「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

聞いてあきれる 「医食同源」「食即薬也」

2008年01月31日 | 雑感

 昨年10月5日のブログに、「チャイナ・フリー! 我が家では実践しています」と題して中国製品、なかでも食品の危険について投稿しました。
 ところが帰宅して今テレビを見ていますと、中国製冷凍ギョウザで1家5人が食中毒をおこした、というニュースを各局で流しているではありませんか。うち1人が意識不明の重態に陥っているということです。 
 今は30日の深夜です。このブログを投稿するのは31日の朝ですが、おそらくどの新聞紙面でも大騒ぎになっていることでしょう。  

 テレビの報道によると、次のような状況だそうです。 
 千葉県市川市で、市内のスーパーで購入した中国製の冷凍ギョウザを食べた1家5人が、30分後に全員嘔吐や下痢を起こし、救急搬送されていました。うち5歳の女児は意識不明の重篤だというのです。輸入業者はジェイティフーズ、社名が示すように日本たばこ産業の関連会社です。  

  このギョウザでは、ほかにも兵庫県や千葉県で食中毒を起こしていたそうで、中から有機リン系の農薬が検出されたといいます。これは体重50kgの人が1.5g摂取すると死亡するという劇薬です。
 皆さんがこのブログをご覧になる時間には、新聞各紙の記事で詳しい様子が報道されているでしょうから、詳細は省略します。  

 これまでにもパナマで中国製風邪薬を飲んだ300余人が死亡するという事件がありました。アメリカでは中国製の子供のおもちゃが鉛を含んでいて危険だ、という理由で100万個も回収されたことがありました。 
 日本でも 「土鍋から有毒物質を検出」「痩せ薬で死亡事故」「アサリから基準11倍の細菌」「蜂蜜から抗生物質」等々。全部中国産です、数え上げればキリがありません。 

  あと半年で北京オリンピックです。はたしてこんな国が無事に開催できるのでしょうか。世界各国から観戦のため北京に行きます。その人たちを、健康な状態で帰国させられるのでしょうか。いやがうえにも関心は高まります。

 いずれにしても、「医食同源」「食即薬也」という主張とは、なんとも裏腹な中国の現実です。“命あってのものだね”です。日本人がチャイナ・フリーを、そろそろ本気で考えなければならないのではないでしょうか。


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優先席では “必ず” ケイタイを切って!

2008年01月29日 | 雑感

 気になる話しを聞いたのでお伝えします。近頃髪に白いものが増え、電車の優先席に座ることに抵抗がなくなったというKさんから聞いた、ある日の電車内での出来事です。

 彼はいつものように優先席に座れることを期待して、その日も電車に乗りました。期待通り席を譲られ、優先席に座ったそうです。やがて向かい側の優先席の前に一人の紳士が立ちました。するとその前に座っている男性が、ケイタイを使い始めたそうです。
 紳士は、何やら一生懸命その男性に話しをし、使うのを止めさせました。しばらくたって男性が降りたので、紳士はその席に座りました。すると今度は隣の人が、ケイタイ・メールを始めたそうです。その人にも一生懸命何やら話して、そのメールを止めさせました。

 その時点で、紳士がペースメーカーを入れていることが、容易に理解できたといいます。その隣の人も間もなく降りたのですが、なんと次に乗って来た人は、メールを打ちながら隣に座ったというのです。
 紳士は、また一生懸命話してメールを止めさせていたといいます。「命がけ」なのでしょう。Kさんは、これほど皆がケイタイを切らずにいるとは驚きだったといいます。ちなみに、Kさんは必ず電源を切るそうです。

 私は、近頃ケイタイに慣れすぎたせいか、マナーモードにして電源を切るのを怠っていました。心から反省! 優先席付近では、必ず携帯電話の電源を切りましょう!


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英語教育は小学校から必要か??

2008年01月26日 | 雑感
「英語教育は小学校から必要か」―― これは昔から延々と論じられてきた命題で、もちろん回答を出せることではないと思います。しかしますますエスカレートして、最近は私立小学校だけではなく、幼稚園から英語教育を取り入れているところがあるそうです。親たちが競って子供を入園させている、と聞いたことがあります。
 果たしてそんなことは必要なのでしょうか。私はこう考えます、ということをここに書いてみました。  

 これらの親の言い分は、およそ次のようなところです。 
  ①「世界共通語は英語です。だから世界に通用するためにも英語を自在に話せる子供にさせたい」
 ②「国際人として生きていくには英語に堪能でなければ叶わない。だからできるだけ小さいときから学ばせたい」
 ③「将来、商社に入れて世界で仕事をさせたい」 
 ほかにもいろいろな意見があるでしょうが、私が耳にした意見を要約すると、この3点ぐらいでしょうか。  

 この問題は大変難しいのですが、次に私の考えを述べてみます。機会があればいろいろな方のお考えもお聞かせ願いたいと思っています。

 ①について。 
 まず「世界共通語は英語だ」という意見。 母国語としていちばん多用されているのが何語かは知りません。しかし公用語として最大多数に使われているのが英語であることは間違いないようです。 
 ですから「英語を自在に話せる子供」に育てるために英語を学ばせる、ということは好き好きで、「ご自由に」というところでしょう(しかし親の好みで、子供の意思とは思えません)。こどもにピアノを習わせる、そろばん塾に通わせる、というのと同じ感覚なら一向に差し支えないのではないでしょうか。 
 ただ「世界に通用する」というのが、英語圏の人に自分の話し言葉が通じる、というだけのことなら納得いきますが、決して人間的に「通用する」のではないということです。  

 ②について 
 まず「国際人」の定義。これを端的、明確に表現することは大変難しいと思います。むしろ1つ1つを挙げて、これは国際人ではない、これも国際人とはいえない、と消去していくほうがやりやすいでしょう。

 しかし「聖徳学園の人間教育プログラム」と題したサイトに、こんな一文が掲載されていました。この文章に国際人が定義されている、と私は思いましたのでここに掲載してみます。

「(前略)単に語学が堪能なだけでは真の国際人とは言えません。各国にはおのおの特色ある文化や伝統があるという認識をもち、日本人として、日本の文化や伝統を深く理解し、伝えることができてはじめて、国際人としての条件を満たせるのです。(後略)」  

「英語が堪能」なら「国際人」だ、という誤った認識を持っている人がまだまだいらっしゃるようですが、この錯覚から早く脱却したいものです。少なくとも、確固としたアイデンティティーのない、外国語だけが堪能な人は、国際人でも何でもありません。国際社会に出ても軽視されるのがオチのようです。 
 たとえば通訳の志緒野マリさん(英語・スペイン語の同時通訳者)は、外国人相手に日本で通訳ガイドをしたときのことを、こう述べています。「正月の説明をする時(でも)、ただ『日本では、これをします。あれをします』という事実を羅列するだけの説明だと、お客はあまり反応しない。そこに『なぜ、こうするのか』という民俗学的な解釈を加えると、お客の目が好奇心でめらめらと燃え始める」(これであなたも英語の達人 祥伝社)

 まさしく「聖徳学園の人間教育プログラム」にある「日本人として、日本の文化や伝統を深く理解し、伝えることができてはじめて、国際人としての条件を満たせるのです」の一文が納得して胸に収まるではありませんか。  

 ですから、国際人として成長させたいという親心なら、小学生のうちに、まず国語教育にしっかり取り組むことこそ肝要でしょう。人間は普通母国語で考えます。母国語で教育を受け、母国の価値観を受け入れ、その国の文化・伝統を身に着けていくのです。
 そこからおおのずと愛国心も芽生えてくるでしょう。日本では愛国心というと、軍国主義の復活などと途方もないことを言う者がいますが、愛国心を持たない者は世界に出ても相手にされませんし、絶対に国際人たりえないのです。  

 ③について 
 将来、商社に入って世界で仕事をするといっても、英語に関しては、中学から始まる勉強をまじめにやれば問題ありません。皆さんそうしていらっしゃるのです。 
 商社勤めの人が全員、英語がぺらぺらかというと必ずしもそうではありません。担当する業務の商品名を覚えたり、価格の交渉などは、英語があんまりできない人でも「慣れ」ですぐにもできるようになるようです。必要があるときは、会社によっては入社のあと「TOEICで○○点以上を取るように」と指示されるといいます。  

 結論から言いますと、本気で子供に国際人を目指させるなら、まず「国際人とはどういう人か」を親御さん自身がしっかり理解することです。英語が達者だ、ということと国際人は関係がないことを理解しなければいけません。日本語の教育をしっかり受け、日本の歴史、伝統、文化の価値観をしっかり身につけ、自分の出自(しゅつじ)を理解させることこそ大事です。
 今や日本語で話すと、英語で言葉が出てくる「翻訳機」までできています。ただ英語を話せるだけでは、国際人どころか、単なる「人間翻訳機」ではありませんか。  

 ブログでこういう問題を論じるのは、大変難しいと思います。いい足りない点もあり、誤解を招く表現もあったかも分かりませんが、意図するところを汲み取っていただきたいと思います。

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オバサンのひと言、近くの高校に通う生徒に「喝!」

2008年01月25日 | 雑感
「いまどきの若い者は…」―― 私が若い頃、周囲の年配の方たちがあちこちで言うのを耳にしました。「十把一絡(じっぱひとからげ)にしてもらいたくない」という多少の反発もあったのでしょう、私は歳をとってもそんな言い方はしたくない、と思っていました。  

 ですから、決して「いまどきの若い者」とは言いません。若くても礼儀作法をわきまえ、しっかりしている人たちも多いからです。しかし川越にある私の治療所に近い高校の生徒には、ぜひこのブログを通じて言いたいことがあります。  

 自宅から治療所まで約20分、私は毎朝車で通っています。治療所が通りをはさんで右側になりますので、直前の十字路を右折して左折を繰り返し、治療所の前に到着するのです。
 十字路は信号がありません。右折をしようとしている私の後ろには、多くの車が続いています。生徒は前方からつながって道の左側を歩いて来ます。そのまままっすぐ十字路を突っ切りますので、列が途絶えるまで右折できないのです。

 右折車があるのを見ながら、歩みを早めるのでもなく、マイペースでのんびり歩いて来ます。後に続く生徒も、足を止めるわけでも急ぐわけでもなく、同じペースでだらだら歩いています。
 ケイタイ電話をかけている生徒。驚くことは朝食でしょうか、コンビニの袋を提げて、なにやらムシャムシャ食べながら歩いている子もかなり多く、パンの袋や牛乳パックなどを投げ捨てていくのもよく見かけます。それらを掃除することもしょっちゅうです。
 この十字路、信号がないので譲り合わなければどうにもなりません。道路は車のためにあるのでもなく、歩行者のものでもありません。おたがいの立場を思いやってこそ、物事はスムーズに運ぶのではないでしょうか。「生徒に喝! 指導もできない教師に喝!」です。  

 ついでというわけではありませんが、あと2件ほど聞いてください。 
 私は週2回、有楽町線で鈴木林三先生の治療所に通っています。そのほかに毎月の研究会、各種講座の参加など、電車を利用することがけっこうあります。 
 ところが電車の中で、化粧品と鏡を取り出して化粧を始める若い女性が時々います。昼間ですから電車は空(す)いていますし、直接被害を受けたわけではありませんが、日本の女性がここまで品位を落としているかと思うと愕然とします。1度など、電車を待つホームにしゃがみこんで、ホーム上に化粧品を並べて始めた女の子を見ました。
 化粧とは、「紅・白粉(おしろい)などをつけて顔をよそおい飾ること」(広辞苑)です。それは人前に出るための嗜(たしな)みのひとつであったり、異性の気を惹きつけるためであったりさまざまでしょう。前者なら人前で化粧するのはおかしいし、後者なら恋人にさえいいと思われたら、ほかの人の思惑など関知しない、ということでしょうか。そんな心がけでは、いずれ恋人との仲も行き詰りますよ。 
 品位とは人格的価値のことです。自分でそれを汚してしまう、残念ではないのでしょうか。  

 もう1つは余計なことですが…。 
 何年か前になります。電車で座っている私の前に、30歳ぐらいのお母さんが5,6歳の男の子を連れて立ちました。お母さんはかなり大きなお腹をしています、その坊やの弟か妹が入っていたのでしょう。 
 私は思わず「どうぞ」と席を譲りました。お母さんは喜んでお礼を言いましたが、なんとその男の子を座らせ、自分は立っていたのです。私は妊婦のお母さんに席を譲ったので、子供にではありません。 
 5,6歳の男の子といえば、もし座っていても、人に席を譲ることを教えなければいけない年頃でしょう。「お母さん、勘違いしてるんじゃないですか。親離れのできない子供になりますよ」と喉まで出かかったものでした。  

 今日は「オバサンの余計なひと言」になったかもしれません。

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北京五輪まで半年余、矛盾と危機をはらんで開催

2008年01月24日 | 雑感

 北京五輪まで7カ月を切りました。さまざまな危機をはらんだまま、スタートしようとしています。

 北京オリンピックの開催決定を知ったとき、私が真っ先に思ったことは「はたして、中国にこんな大仕事ができるのだろうか」ということでした。昭和39年(1964年)に東京オリンピックが大成功のうちに開催されました、ソウルオリンピック(1988年)もとりあえず事なきを得ました。しかし今回は、中国人民の「民度」を考えると、どうしても不安が先にたってしまうのです。

 夫に話したところ、彼は言いました。
「全世界が注視しているオリンピックだ。国家の威信にかけてもやり切るだろう。だが問題はその後じゃないかな。
 衛生、環境、倫理、どこをとっても世界中から非難を浴びるだろう。さらに五輪景気で上海、北京などは不動産や株のバブルで沸いている。全財産どころか借金までして、国民は個人投資に走っている。しかし銀行は巨額の不良債権を抱えているのが現状だ。バブルがはじけたらどれほどの問題になるか。日本のバブル崩壊時の比ではないだろう。オリンピックの後が問題だと思う」  

 オリンピックが近づくと、いつもなら各国選手団は早めに現地入りをして、最終調整を行うそうです。しかしオーストラリアのオリンピック委員会は、北京の大気汚染に対する懸念から、同国の選手にぎりぎりまで現地入りしないようにアドバイスしているといいます。
 イギリスの水泳代表選手団は、北京の大気汚染が選手へ悪影響を与えることを懸念して、日本の大阪で最終調整を行うことを発表しました。食品の安全性への懸念もあります。主として欧米勢を中心に約20ヵ国が、直前合宿地として日本を希望しているそうです。  

 ともかく衛生状態が悪い。中世ヨーロッパの人口の3分の1を死亡させた「ペスト(黒死病)」も、中国雲南省で発生した疫病がもとだといいます。「スペイン風邪」と言われるインフルエンザも、もとをたどれば中国南方発の疫病だそうです。これによって、世界人口の6分の1が感染し、2000万~4000万人が死亡したといわれています。 
 台湾の衛生署(厚生労働省)は、中国への旅行者に注意すべき病気リストを提示しました。そこには、ペスト、マラリア、コレラ、肝炎、チフスを初め、数十種類の疫病が列記してあるそうです。(黄文雄氏の著述からの引用)

 観戦マナーの悪さも、世界の問題になっています。
 2004年7、8月、サッカー・アジアカップで起きたマナーの悪さが思い出されます。準々決勝の「日本・ヨルダン」戦のときでした。ヨルダン国歌演奏時には静聴していた中国人サポーターが、君が代演奏時にはブーイングに変わり、ゴミを投げつけ始めました。NHKも急きょ放送画面を切り替えてしまったほどです。
 アジアサッカー連盟の事務局長は、日本人サポーターの保護を主催者側に求め、当時のジーコ日本代表監督も、中国人のマナーの悪さを批判するという異例の事態となりました。 決勝の「日本・中国」戦のときは、中国人サポーターが競技場外で日本国旗を焼くなどして小競り合いが起き、中国人が「反日」を叫び続けたため、日本人サポーターが競技場内に足止めされる事態となりました。また駐中国の日本公使が試合会場を離れようとしたとき、公使の乗った自動車が中国人サポーターに襲撃され、後部ガラスを割られる事態となり、日本大使館は中国政府に対して抗議をしました。

 日本に対する嫌がらせが、今や中国の喉にひっかかった魚の骨になっているのです。因果応報とはいえ、まことに面白いめぐり合わせと言うしかありません。

 中国人には衛生観念がありません。汚物・汚水は長江に垂れ流し、ミネラルウオーターを買うと使用済みの空ボトルにただの水を詰めて売っていたそうです。街角の食堂で食事をすると、例外なく下痢に悩まされるといいます。中国へ旅行した私の知り合いは、全員消化器系統をやられて帰ってきます。
 北京五輪の試金石としても注目されていた 第6回冬季アジア大会(吉林省)でも、トイレの異臭や、禁煙のトイレで喫煙する人が後を絶たないなど問題が山積していました。  

 街中でやたら痰(たん)を吐くクセ、バスに乗るにも列を作って待つことを知らず、到着すると我先に入口に押し寄せる。こういう悪癖を改善しようと当局は必至でしたが、成果は上がっているのでしょうか。

 今回、オリンピック選手村の設備はどうなっているのでしょう。テレビで報道していましたが、選手の部屋は6畳1間ほどのスペースにベッドを2つ置き、小さいクローゼットがひとつとシャワーだけ、バスタブもないというのです。
 日本から関係者が現地に視察に行ったとき、レスリング会場にマットが見当たらなかったので聞いたところ、玄関マットを指し示したそうです。トレーニング機器を見たいと言ってもまったく返事がない。マラソンコースは戦車が通るために固く造った道で、ひざの負担も大きい上、雨が降ると滑るという。「五輪市場もっとも過酷なレースになるだろう」と語っていました。

 あと半年あまりでオリンピックです。今、中国は準備に必死でしょう。しかしオリンピックの後の中国に、私は注目してみたいと思っています。


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動物に対して 「優しい国」 を目指したい

2008年01月23日 | 雑感
「ボルネオ象を救え」と題したテレビの特集を、昨夜ビデオで見ました。この象はアジア象の仲間で、体長がひとまわり小さく、性格は温和で人懐っこいそうです。ジャングルの中を移動しながら暮らしているといいます。 
 ところが人里に近づいたため、銃で撃たれ耳が破れ、傷ついた身体でジャングルをさまよっている象。あるいは人間から逃げようとして、後肢の片方を失った痛ましい姿。また小動物を取る罠にかかった瀕死の小象など。日本人の獣医が、ボルネオ象を救うため現地で奮闘している姿がテレビに映し出されていました。  

 日本でも何羽かの「矢ガモ」事件が、マスコミをにぎわしたことがあります。心ない誰かが、ボウガンで狙って撃ったものだということでした。今月21日にも、矢のような棒状のものが首に刺さったユリカモメの写真が、毎日新聞に掲載されていました。
  人間に害を加える鳥獣が、駆除されるのはやむを得ないことだと思います。しかしそれ以外の動物虐待は、間違いなく「犯罪行為」なのです。

 欧米の人たちは、本来狩猟民族です。狩猟以外ではせいぜい酪農でバターやチーズを生産する、というのが古代からの生業だったのではないでしょうか。ですからスポーツとしての狩猟も盛んで、猟の獲物を「game(ゲーム)」といいます。象、トラ、野牛などは「big game」というそうです。これは日本人にはなじめない感覚ではないでしょうか。

 日本人は何千年も前からの農耕民族です。農耕は狩猟と違って、大勢の人たちが力を合わせなければできません。「和をもって貴しとし、忤(さから)うことなきを宗とせよ」(17条憲法)。聖徳太子がいちばんに掲げたのは、氏族間の「和」でした。

 ダーウィンが「進化論」を唱えたことは、どなたもご存知だと思います。彼の理論を貫く考えは、弱肉強食、適者生存、自然淘汰だと理解していますがいかがでしょう。簡単に言えば、強いものだけが生き残っていく、というなんとも凄惨な学説です。
 ところが今西錦司氏(故人。京大教授、岐阜大学長などを歴任)は同じ地域で肉食獣、草食獣、鳥類、魚類、その他がお互いのテリトリーを侵略せずに生きている実態を研究して、「棲み分け理論」を提唱しました。同じ場所で生きていくためには、競争することを避け、それぞれの住む場所を「棲み分け」ながら、その環境に適合するために外部形態を進化させてきたというのです。いかにも日本人らしい、優しい考え方ではないですか。棲み分け理論は「共存、共生の理論」でもあります。

 私たちは意図していなくても、動物虐待になっていることが間々あります。川や海に投棄したビニールの袋などを、水鳥やイルカが飲み込んで、死にいたることがあるのです。

 趣味のための銃は使わないのが望ましいのでしょうが、もし使った場合、散弾は鉄にしていただきたいと思います。大勢の人が価格が安い鉛の散弾を使うため、大量の鉛が水質汚染、土壌汚染を引き起こす。また水鳥がえさと間違って飲み込み、鉛中毒を起こす例も多いのです。宮城県では平成16年から、主要水辺域において鉛製散弾の使用が原則禁止されたと聞いています。
 
 あるいは飼っていた子犬を捨てるとき(捨てること自体、けしからんと思いますが)、首輪をつけたまま捨てる。やがて子犬は成長しますが、首輪の大きさは変わらない。ついに首輪の周りの肉が切れ、首輪が肉に食い込んでいく、という悲惨な状態を見たことがあります。野良犬になってしまい、人を警戒して近づかないから救いようがないのです。

 私たちは欧米人でも、ほかのアジア人でもありません。本来心優しい日本人なのです。「共存、共生」を1人1人が考えて、動物に対しても、世界でいちばん優しい国になりたいと私は思っています。今回のビデオをみて、改めて考えさせられました。

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奇跡! タツヤ君が自力で排便

2008年01月22日 | 素晴らしい指圧効果

 1月14日、川越道場でおこなわれたグループレッスンで、矢野龍彦・長谷川智両先生から、タツヤ君に新たな体操の指導があったことは、先日のブログで報告したとおりです。
 さっそく翌日から大きな変化がありました。顔まで変わっていたのです。身体も一回り大きくなっていました。この1週間、私は急患などで色々忙しく、時間が思うように取れませんでした。タツヤ君との体操の時間もままなりません。
 スタッフやお母さんの協力を得てなんとかこなしましたが、彼の動きに進展が見えないのが、気になっていました。こういう感じは、初めてです。でも、とにかく見守るしかないので、仕方なく毎日少しでもと思いながらタツヤ君の身体を圧して体調をチェックしていました。

 17日(木)、左側腹部に今までにない“力強さ”を感じたので、これはいったいどうなって行くのだろう? と考えていました。
 翌日夕方6時半頃お母さんから電話が入りました。
「さっき仕事から帰ったらタツヤが、トイレで、ウンチをしていたんです。しかも自分でちゃんと拭けていたんです!」
 
 奇跡が、起きてしまいました! 彼は生まれつき自力で排便ができないため、日を決めて腸内を洗浄しているのですが、この先、人口肛門になることが決まっているのです。しかし自力で排便できたら、それが回避できるかも分かりません。光が、見えてきました。
 こうなったら、排尿に関してもチャレンジしてみてもいいかも? お母さんとこれについて作戦会議を開いてみようと考えています。きっといい方向に進めることでしょう。

 11月に彼の顔に小さなニキビが出始めていたので、これは排泄に係わっていると判断していました。身体の中の機能に変化が出てきた手応えだ、というのが私の観察でした。腸内洗浄の水の、使用量を加減するアドバイスの目安のひとつになり、ありがたい反応です。
 昨年末に洗浄中のタツヤ君が、「うーん」といきんだと聞いて驚いたことがあります。便意をもよおした証拠なのです。このときの喜びも大きなものでしたが、まさかこんなに早く自力で排便ができるようになるとは――。
 電話をきって振り向くと、ストップモーションでこちらを見つめているスタッフD君に、思わず「Dちゃん、なんだか見えない力が働いているみたい!」と言いました。人智をこえた不思議な力が働いていることを本当に感じました。
 さっそく彼の腹部を圧して驚きました。もともと左下腹部にかなり強い「便秘のコリ」がありましたが、それが、左側腹部全体に広がっています!
 
「えっ! すごい! どうなっているの?」
 お母さんが、「生まれて以来の13年分なんじゃないですか? コリが出たということは、治りたいという身体の信号なんじぁないですか?」
 さすが母親! 納得です。でもこれほどすごいのは初めてです。スタッフにもぜひ見せたいと思いました。「奇跡」という言葉があるのは、それが起きるからなのかな? と思いました。

 今後どのような展開になっていくのか、まったく読めませんが、良い方向に動いている手応えだけは十分に感じています。
 またご報告します。


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日本人の「潔癖さ」を思い出していただきたい

2008年01月21日 | 雑感
 昨年暮、2007年の世相を表す漢字が「偽」と発表になったことは、皆さんご存知のとおりです。これは日本漢字能力検定協会が公募で選んだものですが、「偽」は1万6550票で、2位の「食」(約2450票)、3位の「嘘」を引き離すダントツの1位でだったといいます。

 相次ぐ耐震偽装、食品の偽装、年金記録の偽りをはじめ政治活動費の虚偽申告、官庁の裏金工作も発覚しました。人材派遣会社の偽装請負事件、英会話学校の問題、さらに歴史と伝統を誇る老舗の土産品、名門の老舗料亭にも賞味期限の改竄(かいざん)や仕入れ品などに偽りが発覚。1年を表現する「偽」の文字を認めざるを得ない様相でした。しかし、私たちは「偽」は昨年でケリをつけて、「今年こそは」と思っていました。

 しかし正月早々、9日の毎日新聞に「耐火建材40社不適切」と、1面の大見出しが目に入りました。耐火・防火建材の性能偽装問題を受けて、国土交通省が建材メーカーに行った緊急調査で、40社が大臣認定を受けた際とは異なる仕様の建材を販売するなどしていた、というものです。  

 ところが、ここにきてさらに年賀はがきの古紙配合率が、基準に達していなかった問題がクローズアップされました。それも40%と定めた古紙の配合比率に対し、わずか数%だったというのです。 
 製紙業界の全大手5社で、さまざまな紙に古紙配合の偽装を行っていたというのです。再生紙はコピー用紙、ノート、印刷用紙などいうまでもなく、名詞や百貨店の包装紙にまで使われています。これは「再生紙を利用しています」ということで、企業のイメージを高めようとしているのです。

 実は再生紙は割高なのですが、政府は01年に「グリーン購入法」を施行し、官公庁が買い支えてリサイクルを進めるようにし、古紙配合率も決めているのです。基準の古紙が配合されていると思うからこそ、高い金額を出して購入しているというわけです。 これらの偽装は、少ない投資で多くの利益を上げようとするためでしょう。私はこれらの経営者に、新渡戸稲造氏の言葉を今一度かみ締めてほしいと思います。

「…このように金銭や貪欲さを嫌ったことで、武士道を信奉するサムライたちは金銭から生じる無数の悪徳から免れたのである。わが国の役人が長い間、腐敗から遠ざかっていたのは、ひとえにこのお陰である。だが、悲しいかな、現代においては、なんと急速に金権腐敗政治がはびこってきたことか!」(武士道 新渡戸稲造著 岬龍一郎訳 PHP研究所) 

 これは直接には武士道、また当時の政治家について述べたものですが、今日の企業人も心腑に染めるべきではないでしょうか。ルース・ベネディクトは日本を「恥の文化」と規定し、周囲の目を恐れる民族だと世界に発信しています。私はベネディクトの言葉をそのまま「正確だ」とは思いませんが、いずれにしても日本人が自らを省み、恥じる、という精神を取り返さなければ、国の将来は暗い、と案じています。

 日本人は、本来、類まれな潔癖さを持ち合わせていると思います。今回、アジア・ハンドボール連盟の不可解な介入が明らかになり、アジアの五輪予選やり直しが決められましたが、これは連盟の会長であるクウェートの王族が、金にあかして審判を買収した、ということらしいのです。しかも彼らは開き直っています。
 さすがに、日本ではこれほどあからさまな買収を聞いたことがありません。李下に冠を正さず、瓜田(かでん)に履(くつ)を入れず――。幼い頃から教えられてきたことです。日本人が本来持ち合わせている潔癖さを企業人はよく認識し、世界のリーダーを目指していただきたいものです。

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クモ、その驚異の身体能力に感動

2008年01月20日 | 雑感
 毎朝、私は治療所を掃除しますが、この掃除にも自分の指圧技術の上達をかけるつもりで、けっこう真剣に取り組んでいます。
「畳を磨くことを基本指圧研究会(私たちの指圧練習グループ)の伝統にするように」と、鈴木先生から言われているせいでしょう。頑張っても小1時間かかるので、玄関や窓などすべて開け放してやっていますが、寒さを感じないほど必死で動き回っています。

 先日、掃き掃除の最中のことです。まばゆい朝日の中に天井から一本の糸を引きながら、極小サイズのクモが降りてきました。まだ身体が透明です、きっと生まれたばかりなのでしょう。
 思わず忙しさを忘れ、取りつかれたようにクモに向かって「フーッ」と思い切り息を吹きかけ、目いっぱい向こう側に飛ばしてみました。
 自然界に生きる動植物は、いうまでもなく環境に順応できる身体を生まれつき持っていて、自在にそれを使いこなしています。逆に人間は自分にあわせて環境を変えてきたので、順応力は彼らより当然劣っているように思います。

 長男が小学生の頃、虫(昆虫)取りに夢中になり、それに付き合って色々な虫を追いかけていたことがあります。夏休みの自由研究の題材に、「糸で生きる虫たち」を選んで、虫と糸の観察を1年間やりました。虫たちは生きるため、巣を作るため、越冬するため、生まれ出るため等々、さまざまな場面で糸を使いこなしているのです。(クモやムカデは昆虫ではありませんが、虫の範疇には入ります)

 天井から降りてきたクモに思い切り息を吹きかけて向こうに飛ばすと、クモはじっと飛ばされています。向こう側までいって振り子の原理でこちらへ返り始めると、8本の足をバラバラに動かしながら、糸が垂直になるところまで返ってきて、そこでなんとピタッと止まるのです。生まれたばかりのクモでもこの技ができるのだと知りました。驚異の身体能力です。
 クモを好きな人はあまりいないと思いますが、この身体能力を目の当たりにすれば、クモに対する考え方は変わると思います。

 垂直まで戻ってきたクモは、その後何事もなかったかのように、また動き始めました。私も掃除が途中であったことに気が付き、急いで掃除の続きにかかりました。

 自然界の動物に具(そな)わる身体能力の見事さに出合った、ある朝の感動の出来事でした。
 皆さん、もし天井からクモが糸にぶら下がって降りて来たら、思い切り息をフーッと吹きかけてみませんか。思いがけない感動に出合うことができるかもしれません。

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地球温暖化急ピッチ! 1人1人の自覚が大切 ②

2008年01月19日 | 雑感
 (前回の続き)  

  私たちにできる対策は?

 それでは地球温暖化の防止対策として、私たちができることに何があるのでしょう。全国地球温暖化防止活動推進センターのサイトから、ピックアップしてみました。
 個人がすぐにもできることだけで、これだけあるというのです。もちろんこのほかにもいろいろあるでしょう。

○冷房の温度を1℃高く、暖房は1℃低く設定する
   (カーテンの利用。クールビズやウオームビズを取り入れる)
   ◆年間約33KgのCO2の削減 <以下、驚くべき数字です>
○週2回、往復8kmの車の運転をやめる
       (なるべくバスや鉄道、自転車などを利用する)
   ◆年間約184kgのCO2の削減
○1日5分のアイドリング・ストップ
   ◆年間約39kgのCO2の削減
○待機電力を50%削減する
    (主電源を切る。長時間使わないときはコンセントを抜く)
   ◆年間約60kgのCO2の削減
○シャワーを1日1分家族全員が減らす
   (身体を洗っている間、お湯の流しっぱなしをしない)
   ◆年間約69kgのCO2の削減
○風呂の残り湯を洗濯に使う
   ◆年間約7kgのCO2の削減
○ジャーの保温をやめる
   ◆年間約34kgのCO2の削減
○家族が同じ部屋で団欒し、暖房と照明の利用を2割減らす
   ◆年間約238kgのCO2の削減
○買い物袋を持参して、省包装の野菜を選ぶ
   ◆年間約58kgのCO2の削減
○テレビを見る時間を1日1時間減らす
   ◆年間約14kgのCO2の削減         

 そのほかにも、考えるといろいろあるでしょう。 
 しかし私は、国家と個人がもっと連携を取り、協力し合って温暖化に対処してこそ、大きな成果を上げることができるのではないかと考えます。具体的に言うと、国のしかるべき「手助け」がなければ、容易に進まないといえるのかも分かりません。
 
  国を挙げての協力が大事  
 
  たとえばハイブリッドカーという車があります。電気モーターと、ガソリンエンジンの両方を持ち、事態によって使い分ける車だと理解しています(もし、表現が正確でなければごめんなさい)。もちろん省エネ、温暖化対策に、現在では最良の車の1つだと思えます。 
 今、自動車メーカーでは生産にしのぎを削っている、といってもいいでしょう。しかし同じ車種でも、ハイブリッドカーとなると、これまでのガソリン車と比べて100万円は高いのです。ガソリンの燃費が大変いいということですが、価格差を燃費のよさでイーブンにできるのは、走行距離が10万キロを超えてからだといいます。大事に乗ったとしても、すでに廃車の時期ではないですか。 
 通常より、100万円も高い車を購入する余裕が、果たしてユーザーにあるでしょうか。ハイブリッドカーの購入に、国の助成金はあるのでしょうか。  

 ソーラー発電システムを考えてみてください。戸建住宅の場合、普通、屋根にソーラーパネルを設置し、太陽光発電で住宅の必要電力をまかなうというものです。 
 この発電システムを設置するのに、何百万円か必要です。何割かを国で補助してくれるようですが、いかにも高価というのが実感ではないでしょうか。 
 家庭の電気代を、仮に1カ月12,000円ぐらいとします(一般の家庭の電気代が分かりませんので、我が家で考えて見ました)。1年で144,000円、10年で1,440,000円。おそらく20年以上経たなければメリットは生じないでしょう。
 もし月の電気代を8,000円程度に抑えている家庭があるとするなら、30年もかかってしまうではありませんか。その上、ローンを組めば当然利息も発生します。それだけの出費を覚悟して、という家庭はそうはないでしょう。このシステムを販売している会社では、余った電力は売れる、という説明をしていますが、売ったところで「雀の涙にもならない」金額です。まして、梅雨期などはソーラー電力だけでは足りないこともあるでしょう。

 いずれにしてもこういう問題は、国がもっともっと積極的に取り組まなければなかなか進まない、と私は思っています。
 同時に、身近なことから1人1人が二酸化炭素削減に取り組むことが、きわめて大切だと感じました。(終)

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