「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

可愛い由布島の水牛、フィナーレは太鼓・三線等の舞台を楽しむ

2011年11月28日 | 指圧の活動

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  午前中は指圧をして、そのあとホテルに戻ってランチ。ここまでは昨日と同じパターンです。この日、食事のあと全員で由布島へ行こうということになりました。前にも書きましたが、西表島へはこれまで4回も来ています。しかしいつも指圧に明け暮れ、どこへも行ったことがなかったのでとても嬉しかった。ぜひ行きたかったところの1つです。

  ホテルから車で40分ほどの距離ですが、途中10分ほど、中野わいわいホールへ寄り道をしました。文化祭の展示品などはここで見ることができるのですが、西表の民具を作らせた第一人者というノージの品物が展示されているのです。ノージというのは人の呼び名です。ちゃんと本名があるのですが、昔から地元の人がノージと呼び、呼ばれると返事をするのです。でも本人が、「なぜノージか分からない」と言うのですから不思議です。

  夜には文化祭のフィナーレの催しがあるため、午後5時には展示物が撤去されます。彼の作品は全国的に名が売れており、著書も何冊か出しています。作品を見られないというのもあまりに残念なので、由布島へ行く前にちょっとのぞきました。ノージは私の指圧愛好者でもあり、この日も午前中に施療したばかりです。

  そのあとでやっと目的地へ到着しました。話には聞いていましたが、初めて来た由布島。西表島からの約400メートルを、水牛車に乗って渡ります。昔は稲作の拠点で住民も多かったそうですが、今は島のオーナーの自宅と観光の従業員宿舎があるだけで、10数人が住んでいるそうです。

  島
には売店やレストランがあり、いろいろなお土産を売っています。水牛の角でできたフクロウや装飾品など、珍しいものもあります。
 
その奥には植物園。周囲2キロ、面積0.15平方キロという狭い島ですが、島全体が植物園で、4万本以上のヤシや、さまざまな熱帯植物があり、群生するブーゲンビリアがみごとです。この島へ渡る水牛車は10人から14人乗り、観光客にたいへん人気があります。 
  海面は大潮の干潮時には干上がり、満潮時には1.5メートルにもなるそうです。この日、来たときは水深40センチ程度でしたが、帰りはやや潮が満ちて7080センチになっていたでしょうか。

  水牛は実に利口な動物で、牛方(うしかた)の言葉を理解して行動するため、ほとんどムチは使わないといっていました。何より車を引くときは、自分から車の“引き手”に首を入れる。終わると自分からは外すのです。目的の対岸に着くと、Uターンして次の客が乗るのを待つ。何と可愛いではありませんか。

由布島には池があります。その周りを柵で囲い、長いリードをつけた水牛を放しておくと、自分で池に浸かるのです。話によると、水牛は体温がたいへん高いので水につかって下げる、とか。ともかく可愛い。夫は3回目だといいますが、私は初めて。ぜひもう1回来たいと思いました。

 夜は島人文化祭のフィナーレです。「舞台の部」ということで古典太鼓、舞踊、三線を堪能させてもらい、最後、島の参加者が一体になって踊っていました。感動的なひと時といえるでしょう。

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この日は早朝から大騒ぎになりました。と言っても騒いでいた、というか慌てていたのは夫だけ。私は「夫なら何とかするだろう」とホテルのレストランで悠々の朝食。あと参加した5人は、事態を知りませんからもちろん慌てることもありません。
  実は西表に連絡船で到着したのは上原港、帰りもこの港でレンタカーを返却する予定でした。朝920分出港の船ですが、チェックアウトもありますからあんまりゆっくりはしておれません。

  7時ちょっと過ぎ、夫とレストランに降りて行きました。すると入口に「上原港― 石垣港 欠航」と貼り出されているではありませんか。風波が強いから、という理由です。レストランにはすでに他のメンバーが来ており、出発に合わせ早い目の食事をしていたのです。

  私は何とかなるだろう、と思っていました。しかし夫はそれどころではありません。食事もお粥を一口食べただけで、さっそく対策を練っていたようです。
 ホテルから上原港までなら車で10分弱。しかし、上原港から見て島の反対側にある大原港から船が出るというのです、そこまでは1時間かかるのです。その場合、レンタカーの返却はどこでしたらいいのか。

  レンタカー会社が始まるのが8時です。それから打ち合わせて、大原港まで1時間。そのあと指定個所に返却手続きをして港まで行き、930分の船に乗る。なるほど、時間はギリギリでしょう。



何とかなるだろう、と私は楽観していましたが、その通り何とかなりました。夫に来てもらってよかった、と思った一瞬だったかもわかりません。石垣から那覇への航空便が決まっているので、この船に乗らなければ間に合わなかったのです。しかも往復ツアーパックで組んでもらったので、違う便に変更できないそうです。

  那覇へ到着しました、ここは大都会、集合時間まで自由行動です。私は夫と首里城へ行きました。空港からモノレールで首里駅まで、そのあとタクシーですぐです。以前も来たことがあるのですが、そのときは時間もなく、周囲をざっと見ただけで帰ってきました。
  この日は40分ほど時間をかけて、中を少しは見ることができました。日本本土の古来の城とは全く異なり、やはり昔は日本とは違う「琉球王朝」だったのだ、と強く感じたものです。

  1655分那覇発、羽田には午後7時過ぎに着きました。気流の関係かどうか私には分かりませんが、沖縄便は往路より復路の方が早いのです。
 
ともかく無事任務を果たし、また観光もできて満足のいく4日間でした。私の体調の関係もあり、「これで最後か」と思っていたのですが、現地の皆さんが喜んでくれる様子を見ると、また来なければいけないのかな? と考えています。

 
繰り返して言います。次に西表行きが決まったときは、なるべく大勢参加できたらいいな、と私は考えています。(西表島の報告終わり)
 


西表島と由布島を結ぶ水牛車




池に浸かって体を冷やす水牛




フィナーレの舞台を楽しむメンバー


那覇の国際通り


首里城の守礼門
 
   

ノージの作品

 

 


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西表で夕食にガザミ料理、外は漆黒の闇にホタルが光る

2011年11月26日 | 指圧の活動

 3年ぶりに開催された西表・島人文化祭に、私たち基本指圧研究会会員6人、そのほか1人、合わせて7人で参加しました。そのほかの1人とは、私の体調を案じると同時に、旅行の手続き・段取りなどいっさいをやるためについてきてくれた夫です。現地では研究会会員のうち5人が指圧のデモンストレーションをやり、大変好評を博しました。 

 

  これまでは、ほとんど私が1人で1日中指圧をしていたのですが、今回は私が病み上がりということもあり、指圧で勤務または開業している方に手伝っていただきました。「指圧は午前中、午後は観光」と割り切って行動しましたので、私も初めて西表島を観光することができたのは、ある意味ラッキーでした。 

 

  次に4日間の、主として観光の様子をお伝えします。基本指圧研究会会員の皆さん、よろしければ次の機会にはぜひ参加してください。 

 

11月18 

西表島への出発は早朝625分羽田発の石垣空港行きです。途中、石垣島の川平湾でグラスボートを体験したり、市場へ行ってみたりしたかったので、時間がとれるように石垣直行便を選びました。ところがこの便、早朝と午後の2回しかありません。飛行時間だけで3時間30分ですから、早朝便で行くしかなかったのです。

 

石垣島へは955分着、本当に小さい空港です、着陸して空港の外へ出るまで時間がかからないので助かります。

空港を出てさっそくタクシーに分乗しておよそ30分、まっすぐ川平湾に向かいました。グラスボートは海底を見る長方形のガラスボックスを囲んで、1014人ほどが乗る小さい船です。

 

このボート、私は2度目の体験ですが船長が、サンゴが群生する水深の浅い場所を、次々移動して観察させてくれます。さすが石垣島です、水は比類なく透明で、何種類ものサンゴとその中を出入りしている極彩色の熱帯魚を楽しむことができました。大きな魚が彼らを捕食に来ると、一瞬さっとサンゴの中に隠れます。

 

ボートのあとは石垣港へ向かい、港の近くで昼食。朝が早かったので誰もが腹ペコ、昼間からのビールは五臓六腑にしみわたります。気温は30℃もあるのでしょうか、その暑さはしばらく忘れていたものです。

そのあと市場を巡って、1610分の連絡船で西表島の上原港へ渡りました。港には宿泊ホテル、西表サンクチュアリーリゾートニラカナイのバスが待っており、桟橋で従業員が迎えてくれました。

 

私が初めて西表に来たときは、まだこのホテルはありませんでした。当時、建設計画があったようですが、地元の反対で進んでいなかったのです。

そのあとに来たときも12回は民宿に泊まり、このホテルに宿泊したのは今度でまだ2回目です。南国情緒を湛えた立派なホテルで、従業員の教育も行きとどいているのが感じられます。

 

人数の都合で部屋は2人、2人、3人になったのですが、どの部屋にもベッドが3台(基)あり、そのうち1つは天蓋付きです。バリ島など東南アジアの高級ホテル仕様で、ことに女性陣には好評だったと思われます。

 

夕食はホテルから徒歩約5分のキッチンイナバ。これは以前から利用していたレストランですが、出るものはすべて美味しい。ホテルからの距離は近いのですが外の灯りはホテルのエントランスのフットライトだけ、そのあとはまさに漆黒の闇です。

その中に小さく光っているものがあります。木の中で止まっているもの、あるいは飛んでいるもの。ホタルです、本土のものより小ぶりですが、1年中見ることができるということでした。道端で光っているもの、これは幼虫です。西表のホタルは幼虫も発光するのです。

ハブが出ることもあると聞かされ、その中を恐る恐る歩いて往復です。なにせ、ビールで乾杯しますので、車を運転する人がいない。タクシーは午後5時で営業終了です、歩いて帰る以外にない。

 

そういえば、タクシーがなぜ5時で終わってしまうのか。私は以前、地元のYタクシーのドライバーに聞いたことがあります。(今は知りませんが)当時この地域のタクシーは1台、話によると夕方から自分が酒を飲むので5時で営業は終わり、というのです。

その人は、「最近、身体を壊して飲めなくなったから、もっと遅くまでやろうかと思っている」と。いやはや驚いた話です、自分の飲む時間に合わせて営業をしているのですね。ということは、また呑み始めたのでしょうか。

 

11月19

朝食はホテルのバイキングです。気遣いが行きとどいた食事で、味もなかなかでした。一緒に行った同志が一様に「美味しい」と行ってくれるのが、このホテルを選んだ者としてとても嬉しかった。

朝食のあと関係者が迎えに来てくれ、レンタカーに分乗して指圧の会場に向かいました。9時から正午まで、予約してくれた人たちに思いを込めた指圧です。毎回、真っ先に申しこんでくれる人もいます。すぐ定員に達するそうですから、受付を待ち構えているのでしょう。予定通り指圧は午前中で終わり。

 

昼にホテルでランチを食べた後、勧められていたツアーに参加しました。この祭りに合わせて沖縄の古代帆船を復元したそうで、それに乗ってまず櫂で漕ぎ、さらに帆走を体験するというのです。8人ほどしか乗れない小さな帆船です。

ぜひ写真を撮りたいと思ったのですが、水を被るからと出発のときカメラなどは預かられてしまいました。(同型の帆船は写真をご覧ください)

 

本来なら西表島からほど近い鳩間島まで往復する予定だったそうですが、やや風が強く波も立ち始めたので、小船ということを考慮して湾内の航行で止めたのです。慣れないとすぐに転覆させてしまう細身の船ですが、アウトリガー(舷側に取り付け不安定な単胴の船体を安定させる装置)を固定してあるのでその点は安心。でもちょっと傾くと、大騒ぎをしていた女性陣もいましたよ。

櫂で漕いで、そのあと帆走してみる。速度の違いを経験するのが目的です。自然エネルギーの偉大さを実感できた一瞬です。

 

夕方は再びキッチンイナバで食事を。予約していたガザミ(ワタリガニの一種)に舌鼓を打ちました。この料理だけは前もって予約しなければいけません。ガザミ汁とガザミパスタがあって、私はガザミ汁を頼みました。パスタも一口食べてみましたが、ともかくガザミ汁の味は絶品でした。これまで食べた蟹の中で一番美味しかったと思ったほどです。(次回につづく)

 

 

 

川平湾で乗ったグラスボート

 

  

 

 

宿泊したサンクチュアリーリゾートニラカナイ

 

OPツアーで体験したのと同型の復元帆船

 

 

キッチンイナバのオーナーは三線の名手

 


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西表から帰ってきました、いずれ詳しい報告を

2011年11月22日 | 指圧の活動

沖縄・西表の「島人文化祭」で指圧のデモンストレーションを行うため、18日に出発して昨21日に帰ってまいりました。参加者は7名、そのうち基本指圧研究会からは6名ですが、待ちかねていた現地の方たちがたいへん喜んでくださいました。

 

私が病気を患ったという事情もあり、今回で最後の参加にしようかと考えていたのですが、喜んでくださる姿を見ると「次回も来たい」という思いに駆られます。

今回、私たちだけのためにツアーパックを組んでくれる旅行社があり、たいへんリーズナブルの料金で参加することができました。

 

参加した皆さんには「手弁当」で負担もかけましたが、参加を喜んでいただけたようで、次回はもっと大勢の方が行くことができたら嬉しい、とつくづく思いました。

西表島に3泊しましたが、そのうち2日間を「午前中2人を指圧して、午後は観光」ということにしました。

 

最終日は早朝に西表を発ち、石垣から沖縄本島の那覇まで飛行機で。那覇では首里城や国際通りの見物など各自の目標をもった行動を取り、1655分に那覇から羽田に向かいました。羽田着は1910分。

 

今回行って強く感じたことは、若い方たちもぜひ参加していただきたいということでした。

デモンストレーションの参加は、指圧で勤務あるいは開業している方に限らせていただきましたが、基本指圧研究会会員なら参加はどなたでもできます。費用など参考までに知りたいという方がいらっしゃいましたら、遠慮なく事務局までお問い合わせください。

 

会員の意見も参考にして決めますので、毎回同じではないと思います。

今回を例にとりますと、往きは羽田~石垣空港(飛行機)、そのあと石垣港~西表島(船)へ行き、ホテルに3泊。帰りは西表島~石垣港、石垣空港~那覇空港、那覇空港~羽田。

基本費用には羽田からホテルを往復する航空機チケット、乗船料、西表島内のレンタカー、ホテル3泊(朝食付き、今回は特別に2日間の昼食も付きました)が含まれます。

 

昨日帰ってきましたが、病み上がりのせいか加齢からか疲れ果ててしまいましたので、詳しい内容などは改めてブログでお知らせします。とりあえず何枚かの写真を添えてみました。ご覧ください。

 

石垣島の川平湾、グラスボートでサンゴや熱帯魚を観賞

 

宿泊のホテル、西表サンクチュアリーリゾートニラカナイ

 

到着の夜、キッチンイナバで夕食。とりあえずビールで乾杯…

 

 


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椎間板ヘルニア乗り越えて分娩15分の超安産

2011年11月17日 | 分類なし

1030日の日曜日、嬉しい訪問者がありました。926日に2830グラムで生れた理穂子ちゃんを、1ヵ月検診の結果報告かたがた、お母さんが連れて来てくれたのです。母乳で育てていると聞いて、とてもうれしくて…。来訪の前日、3910グラムになっていたと聞いてびっくりです。 

 

この赤ちゃんには格別な感慨があります。私は昨年暮れ脳出血で倒れて、2月に退院してからはリハビリ中心の生活を送っています。あるとき治療院のスタッフから、これまで指圧施療をしていた彼女の出産について、どう対処したらいいのか尋ねられました。

それを機に3月末から私が担当することになりました。病後のリハビリ中でもあり、体力的にも自信がなかったのですが、そのあと妊婦を圧(お)して、「これは難しい。私がやらなければ」と決意しました。

 

彼女の前頸部はかなり詰まっていて圧しにくかったのと、肩の形から見て、何とかしなければ母乳の出に影響があると思いました。

さらにお産に最も大事な腰が尋常ではない硬さだったのです。この腰を弛めない限り、安産はのぞめません。とにかく私に与えられた仕事として、11回の治療を大事に基本指圧で何としても安産を、と思いました。

 

課題の大きな仕事ではありましたが、自分の「復帰」にかけて全力を尽くそうと決意しました。毎回の経過を見ていると、赤ちゃんもお腹の中で頑張っているのがわかります。

いつも治療が終わるころには、お腹の形がきれいになるのがよく分かります。四苦八苦しながらですが経過は順調です。

 

918日、臨月の指圧治療はこれが最後です。

この日、とても不思議なことがありました。彼女の左大腿部内側1点目に、急に見たこともないひどい硬さが出ていました。これがなかなか弛まないので、先へ進んでからまた後もどりして圧してみました。

これが赤ちゃんからのメッセージで、この堅さが陣痛にかかわると思い、これを弛めることできっと安産になると確信できたのです。

 

何回かの指圧施療を通して全体的にも、“陣痛もこれで大丈夫”“母乳もそこそこ出るでしょう”と思うまでになりました。後は赤ちゃんの頑張りに期待して、運を天に…。翌日の診察では、「お産は遅れるからゆっくりしてください」と言われたそうです。そして出産は予定日の次の日に、分娩時間15分で出産したと聞きました。

赤ちゃんの誕生報告はいつも格別な気持ちで聞きますが、今回は自身の復帰祈念という気持ちもあって、思い入れの大きい仕事でした。

 

30日にお母さんが連れてきてくれた理穂子ちゃんは、本当に可愛い赤ちゃんです。大仕事を終えて、本当にホッとしています。

後日、彼女のお父さんが治療に来たとき、お礼を述べていらっしゃいました。彼女には椎間板ヘルニアの持病があったそうで、「お産には腰が大事なので、安産は望めないのではないか」と案じておられたそうです。道理で腰が異常に硬くて、圧しても圧しても弛まなかったわけです。でもこれで一安心ですね。

 

おめでとうございます。このあとも赤ちゃんの成長を見守っていきたい。私もすこしゆっくりしようと思っています。

 

 

 


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文化の日、「ゴヤ展」に行ってきました

2011年11月04日 | 分類なし

 3日の文化の日、国立西洋美術館(東京・上野)に行ってきました。目的は「プラド美術館所蔵 ゴヤ ―― 光と影」と題した展覧会です。

 ネットで見た美術館の紹介記事では、「鋭い洞察力と批判精神に基づく作品で、近代絵画の先駆者とも呼ばれる巨匠フランシスコ・デ・ゴヤ」と絶賛していましたから、私はたいへん期待して出かけました。

 実をいうと私は、ゴヤの作品はこれまでほとんど見たことがありません。ただ彼が高名な画家であることは承知していますから、ものすごく楽しみにしていたのは事実です。

 「着衣のマハ」はなるほどと思わせる作品でした。しかしその余はうなずけるものに出会うことができませんでした。背景と人物を描き込んでいる油彩画、どれを見ても同じです。ひとつを見るとほかも分かってしまう。

 もちろん、世界に名だたる巨匠ですから、私の審美眼がないのだということは百も承知です。しかし、「それにしても」というのが正直な気持ちでした。レンブラント、フェルメールを考えると、あんまり違い過ぎるのです。

 そのあと常設展を見ました。「睡蓮」をはじめ、クロード・モネだけで20点以上あろうかという作品。セザンヌ、ピカソ、ゴッホ、どれをとっても素晴らしかった。「ゴヤ展」だけではなく、これらの巨匠の作品も見ることができたと思うと、何か少し得した気分になりました。

 「ゴヤ展」の私の印象です。

 

 


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