こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

知ったかぶりで知らないことは書けない

2022年12月16日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
鎌倉駅前、島森書店の前の交差点には3ヶ月ほど前からお巡りさんが立っている。
毎朝というほどではないが、週に2、3回は横を通ることになるので、タイミングが良ければ挨拶する。
今朝はずいぶん寒かったので、まだ30前後と思しき若いお巡りさんに、

 おはようございます、
 きょうはさむいですね、

などと声をかけた。
彼も、同じようなことを言って返してくれた。
どうせなら、ご苦労様です、とかお疲れ様です、と言ったらよかったのだが、駅に向かうことに気が行ってしまい声をかけそびれ、それは次にしようと思った。
適切なタイミングでその場に合った言葉を発するというのはなかなか難しい。
これは文章を書く時も同じだ。

ブログのエントリーは内容の制約があまりないので比較的スラスラ、語句が湧いてくる。
テーマはその日ごと、気ままに書いて、最後に文章を整えるというパターンなので、しゃべっているのと大差ない。
むしろ不用意なことをしゃべってあと、時には一生後悔するよりも出す前にワンクッション置くことができるという意味では安心だ。

私の病理医という仕事も、人から見たら文章を書くことが多い。
もちろん、切り出しとか、解剖とか手を動かすことも多いし、顕微鏡をのぞいている時間も長いが、診断文を書くことで仕事が仕上がるので、どうしてもこちらがメインになる。
病気の有無、所見を書くという病理の診断文は、いったん頭の中で診断が決まれば、あとはそれを言語化して書き進めるだけなので、ある程度経験を積めば書けるようになる。

文章を書くのが難しいのは、論文とか原稿だ。
今から15年も前にノーベル賞を受賞したRNA干渉に関わる遺伝子がその発生に関わっている腫瘍についての原稿を書いているのだが、恥ずかしながら私はそれがどんな仕組みなのかがよくわかっていなかった。
自分にとって未知のテーマを文章にしていくという作業はとてもきつい。
権威ある学術書に知らないことを知ったかぶりして書くわけにもいかないので、このところ、書くための勉強をしていた。
幸い、今の時代はネットに情報が溢れている。
玉石混交ではあるが、信頼できるものを拾い上げて勉強すればなんとかなる。
なんとか、参考文献を読むことのできるぐらいまでは理解できるようになった。
それなりの文章を書くのであればノーベル賞受賞レベルのことぐらいは、知っておかなくてはいけないと反省した。

とっかかりが見つかったので、原稿書きもいよいよ本腰を入れられそうだ。
どうもここ最近元気がなかったのもRNA干渉のことがよくわかっていなかったせいなのかもしれない。
勉強をやめたらそこまで

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