これを指揮した鳩山邦夫・法務大臣に対し、朝日新聞が18日夕刊の記事で、「死に神」と切り捨てた、と新聞・テレビ等のメディアで盛んに取り上げました。産経新聞(H20.6.21)では次のように報道しています。
「『死に神』と鳩山法相を表現したのは、18日付朝日新聞夕刊のコラム『素粒子』。約3年の中断を経て死刑執行が再開された平成5年以降の法相の中で、鳩山法相が最も多い13人の死刑執行を行ったことに触れ、『2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神』とした」
朝日新聞の記事に対して鳩山法相は、「…そういう軽率な文章を平気で載せることが世の中を悪くしていると思う」と批判し、不快感をあらわにしています。
そもそも死刑が確定した場合は、日本において死刑執行を最終判断するのは、刑事訴訟法の定めにより法務大臣が指定されています。同時に、死刑判決確定後6カ月以内に執行されなければならないというのが規定です。
死刑の存廃ははさまざまに論議されていますが、いまだ決着はついていません。私には私なりの意見がありますが、ここではその是非を論じることはいたしません。
しかし日本は法治国家です。現在死刑が存続しており、「判決確定後6カ月以内に執行」と法で定められている以上、法の定めに則って粛々と行うのが法相の務めでしょう。
ところが執行の判を押すのを嫌い、在任期間中に1名も死刑を執行しなかった法相が複数いるのも事実です。もし、個人的な意見、持論といったもので実行をためらうなら、その任に就くこと自体がおかしいのではないでしょうか。首相から声がかかったときに、理由を明らかにして法相就任を固辞すべきでしょう。
今、職務を粛々と果たそうとする鳩山法相を、「2カ月間隔でゴーサイン」「新記録達成」「またの名、死に神」と揶揄(やゆ)する。「悪法もまた法なり」(ソクラテス)です。もちろん死刑制度が悪法だと言っているのではありません。「法の厳守」こそ大切だということなのです。
死刑囚の家族も、あるいは「これによって罪の一端でも償ってくれた」と、悲しみの中にも厳粛な気持ちになっているかも分かりません。
それをこんな軽い、嘲弄するような言葉で汚していいのでしょうか。私は筆者の見識を疑います。