「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

来てくれてありがとう! お互いに頑張ろうね

2011年06月19日 | 分類なし

光ちゃんは19歳、いつもにこにこして、周囲を和ませてくれる素敵な女性です。

彼女には先天的に骨形成不全症という病があります。これはわずかな刺激で骨折したり、進行性の骨変形をおこすなど骨脆弱性に加え、結合組織の病状を示す小児慢性特定疾患です。

 

生れたとき、出産の全身ショックで18ヵ所の骨折をしたということです。ですから両親は、可愛くてたまらない嬰児のときにもうっかり抱くこともできなかったそうです。充分注意していても、これまで68ヵ所を骨折したといいます。下肢も変形して、背もあんまり伸びません。でも、指圧を始めて全体に大きくなってきました。

 

しかしこんな境遇にもめげず、私達を幸せにしてくれる笑顔はどこから出てくるのでしょう。そして、人を思いやるその優しさは…。お母さんを見ていると、彼女はその素晴らしいところを受け継いでいるに違いない、と私は思っています。

 

光ちゃんは高校を卒業し、今年の春から障害者施設で仕事をしているそうです。パソコンをやるそうですから、あるいはそちらの仕事をしているのでしょうか。無理をせず、どうか一歩一歩進んで行っていただきたい。

 

616日、光ちゃんとお母さんが治療院を訪ねてきました。お母さんは私が倒れるまでは、子供の治療のため指圧を習いに、チャレンジ指圧教室に通っていた方です。

今回、所沢からわざわざ会いに来てくれたのです。私が治療院に顔を出しているかと思ってこれまで2度来てくれたらしいのですが、お休みの日に重なったのか、誰もいなかったそうです。今回3回目でやっと会えたと、とても喜んでくれました。本当にありがとう。

 

親子で私のこのブログを見てくれているそうです。私が倒れて1ヵ月半ぐらいあと、「現在リハビリに励んでいます」という私の談話をこのブログに掲載しました。読んで、嬉しくて涙を流し、何回も読み返したと話してくれました。

 

今度もスタッフと台湾旅行をした記事を読み、「もう大丈夫だ」と嬉しくて会いに来てくれたというのです。私も涙が出るほどうれしかった。そしてこういう親子にこそ、本当の幸せが巡ってきてほしいと願わずにはおれませんでした。


  光ちゃん頑張ろうね、決して無理をせずに。

おかあさん、明るい未来が開けますように、私も心から祈っています。

 

 

 


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一歩ずつ仕事に復帰します、よろしくお願いします

2011年06月18日 | 指圧の活動

私が脳出血で倒れたのが、昨年1212日でした。ほぼ2ヵ月後の210日に退院して、以来リハビリを続けていますが、いつから仕事に復帰するのか、そのきっかけを探していました。

 

もちろん、以前ほどの仕事量をすることは考えていません。当面は11名の予定です。今回、スタッフと台湾旅行をしましたが、帰ってきたのが11日。倒れてちょうど半年でした。これをきっかけに、一歩ずつ仕事復帰をしようかと考えています。

 

当治療院の新しい体制も、現在、いろいろ模索しています。決定いたしましたら、お知らせする予定です。当面、皆さまにはご不満・ご不便をおかけしますが、今後ともどうかよろしくお願いいたします。

 


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あっという間の4日間、いよいよ帰国の途へ(台湾旅行の報告)

2011年06月17日 | 分類なし

 <611>

 台湾旅行もいよいよ終わりです。この日は免税店などに寄って空港へ行くだけ、成田に午後510分着の予定です。過ぎ去ってみると、あっという間の出来事でした。楽しいことは、本当に早く終わってしまうのですね。 

 

 午前9時、ガイドさんがホテルのロビーまで迎えに来てくれて桃園国際空港へ出発。途中、宝石を扱う免税店に寄りましたが、そこには普段見ることができない物があったのです。 

 

 まず第1に驚いたのは、ヒスイに彫った巨大な白菜。 

 ヒスイにキリギリス、イナゴを彫った白菜は、故宮博物院の超目玉の財宝として有名です。「翠玉白菜」と名付けられていますが、翠玉巧彫の最高傑作といわれます。高さは20cm足らずでしょうか。

 

 しかしこの店に展示されていた白菜の彫刻には驚きました。もちろん翠玉白菜のような精緻な彫り物ではありませんが、ともかくその巨大さです。全長1m30cm140cmもあったでしょう。葉には、ちゃんとキリギリスも彫ってあります。全体に白く、葉も翠(みどり)ではありませんが、ヒスイの原石を彫ったものであることは間違いありません。確か日本円で数千万円の値がついていたと思います。

 

 また私の背よりも高いヒスイの壷。本物のヒスイは、たとえ色が濃いものでも中に蝋燭を入れると明かりが壷の外へ漏れてくる、と話していました。これが3500万円ほど。こんな壷が店の中にゴロゴロしているのです。買うことができないので、せめてもと写真を撮ってきました。

 

 この店で私が自分用に求めたのは、携帯に付けるストラップです。ヒスイで彫った飾りがついたもので何千円かのリーズナブルな物ですが、一目見たときから気にいってしまい、結局求めることになりました。

 

 そのあと空港に到着。メンバーは8人もいるし、しかもエコノミーですから、席が1ヵ所にまとめて取れないかもと案じていたのですが、無事かたまって座ることができることになり一安心。空港で残った台湾ドルを使おうとお土産を買い、飲食店で點心と生ビールを頼みましたがたいへん美味でした。

 

 搭乗口へ行く途中、壁面のプラスチックに見事な「墨書」を焼き付けてありました。写真を見てください。反転して文字の部分が透けて明るく作られたものですが、それはそれはみごとです。ここでも改めて「漢字の国」を実感させられました。

 少し余裕を持って搭乗口に着いたので、そこでキャセイパシフィックの空港職員に8名の集合写真を撮ってもらいました。

 

 飛行機は定刻どおりに成田着。そこで別れる人、日暮里まで一緒の人など様々でしたが、ともかく思い出に残る旅が無事終了しました。参加の皆さんもきっと同じ気持ちだと思います。

拙い旅行記を長々読んでいただき、ありがとうございました。(終わり)

 

紹介したい写真を、何枚か掲載します。

 

             巨大なヒスイに彫った白菜 

 

               空港で心と生ビール 

 

 

          この素晴らしい書をご覧ください 

 

 

                           搭乗口の前で集合写真 


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「家楽福」とはカルフール! 夕刻には淡水に足を延ばす(台湾旅行の報告)

2011年06月16日 | 分類なし

<610>

この日は自由行動です。前もって目的を決めて行動する人、故宮博物院へもう一度足を運び堪能するまで鑑賞する人、などさまざまでした。 

 

私は夫と台北101に行きました。高さ508メートル、世界第2位の高さのビルです。89階の展望台までエレベーターで38秒、世界最速だということでした。382メートルの高度から360度のパノラマを眺めた後、フランス資本の巨大スーパーマーケット「カルフール」へ。

 

実はこのカルフール、どうしても行ってみたかったのですが、どこにあるか場所がわかりません。夫にホテルのレセプションでも聞いてもらったのですが、「カルフールというスーパーはないが、家楽福という大きいのがある」と教えてもらったそうです。

台北101のあと、ガイドブックに載っていた頂好というスーパーへ行ったのですが、まったく期待外れ。雨も降ってきたので車に乗ったところ、夫がホテルで聞いていた家楽福という名前と住所を、運転手に示して、行くように指示したのです。

 

私はあんまり気乗りがしなくて、途中、「この車、道を間違っているよ」「さっき台北駅が見えたから、ぜんぜん違うところへ連れて来られているよ」と散々文句を言っていました。運転手も少しは日本語がわかるようで、途中すごく不機嫌になったのがわかります。

 

やっと目的地に到着。エスカレーターに乗ったとたん夫が、「ここがカルフールだ」というのです。指さす方を見ると、「家楽福」と書いた下に、小さく「Carrefour」と書いてあるではありませんか。家楽福はCarrefourの中国訳だったのですね!!

 

「運転手さんごめんなさい」

「お父さんごめんなさい」

 

やっと目的のスーパーマーケットにつきました。さすが、家庭生活用品、食料品の品ぞろえには驚きました。もっと見たかったけど、なにせ時間がない。

 

そのあと電車で淡水へ。淡水には午後5時に、飯野さん、大澤さん、山岸さん、沈ちゃん、阿部さんが合流することになっています。

この日はあいにくの雨催(もよい)、「東洋のベニス」と謳われた夕景も期待できませんでした。

定刻5時、7人が揃いました。雨は降ったりやんだり、傘を差しての海岸散策です。

 

ある人が向う岸に渡りたいと言いました。渡し船がしょっちゅう往復しています。渡し船というと、櫓や櫂で動く小さい船を想像しがちでしょうが、小さい遊覧船のようなそこそこの船でエンジンがついています。

さて、対岸へ渡ったものの、ことに行く予定もないのですぐに戻ってしまいました。どこかで夕食を食べようということになったのですが、どこで食べたらいいかわかりません。

 

あっちこっち探し歩いた結果、「○○大飯店」という電飾看板が見えて、そこへ入ろうということになりました。大飯店は台湾・中国ではホテルのことですから、当然レストランがあるでしょう。

「さあ、入ろう」と思ったとき、何軒か先に鍋料理の看板が見え、全員の意見が一致してそちらに変更しました。

 

席に着いたら、ここで夫が奥の手を出しました。

実は沈ちゃんはベジタリアンです。また野菜の中でもタマネギ、ネギ、ニラ、ニンニクを食べることができません。もちろん肉・魚介はNG、そのダシもだめなのです。そこで出したのが台湾で使っていると思われる北京語で(大陸で使っている簡体字の北京語とは違います)、あらかじめ書いてきたカードを店員に示しました。これは夫が知り合いの婦人に翻訳してもらったのだそうです。

 

「這位太太不敢喫肉類,魚類和貝類,也不敢喝鷄湯等肉類湯和魚湯。還有,不敢喫洋葱,大葱,大蒜,韮菜。有没有用其他的蔬菜做的菜?或者,有没有隻用鷄蛋做的菜?」

(この婦人は肉と魚介類が食べられません。肉・魚のダシもダメです。野菜もタマネギ、ネギ、ニンニク、ニラは食べられません。それ以外の野菜や卵で作った食べ物がありますか。あるいは、何か作ってもらえますか)

 

この文章は、好き嫌いで食べたことがない、食べる勇気がないので食べられない場合の表現だそうで、アレルギーで食べられない場合は「不敢喫」を「不能喫」というのだそうです。

店員がすぐに沈ちゃんを材料のあるところへ誘い、自分で好みのものを選ぶように話してくれて一件落着。心配していたのでホッとしました。

食事のあと、電車で淡水から最寄りの民權西路駅へ行き、ホテルまで徒歩です。

 

帰ってからは「反省会」。といっても難しいことではありません。皆さんとゆっくり話せるのも「今宵限り」、そこで御苦労さま、という意思表示をしたかったのです。

本当に楽しかった、言葉では言いませんが、実は企画・進行してくれた夫には内心感謝しています。(以下、次回に続く)

 

 

          写真(左)は台北101の全景。その前で記念撮影

 

             展望台から台北市街をのぞむ

 

                 これから電車で淡水へ

 

                  鍋を囲んで盛り上がる

 

 

 


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7月10日(日)に久々の月例練習会を

2011年06月15日 | 指圧の活動

  7月10日(日)午後1時30分から2時間、久々の月例練習会が池袋の勤労福祉会館で開催されます。半年ぶりの練習会、この日は私も出席します。こぞって参加して、日頃の修練の成果を示していただきたいと思います。

 

  なお8月の月例練習会は、日本指圧専門学校同窓会主催の実技研修会を充てます。詳しくは詳細が発表になりしだいお知らせします。


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故宮博物院鑑賞のあと「九ふん」を散策(台湾旅行の報告)

2011年06月14日 | 分類なし

  <6月9日>
  
ホテルで朝食をすませたあと、小型バスでいよいよ観光ツアーに出発です。

  総統府中正紀念堂などを経て中国茶専門店でお茶セミナー。昼食は「鼎泰豊」で小籠包のコースです。

 

中正紀念堂は蒋介石の業績をたたえるために、息子の蒋経国が建立したもの。税金で、よくよくこんなバカでかい物を建てた、と半分は呆れています。蒋介石は、名は中正で字は介石。日本では蒋介石と呼ばれていますが、台湾一帯では蒋中正といわれ、名に由来して中正紀念堂と名付けられたということです。

 

午後は、まず故宮博物院へ。蒋介石が大陸から台湾へ逃げるとき、軍艦3隻で運んだ数10万点の宝物は、まだ公開されていない物が多数に上るという。ここは大英(イギリス)、エルミタージュ(ロシア)、メトロポリタン(アメリカ)と並ぶ、世界4大博物館の1つです。時間はおよそ90分、なにせ数が多いから、相変わらずの駆け足鑑賞です。

 

ガイドさんとの待ち合わせ場所は孫文の像の前に決めていましたが、場所がわからなくなってしまいました。夫が博物院の職員に「孫文の像はどこですか」と尋ねましたが、「ノー・ジャパニーズ。スピーク・イングリッシュ」と返ってきたのです。そこで、

OkayHow can I get to the Statue of SOMBUN ?

 

 ところが「SOMBUN?」、相手は全く理解できません。日本語を少し話せる人なら「ソンブン」で通じるのですが、中国(もしくは台湾)の発音は別なのですね。たとえば毛沢東は日本では「モウタクトウ」と言いますが、中国では「マオツートン」(英文でもMao Ze-dong、またはMao Tse-tung)。

  夫は孫文の中国読みを知りません。そこで紙とペンを取り出して「孫文」と書くと相手もすぐに分かって、場所を教えてくれました。

  「さすが漢字の国」

  思いがけないことで感心させられた一幕でした。

 

  その後、忠烈祠に寄って衛兵の交代を見学しました。衛兵は台湾の兵隊ではエリート中のエリートなのでしょうが、夏も冬も、雨でも嵐でも1時間は直立不動で、顔に蚊が止まっても掻くこともできない。つらい話です。

 

夕刻は九份トワイライトツアー。散策するうちにようやく日も傾きはじめ、提灯の明かりに異国情緒が漂います。

九份はもともと台湾の一寒村に過ぎなかったのですが、19世紀末に金鉱が発見されたことで徐々に町が発展し、日本統治時代に町としての最盛期を迎えたそうです。その後、金鉱が閉山されてからは急速に衰退し、一時は人々からも忘れ去られましたが、やがて80年代になり、台湾映画「悲情城市」のロケに使ったことで再び脚光を浴びるようになりました。

現在では映画のロケに使われた街路を中心に、かつての金鉱の町から観光地へとその姿を変え、多くの人々で賑わっています。

 

九份の街並みは日本統治時代の面影を色濃くとどめた、全体としてレトロ調な街並みで、当時の酒家(料理店)などの建物も多数残されてその多くは現在喫茶店などに改装されているといいます。

日本では、宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった街、として紹介されることが多いようです。夕食は「九戸茶語」で郷土料理に舌鼓。

 

そのあと九份から台北まで、およそ60分の道のりを専用バスで移動。士林の夜市で降りました。

夜市の食べもの屋は劍潭駅のそばに集められ、「美食広場」として栄えていますが、そのほかは以前来た時より、心なしか淋しい感じがしました。帰りは劍潭駅から民權西路駅まで2駅。ホテルまで徒歩約5分です。

 

台北を満喫した1日でした。それにしても疲れました。病気上がりのくせに、健康な人並みに動いているのですから。(以下、次回に続く)

 

             故宮博物院の孫文の像の前で

 

            忠烈祠の正門

 

                   衛兵の交代が行われている

 

          九份の坂で全員で撮影

 

「千と千尋の神隠し」のモデル、九份の

                 

 

 

              上の2枚の写真は士林の夜市


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台湾慰安旅行、市内観光や故宮を満喫

2011年06月13日 | 分類なし

今回、慰安旅行に参加したのはスタッフ5人と今後仕事を手伝ってもらう予定の女性1人、それに夫と私の併せて8人。旅行の立案、旅行社との連絡、日程管理、会計は夫が担当してくれました。行ったのは次のメンバーです(敬称略)。 

 

村岡曜子(院長)

飯野とみ子(院長代理)

大澤直美(副院長)

熱田大吾郎

山岸明美

沈賢美

阿部紀子
   ――――――――――

村岡長治(治療院顧問)

 

 <6月8日・9日>

  旅行直前まで飯野さん、沈ちゃんが風邪のため体調が思わしくなくて心配していました。私も少し指圧をしてあげて、症状の改善に努めてきましたが、当日元気な姿を見てほっと一安心。

お昼前に池袋で待ち合わせて、日暮里からスカイライナーで成田へ。今は第2ターミナルまで30数分です、かつてより20分近く短縮されたのには驚きました。これなら、羽田へ行くのと全く変わりません。池袋からなら、むしろ便利かも…。

 

8日、ホテルのチェックインをすませたのは夕刻8時過ぎでした。出発がゆっくりだったので、この時間になってしまいました。機内食は出たのですが、少し物足りなかったので近くのセブンイレブンで飲み物と少々の食べ物を購入。なにせ、台湾は人口当たりのコンビニ数は世界一だといいます。それも台北に集中しているのです。

私達が3泊したサントスホテル(三徳大飯店)も、隣と大通りを隔てた向かいにセブンイレブンがありました。

 

9日は、1日ツアーを申し込んであります。ホテルで朝食をとった後、用意した小型バスに8人が乗り込んで出発です。

総統府、中正紀念堂など台北市内観光から、故宮博物院、忠烈祠の衛兵交代などを見学して、九份(きゅうふん)の散策。そのあと士林の夜市でバスを降り、夜市を見たあとは電車でホテルに帰りました。予定満杯の1日でした、これで疲れがたまったのかも…。(以下、次回に続く)

 

写真はホテルでの朝食(上2枚)と、中正紀念堂。

 

 

 


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スタッフの台湾慰安旅行、たいへん喜んでくれました

2011年06月12日 | 分類なし

療院のスタッフなど8名で台湾4日間「慰安旅行」に出かけて、昨日帰ってきました。皆さん大変喜んでくれて、企画したかいがあったというものです。

 しかし、今日はもうグッタリです。病後の体力が十分回復していないところを、元気なときなみに日程をこなしてしまいました。少し体力が回復してから、台湾の報告などさせていただきたいと思います。 

 上の写真は故宮博物院の建物の中、孫文の座像の下で撮影したもの。下は台北101の展望台から見た景色。




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