「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

2年振り、甲野先生の講座に感激

2006年11月29日 | 雑感

 11月27日(月)、この日は天気予報通りの、冷たい雨が降ったり止んだりした寒い1日でした。

 仕事は定休日なのですが、それはそれでまた忙しく、朝からバタバタ仕事を済ませ、12時半には埼玉の自宅から、江戸川橋の鈴木林三先生の治療所へ行って指圧を受けました。鈴木先生は日本指圧学校の実技講師で、私の臨床指圧の師匠です。
 途中、池袋のデパートに立ち寄って必要な食材を買い、指圧の後、いったん自宅に帰って夕食の準備。そのあと、改めて綾瀬の東京武道館に向かいました。

 定刻5時30分の10分前に会場に到着。楽しみにしていた甲野善紀先生の講座に、2年ぶりの参加でした。先生は武術家で、武術をいろいろな「動き」に生かした講義をしておられます。
 ヨーロッパから帰られたばかりなので、お疲れかと思っていましたが、いつも通りのみごとな動きで、いろいろな分野からの参加者の質問に応えていらっしゃいました。
 私も指圧を施術する中で、身体の中の重心をもっと自由に動かせないものかと思っていましたので、その勉強のために参加したのでした。私の質問に対して、実演しながらの説明はとても興味深く、いつもながら貴重な体験をさせてもらうことができました。

 甲野先生の講座の特長は、なんでも体験させてもらえて、とにかく文句なしに面白いので、いつも必ず感動して帰宅するのですが、気が付くと何も教えてもらっていないのです。
 体験して、自分で工夫し、何かをつかませようというスタイルなのです。そのため、体験した動きを自分なりに消化する作業に、結構時間がかかってしまうのですが、思わぬ進展があったりするので楽しくて止められません。

 今回も、「復元力だ!」という気付きに出会いました。これから自分なりの消化作業に入ろうと思っています。新たな進展に期待して……

 新しい発見がありましたら、またお知らせします。


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“指圧師の卵”、希望の船出

2006年11月26日 | 素晴らしい指圧効果

  ハント症候群で入院

  2年前の平成16年11月、Y さんの舌に白いブツブツができ、だんだん食欲がなくなって物が食べられなくなり、とうとう擂(す)ったリンゴも、アイスクリームも受け付けなくなってしまいました。
 近所の耳鼻科の診察では異常がないと言われたのですが、体調は悪くなる一方。そのあと行った大学病院で、ハント症候群による顔面神経マヒと診断された Y さんは、直ちに入院させられました。目まいがひどく、待合室で坐って待つこともできず、診察するにもベッドに寝た状態だったようです。

 入院予定は当初8日間ということでした。ステロイド剤を点滴したのですが、ひどい発熱で受け付けません。星状神経節ブロック注射といって、少量の麻酔薬を首の神経節に注射する療法も受けましたが、これも高熱、吐き気、目まいがひどくてダメだったそうです。
 食事もできず、トイレさえ歩いて行けない状態で、栄養剤の点滴を受ける以外に手の施しようがありません。やがて目まいと吐き気が治まり、食事が少しできるようになったところで、これ以上入院していても治療法がない、ということで 退院 しました。入院から17日が経っていました。
 
 翌17年1月から1週4回の鍼(はり)治療と、1回の星状神経ブロック注射に通いましたが、1年間経って、病院から「これ以上の改善は望めない」と言われ、治療を打ち切られたのです。

  「指圧師になりたい」

  指圧愛好家のお母様の勧めで、Yさんは今年(平成18年)8月から私の治療院で指圧を受け始めました。月2回程度ですが、治療のあと Yさんはとても安心感を持てるらしく、やがて自ら「指圧師になりたい」と言って日本指圧学校を受験して合格。来春の進学に胸を膨らませています。
 ウイルスによって切断されてしまった顔面神経が、違った状態で繋がってしまっているものがあるらしく、以下の後遺症が残ってしまい、医師からは、生涯、自動車・バイクの運転はもちろん、自転車に乗ってもいけないといわれているようです。

 目の後遺症
  ● 複視(右目は物がダブって見える)
  ● 笑うと右目が一緒に動いてしまう
  ● 口を開けると右目が閉じてしまう
  ● クロコダイルアイ(物を噛むと右目から涙が出る)
  ● 泣いても右目から涙が出ない

 口の後遺症
  ● 口の中、右半分の味覚がない
  ● 歯が噛み合わない
  ● 口の右端からよだれが出る
  ● 水を飲むと口の右端からこぼれる
  ● 寒いと顔の右半分が強くこわばる

 以上は治療の余地がない後遺症として、Y さんは現在諦めてそのまま暮らしています。

  “指圧治療”にかすかな光明

  ところが指圧をしてみると、明らかにこれにかかわると思われる固さが身体にいくつかあり、これらが弛めば治癒の“可能性”があるように思われ、鈴木林三先生に指導をいただきました。
 曰く、
「人間の生命力というのは、計り知れないものがある。何より、本人が希望を持って前向きに治療を受けることが大事、まして指圧師を目指すならなおさらである。根気よく続けると、思いがけないことが起きることがある」
 現在月2回の治療でスタートしているのですが、このことが貴重な体験だった、と共に思える治療にしていきたいと考えています。

 治療経過で何か注目すべきことがあれば、また報告いたします。


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地方で初、同窓会主催の一泊研修会

2006年11月20日 | 指圧の活動
  日本指圧学校同窓会主催の一泊研修は、静岡県富士市で、地元のK先生の研修会に合流する形で開催されました。この研修会は2回目ですが、地方での開催は初めてです。私たち基本指圧研究会からは、3名参加が参加しました。
 主催者の同窓会幹部には、新幹線乗車券まで手配していただきました。細かいご配慮まことにありがとうございました。

 私は11月16日、同志と最寄の駅で落ち合い、9時23分東京発のこだまで新富士へ向かいました。車中、晴天に恵まれて間近に見る富士山に、何とも言えないすがすがしい気分を味わったものです。
 新富士駅からは、送迎バスで研修会場・富士ハイツへ。

 そのあと昼食をとり、13時から16時30分まで、パネルディスカッションを行いました。K先生、S先生とご一緒に、私もパネラーとして参加。「指圧界の現状」や「今後の展望」、また「いかに稼ぐか」などについて熱心に意見が交わされました。臨床の最前線にいる方々との質疑応答は、治療の世界で、各自が置かれている立場や、環境の切実さがひしひしと伝わってくるものばかり。ざっくばらんな雰囲気の中での、忌憚のない意見交換が、とても有意義なものでした。
 予定時間はあっという間に終了し、会食・懇親会で和気あいあいの中に打ち溶け合い、1日目は終了。男性群はその後、街へ繰り出し、遅くまで2次会を楽しんだようでした。

 翌17日は、9時から12時まで、途中1回の休憩を入れてK先生の実技指導。ベテランの先生方が皆初心に戻り熱心に取り組んでいらっしゃいました。
 ほうぼうの指圧の講習会ではよく見かける光景なのですが、せっかく講師が講演しているのに、会場のあちこちで全く違うことをやっているグループがあります。ひどい場合は、周りの参加者を集めて、ミニ講習会らしきものを勝手に開いている人がいます。いったい何をしに来ているのか、と人間性を疑う気持ちになってしまうことがよくありますが、今回の参加者は違っていました。
 地元で長年頑張ってこられたK先生のお人柄もあるのでしょうが、主催者側の情熱にひかれたことも大きかったようです。皆それぞれの想いを持って望んでいたのだと思いました。

 地方での、このような形態の研修会は初めてでしたが、これを今後につなげ、やがて立派な会に育てていきたいという気持ちが、会場全体をひとつにしたように見えました。
 新しい試みの研修会がスタートしたのです。どうかより素晴らしいものに成長してほしいと心から願い、初回に参加できたことに感謝し、感動に包まれて帰路に就きました。

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叔父の冥福を祈って

2006年11月15日 | 分類なし

  11月8、9の両日、叔父の葬儀参列のため富山へ行ってきました。

  大宮から上越新幹線、越後湯沢で
乗換。そのあと
「ほくほく線」金沢行きで、富山まで3時間です。私は小学生当時、3年間富山で過ごしたことがありますが、改めて便利になったと感心したものです。今秋の異常な暖かさはこちらも例外ではなく、軽い身支度ですみ、助かりました。

  
亡くなった叔父には当時大変お世話になり、可愛がってもらった記憶があります。病弱で、ここ1年8カ月入院生活を送っていましたので、覚悟はできているつもりでしたが、いざとなると、やはり寂しさが込み上げてきます。
  闘病生活が長かったので、やつれ果てていたのではないかと案じていましたが、きれいな顔で今にも起き上がってきそうだったのが、悲しみのなかで一縷(いちる)の救いでした。
  昨年春、もう会えなくなるかもしれないと思って、私は日帰りで見舞いに行き、指圧をしてあげました。ほとんど話すことができなくなっていましたが、動かなくなっていた左腕が上がるようになり、とても喜んで、握った私の手をいつまでも離そうとしなかった叔父さん。

  叔父は山が大好きでした。葬儀の朝、視界に入った立山連峰の美しさが、私の悲しみをさらに募らせました。幼い頃ずっと見ていたこの山は、実はこの村から見る姿が最高なのではないかと思っています。
  連峰の中央手前に弥陀ヶ原がゆるやかに広がり、その奥には室堂から立山雄山へのスロープが真正面に見え、その冠雪は溜め息が出るほどの凄みさえあります。

  叔父さん、いずれ私たちもそちらの世界へ参ります。そのおり、またいろいろ語り合いましょう。今はただ、心からのご
冥福をお祈りします。


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温かい励まし・ご意見に、心から感謝

2006年11月04日 | 雑感
   出版した拙著「自然治癒力を高める基本指圧の絶大効果」(文芸社)に対して、本当に多くの方々からご意見、ご感想をいただきき、心から感謝しています。ありがとうございました。

  手紙や電話でのお励まし、ご自分のホームページ上で紹介してくださった方、ていねいにお調べの上でのご意見など、恐縮してしまいました。
  どのお言葉も的を射たものばかり、本の原稿を書いているときに、迷ったり訂正したりした事項に対するものが多く、驚いています。

  おかげさまで、初版は完売しました。いただいた貴重なご意見を、今後の前進の糧として、気持ちを新たに頑張っていきたいと思っています。今後ともよろしくお願い致します。

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