしていられないのでは?
 「死を避けられても、社会生活がうまく送れなくなるのは不幸なこと。精神的な支援や、仕事復帰への理解をもっと広めなければならない」と、日本循環器学会などでは患者の社会復帰支援のための指針をつくり、公表しました。

   酷かった私の不整脈は、現在では自覚することはありません。鈴木林三先生の指圧治療の効果で改善しているのです、本当にありがたいことで心から感謝しています。ブルガダ症候群の患者の2割程度に、心臓の細胞膜にあるイオンポンプの遺伝子の変化があると報告されている一方、遺伝子の変化がなくても発症する人もいるそうです。
   血縁者に突然死はいませんので、どうやら私は後者(遺伝形ではない)のようです。多分、今心電図を録れば、ブルガダ症候群の波形はまだまだでるだろうと思いますが…。
   埋め込んだ機器が自動作動した時の、電気ショックはかなり痛いし辛い、と聞きました。電池取り換えのための再手術も必要となると、はたしてどうなのか? あとは価値観の問題でしょうか? 疑問は解決されることなく、時間が経過して行きます。

  かつて無駄な力を使わない基本指圧を学ぶキッカケになったのは、左前頸部4点目が圧したい! かっこいい! その1点に異常なまでに惹かれました。それが圧せることだけが目標でした。左前頸部4点目は即心臓です。自分の身体からの発想だったのだと、今ではとても不思議な気がしています。

   実は、ブルガダ症候群の診断を受けた時、決して嫌な気分ではありませんでした。すっきりと納得がいく感覚がありました。なにか「腹が決まった」感じが強く、そんな感覚に心地よささえ覚えたのです。
   鈴木先生の提唱されている、「医療としての指圧」ができるようになる第一歩が、前頸部を圧せることだと私は考えています。1人でも多くの指圧師ができるようになり、医療としての指圧を普及させてこそ、多くの病に悩む人の救いになると確信しています。「圧せる指圧師」がたくさんでる日は近い、と信じて前進しています。

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アトピー性皮膚炎が軽快、華燭の典の写真に感無量

2009年03月02日 | 素晴らしい指圧効果
  2月22日に投稿した記事の清水焼絵師Jさんは、結婚が決まり川越の実家に帰って来ていました。お父さんの勧めで昨年10月の半ばから、指圧を受けに週1回来院されています。彼女は本年2月7日に晴れて挙式をされました。
   先週、お父さんがそのウエディングドレス姿の写真を持っていらっしゃり、皆で見せていただきました。とても美人です。普段はノーメイクでジーパン姿の彼女は、どちらかといえばボーイッシュな印象を受けていました。しかし写真に写っている彼女は違いました。
   今更ながらにやはり女性が人生で一番美しい瞬間なのだと心から祝福の拍手を送りました。おめでとうございます。

   私には、その写真を見せていただいて嬉しく思うことがもう1つあるのです。彼女はご両親から遠く離れ、慣れない京都の古い伝統の中で、色々な思いをしながら相当頑張ったのだと思います。
   そのためか、身体が芯から固まっていました。疲労の積み重ねの結果、ひどいアトピー性皮膚炎になっていたのです。初診時には、顔にも首にもかなりの症状がありました。首の指圧をする時に、皮膚がパリパリしているのでひび割れしないように、と注意深く施術したのをよく覚えています。
   手指に感じるパリパリした彼女の皮膚の感触に何か胸の痛む思いがしたものです。内心2月7日までには、顔と首、肩、背中、胸等、外見はアトピーとは分からないくらいになっていてほしい、と強く願いながら施術していました。

   思いが通じたのでしょうか、写真に写っている彼女は実に綺麗でした。アトピーなどとても思い浮かばないほど、美しいウエディングドレス姿でした。施術者としてこれほど嬉しいことはありせん。仕事にやりがいを感じます。
   アトピー性皮膚炎に対する指圧治療は、消化器系の疲労をいかに取り除いていくかが決め手になります。特に彼女の場合は、神経的な疲労が内臓に負担をかけ、その影響が皮膚に出たものと判断できたので、日常生活でもあまり身体に負担をかけないように、食事は勿論、夜更かしは絶対避けてほしいとよくよくお願いしながら治療を進めていました。

   初診時は、内服薬が2種類、ステロイド系のものとかゆみ止めです。塗り薬も2種類、これもステロイド系のものが出されていました。現在4カ月経過して、内服薬にステロイド系は不要と診断され、もう1つの痒み止めもこの2週間ほど飲まなかったのに痒みはなかったといいます。
   塗り薬も強いものからから弱いものに換わり、今はそれも必要なくなりました。内服薬は1部使用していますが、絶対量が比較にならないほど著しく減っているとのことです。大変順調に治療効果が上がり、ご両親からも感謝の言葉をいただいています。
   アトピー性皮膚炎の治療は、少々時間がかかります。彼女の場合は、かなり順調な方だと思いますが、今後、妊娠出産の可能性もありなので、なるべく早い時期に薬から離れられるようになりたいと思っています。この先も気を抜くことなく慎重に対応していこうと思っています。

  ちなみに聞いて見ました。 
「清水焼絵師の仕事に未練はない?」
 「ハイッ、まったく」

     二つ返事でした。 時代の最先端のIT関係の技師であるご主人と、清水焼という日本の伝統的な世界の技術者というこの素敵なカップルは、お見合いで結ばれました。いつまでもお幸せに!

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