「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

「名物に旨いものあり」、 姫路名物 〈アーモンドバター〉 と 〈アナゴの刺身〉

2016年04月28日 | 雑感

 余談ですが、初めて姫路に行った時、何かで「アーモンドバター」の存在を知りました。興味が湧いていたのですが、滞在中に手に入らずとても残念でした。今回、姫路へ行って3度目の正直、やっと買い求めることができたのです。
 
 たいへん満足できるバターでしたが、これほどおいしいのに、どうして姫路しか無いのか? 不思議なことです。何人かにお土産で差し上げましたが、たいへん好評でした。あるいは差し上げた私には、「おいしかった」というしかなかったのでしょうか。
このバター、トーストでいただくのがいちばんおいしいようです。食パンにアーモンドバターを多めに塗って、トースターで焼くのですが、バターが焦げてプクプクしてきたら、出来上がりです。今、ハマっています。 

 それからもうひとつ、おいしいと思ったのがアナゴ(穴子)です。アナゴの白焼きは、脂が乗ってとてもおいしかった。それと初めて食べた「アナゴの刺身」、これもたいへん弾力があってなかなか美味でした。明石がアナゴの本場だそうですから、おいしいのも納得がいきます。夫は姫路の出身ですが、子供の頃には食べたことがなかった、と言っていました。いつから食べ始めたのでしょうか。あるいは夫の親が食べなかっただけなのか。

 いずれにしても、国の内外を問わず「珍しいものを食べることができる」というのが、旅行の楽しみの一つでもあります。


姫路限定〈姫路名物 アーモンドバター〉


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古い町並みを今に残す倉敷・美観地区、無風の川面に映る夜景にも感動

2016年04月26日 | 雑感

 遅くなりましたが、姫路に続く岡山・倉敷の旅を書いてみます。
 5日はホテルで朝食の後、岡山へ向かいました。岡山城は駅からさほど遠くない場所にあります。城の建物に張り付けてある下見板が黒いことから、別名を烏城(うじょう)と呼ばれているそうです。
 豊臣秀吉に厚遇されて大大名となった宇喜多秀家が、秀吉の意を容れて築城し、8年の歳月を費やして完成した岡山城。秀家はこの城を戦の拠点としてだけでなく、領国内の商人や職人が集まる城下町として整備しました。秀家に代わって城主となった小早川秀秋は、それまでの西側の外堀の外に城域を拡張して新たに外堀を設けた。秀秋の夭折の後は、幕藩体制の下で岡山城は岡山藩の城府となり、池田家を藩主として明治維新に至ります。 

 この岡山城は昭和20年に天守閣が焼失。その後、鉄筋コンクリート造りで再建されたのです。前日、姫路城を存分に堪能した後だったからでしょうか、妹が「見る順番を反対にしていればよかったかしら?」と言っていました。同感でした。岡山城は、外見は、確かにお城ですし、石垣も少し残っていました。昔の人達の住居跡など、生活痕跡も保存されていました。エレベーターで天守まで登れます。天守と言っても内部は「狭!?」。しかし何でも経験です。実際にこの目で見るのが大事だと思っているので「行ってよかった」と、とりあえず考えることにしました。
 
この天守から、日本三名園の一つ「後楽園」が眺められます。私が岡山・後楽園を見るのは、今回が初めてでした。行ってきた知人に聞いたところ、「実際に自分の目で見るとわかりますよ」と。上から見ただけでわかった気がしましたので、入園はスルーしてそのあと倉敷に向かいました。金沢・兼六園と水戸・偕楽園は、以前行っておりますので、これで三名園を見たということで、これまた行ってよかったと考えることにしました。 

 さて最後の旅行地・倉敷です。倉敷はかつて幕府の直轄地(天領)で税金が安かったらしい。近年に至っても、20年ほど前までは豊かな工業地帯や競艇場等からの潤沢な税収により、地方交付税を受けない自治体でした。水島臨海工業地帯を見てもお分かりのように、西日本最大の一大産業集積地です。
 そのため市役所をはじめ、豪華な施設の建設や過剰と思われる道路の敷設も行い、市民からの不評も少なくなかったらしい。しかし長引く景気の低迷による収入の減少に追討ちされ、地方交付税交付団体になり、現在は支出の削減に取り組んでいるという。

 建物も、ことに「美観地区」は第一合同銀行倉敷支店(現在の中国銀行)や、有名な大原美術館、大原孫三郎氏別邸(有隣壮)に見るように大正、昭和の初期に建てられたものが多いが、中には江戸時代から存続している建物もあります。しかも和洋渾然一体となって違和感なく、訪ねる観光客の心を惹きつけているのです。大原美術館は洋風建築なのに、みごと周囲に溶け込んで屹立していました。
 
倉敷はまことに魅力的な街です。美観地区の家には多少の補助金が出ているようですが、建物の外見を修築するときは市役所に届けなければならない。そこには建築の専門家がいて、いろいろ相談にのっているということでした。歴史と伝統を残さなければならない地区には、こういう規制も必要でしょう。
 
私らが泊まった吉井旅館も美観地区にあります。江戸時代後期に民家として建築されたものを、明治時代に旅館に改造したそうです。現在、文化財保護法による倉敷川畔伝統的建造物群保存地区内の建物の一つとして、外観を保存しつつ百年余にわたって旅館を続けているという。坂本龍馬が泊まった部屋も今に残されています。旅行社の担当者から、食事が美味しいと聞きましたので、躊躇なくここに決めました。

 私らが旅館を目指して歩いていた時、ガイドが声をかけてきました。倉敷美観地区・有料観光ガイドらしい。ガイドをお願いしたことで、ただ街を見ただけでなく倉敷を深く知る事ができました。大変満足です。現地を知らずに歩くだけでは、メインの川添の道をうろうろするだけだったでしょう。小路までとうてい入り込めなかったに違いない。よかったと思います。
 
そのあと、とりあえず旅館にチェックイン。午後5時から「くらしき川舟流し」を予約していました。なかなか人気があるのか、時間で予約なのです。かつて物資を積んだ川舟の往来でにぎわった倉敷川、その風情を味わえる観光川舟が運行されています。ゆったりと進む舟に腰を下ろして眺める白壁の町並みは、川舟流しならではの楽しみでしょう。

 夕食は旅館の「ウリ」でもあります。ゆっくり食事を楽しんだ後、外へ出て川沿いの道を歩いて驚きました。無風の川面が鏡になって、川辺の建物がさかさまに映し出されている。不思議な感覚でした。川の中にもう一つの世界が広がるのです。
 
今回の旅行、とりあえず「大満足」とお伝えしたい気持ちです。1年に1回か2回はこういう旅をしたいですね。




岡山城の天守閣と、天守から見た下層階の鯱瓦


天守から眺める後楽園。かなりありきたりな感じが‥‥?




古き良き風情を今に残す倉敷・美観地区、魅力的な町です




美観地区の家並み。下の写真(右)の人物はガイドの藤野さん










宿泊の吉井旅館の前で(写真上)。下は夜の吉井旅館






倉敷川沿いの夜景。川面に映る夜景が美しい


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白鷺城の美と圧倒的な存在感、白漆喰総塗籠造の連立大天守郭に感動

2016年04月21日 | 雑感

 44日から6日まで、姫路と倉敷に行ってきました。
 
実は去年から取り組んでいた、二分脊椎症のSさんに係る排泄障害の治療が大成功に終わり、ホッとして気が抜けた気分でいたところです。そこでかねてから憧れていた姫路城に、「桜の季節に行ってみたいたい!」という想いを実現にするチャンスが巡ってきたのです。 

 以前、姫路城には2回ほど行ったのですが、2回とも「平成の大改修」真っ只中でした。初回は神戸へ仕事で出かけた折に、夫に誘われて軽い気持ちで、お城を見に行きました。夫は姫路市で生まれました。当時は飾磨郡の島嶼部で、いわゆる瀬戸内海にある小島でしたが、その後、姫路市に併合されたものです。ですから、50年前の「昭和の大改修」も詳しく記憶していました。
 
改修中で大天守こそ入ることができませんでしたが、西の丸には「西の丸百間廊下」と「千姫化粧櫓」があり、千姫がこの櫓を休息所としていたと聞きました。私は石垣の素晴らしさに感動し、そのあともう1回訪ねました。そのとき、この改修が終わったら必ず観に行きたいと強く思うようになっていました。 

 今回は私にとって「3度目の正直」です。気持ちを溜めに溜めてやって来た姫路城。美しく変わった白鷺城の天守閣に登れるなんて、夢のようです。しかもなんと、桜の季節に実現できたのです。
 
一行は夫と私と妹の3人です。「満開」のときに、ドンピシャで行きたいのが願いでした。桜の季節はホテル・旅館も込み合いますので、1ヵ月半前には予約したい。新幹線の切符も、1ヵ月前の発売日には求めておきたい。満開どころか、開花日も発表にならないうちから、夫が満開の日を探り、「4月4日」と決めました。 

 ところがもう一つ問題が出てきました。それは妹が強力な「雨女」だということです。日が近づくにつれ現地では4、5の両日が雨という気象予報になりました。毎日毎日天気予報とにらめっこでしたが、雨の日は動いてくれないのです。私は、本来「晴れ女」。傘を持って旅行に行くことなどあり得なかったのです。ところが脳出血で倒れて以来、どうやら力が衰えたようです。夫は「ハブとマングースの戦いだ」と笑っていました。こうなったら、私と妹との一騎打ち(?)の気分でした。 

 前夜は人形町のホテルで前泊。当日8時50分、「のぞみ103号」で姫路へ向かいました。新幹線の車窓に雨粒は見えません。正午少し前に姫路駅に到着。白鷺城は国宝であると同時に、法隆寺と並んで日本初の世界文化遺産に登録された建築物です。駅前に立つと、50メートル(幅員)道路の真正面に位置しているのです。宿泊の「ホテル日航姫路」へ向かい、チェックインの時間になったら、バッグをそれぞれの部屋に運んでくれるように依頼し、いよいよお城へ向かいました。
 
タクシードライバーの話ですと、2日前にはお城で桜祭りがあり、人と車でごった返していたそうで大変だと聞きました。よかった。心配した天気は曇りです、しかも桜の満開にドンピシャでした。目の前に改修なった白鷺城、本当に夢のようです。その美しさ、壮大さ、重厚さ、そして圧倒的な存在感は感動ものです! この町の人々が、お城を大事にしている気持ちをヒシヒシと感じながら、今にも飛び上がりそうな気分でした。

 月曜なのに、天守閣へ登るのに「1時間待ち」と、メガホンを持って係員が叫んでいます。でも、私の気持ちはまったく折れません。大天守まで登る途中も、色々な角度で天守閣が見え、それも存分に楽しめました。姫路城は大天守と3つの小天守が渡り櫓で結ばれた連立天守閣です。それが完全な形で残っており、幾重にも重なる屋根、千鳥破風や唐破風、入母屋破風が華やかな構成美を誇っています。7階建て(地下1階、地上6階)大天守閣の大柱は感動モノでした。これほどの木造建築が何百年も前に造られ、現代に残っているのが驚きです。 

 夜、再びライトアップしたお城へ行きました。ホテルへ帰った後は、15階の「夜間飛行」というバー&ラウンジから、ライトアップされたお城を眺めながら、飲み物を楽しみました。

 翌日は岡山城に寄って、倉敷へ向かいました。倉敷もなかなか美しい街でした。少し書いて紹介したいと思いますが、旅行の疲れが十分抜けていません。何日かお待ちください。姫路城に興奮して、よけい疲れたのでしょうか。

 写真を何枚かご紹介します。


姫路の街にそびえる白鷺城は国宝で日本初の世界文化遺産




千鳥破風、唐破風。幾重にも重なる屋根が美しい










ライトアップの夜の姫路城。一味違った趣が‥‥


姫路駅前から臨む夜の白鷺城


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二分脊椎症の女性(28歳)が自力排便へ、状態と経過は千差万別

2016年04月16日 | 素晴らしい指圧効果

 一昨年から申しこまれながら、しばらく待ってもらっていた二分脊椎症の女性(28歳・薬剤師)の指圧治療です。昨年5月からやっと始めたのですが、今回一段落したので報告をさせていただきます。 

 基本指圧を去年52日から、週1回行ってきました。当時、彼女は内反足の手術を受けるかどうか迷っていたときでした。彼女の全身状態は、とにかく「どうして、どこもかしこもつまっているの!」 と、言いたいほどの状態。今まで相当苦労したことでしょう。先ず身体のつまりを緩めなければなりませんが、それに結構時間がかかると覚悟を決めて挑みました。どうしてかというと、この状態では身体の機能がちゃんと働いているとは思えないからです。私は必死に彼女に向かいました。

 指圧治療は、順調に進んでいました。困っていた内反足の調子も改善の方向に向かい、体調も11回良くなっていくのにやり甲斐を感じていた矢先のことです。昨年63日、私が脳出血の後遺症で救急搬送され、入院することになってしまいました。当然彼女の指圧治療は中断です。
 
私の脳出血後の回復は数年間順調だったのですが、また振り出しに戻ったような気持ちになりガッカリ。現実に治ったと思っていた以前の症状が全てぶり返してしまいました。「言葉が出にくい」「手足の麻痺も‥‥」。忘れていた細かい症状も、まったく治っていなかったのだと知りました。
 
 
脳出血を起こした1年後あたりでしょうか、脳外科の主治医が私の顔を見て、不思議そうに、「本当は、テンカン発作が出ても当たり前なのだが、気分はどう?」と。その後も何も起こらず、順調にリハビリに励んでいたはずでした。今回は、無理をした自覚はありましたが、案の定なのでしょうか? テンカン発作を経験する羽目になってしまいました。
 
これは言葉にならない辛さです。いつになったら、回復するのか? 副作用の強い薬を飲む羽目になってしまいました。色々な生活の中の工夫で何とか凌いでいるのが現状です。
 
また、それ以上に皆様には、本当に御迷惑をお掛けして大変申し訳ありませんでした。

 そんな中でも、彼女の治療は最優先でした。
 
しかし思っていない嬉しい出来事が起きました。去年1121日、彼女は私の治療院で指圧の後トイレへ行ったとき、「何だろう?」と経験したことのない違和感があったようで、トイレから出たとき私の顔を見て、「???‥‥」。初めてのことなので不思議そうにして、言葉を失っていました。自力で排便が叶ったのです。この日は圧し始めから、「いつもと違う」というのが私の感覚でした。なるほど納得でした。 

 二分脊椎症患者の指圧治療は、状態と経過が一人ひとりかなり違うので、全身状態は圧しながら、注意深く観察していきますが、考えていなかった驚きや、感動的な場面に出会うこともしばしばあります。やりがいのある、手作り感のある仕事だと思っています。実はこの時点では、彼女は洗腸から脱していませんでした。本来なら洗腸の水を減らしていきながら、自力排便にもっていくことが多いのですが、やはり一人ひとり違うものだと、改めて強く思いました。これも初めてのケースでした。

 その後、洗腸の水を減らしながら、昨年128日からは24日間、洗腸せずに頑張りました。新年11日になってまた洗腸を1回行い、その後、指圧だけて便性の改善を目指していました。指圧をするごとに身体の変化が目で見ても分かり、骨格も緩んできたのがわかるようになってきました。詰まっていた腰や頸、腹部もだんだん納得できる状態になってきました。227日、来院時に80日間洗腸をしなかったので、本人の不安もあり久しぶりに洗腸を行ないました。この間も身体は順調に改善に向かっていました。排便に関わる重要な腰部の「詰まり」は取らなければならないと、奮闘していました。

 本年227日、来院した時に彼女が言いました。
 
「先日、お腹の張りが気になり洗腸をしたら、全てが以前に戻ったように、体調が最悪になってしまった。ただ1回の洗腸だけてこんなになるとは‥‥」
 
もう洗腸は、要らない身体になったことを自覚したようでした。
 
 
毎週施術していた指圧も、クールダウンしながら続けました。今回の私の治療目標である、詰まりの強い腰部「基本指圧伏臥位肩甲下部10点目」が、やっと緩んできました。
 
中から出てきた「コリ」の硬さは凄いものでした。例えが適切な表現ではないかも知りませんが、硬さが人間の筋肉でなく枯れ枝のように全く弾力がなくなっていました。すごいものです。この深部のコリは長年の洗腸による身体の負担からできたものだと思います。  
 
ちなみに、彼女は1500ccの水を使い、1日置きに洗腸をしていました。調子によって連日の時もあったといいます。うまくいかないときは、それを2回行っていました。バリバリ仕事をしている彼女ですから、時間のかかる洗腸を続ける負担から解放されたことだけでも、どれだけ楽になったでしょうか!

 目的に到達したので、彼女は指圧治療を「卒業」です。おめでとうございます。
 
また1人、指圧を通して、人生を変えた人が、生まれました。
 
基本指圧を学んで、本当に良かったと思った瞬間でした。ただ、なんとなく淋しくなりました。また時々指圧を受けに来てね。 


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