こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

文学作品に没入するということ

2024年06月20日 | 読書、映画、音楽、美術
時々日の射す薄曇り。
昨日ほどの気温にはならないらしい。

アラ還にさしかかったからか、死ぬまでに読んでおきたい名作をあれこれ漁っている。
今は夏目漱石の『こころ』で、今日明日には読み終えるところ。
これほどの名著をこれまで読んでいなかったかと思いながら読んできたが、最後の”先生と遺書”になって、やっとこれが再読だと認識できた。
前に読んだのは高校生の頃だったか記憶にない。
それでも、読んだことを思い出せたのだから、私の人格形成になんらかの関与をしたものという気がする。
『人間失格』では”人間、失格”まできてやっと再読であることに気がついたのだから、それよりはマシかもしれない。

『こころ』は元が新聞連載だからだろうと思うが50数章よりなっており、やや冗長に感じるところもあるが、それは私の現代的な読み方のせいなのだろうと思う。
語り手と先生、また両親との関係性を語るにはこのぐらいのページ数と時間が必要だ。
読み手が一つの作品を味わい理解するためには、間というか余韻というか、そういったものがなくてはならず、ただ単にネタバレ要約を読むだけではいけない。

私にしても、登場人物のまどろっこしさに先を急いでしまいそうになってしまったが、なんとか踏みとどまって牛歩を選んだ。
そうするうち、作品の中の大きな出来事ではない、ささいなところで、再読であったことを、数十年の時を経て思い出した。
自分がかつてこの作品に没入していたのだと実感する。

読み上げ本を倍速で聞いたり、要約本で結末だけを知ることが悪いとは言わないが、それじゃあ作品を理解したことにはならないし、シンクロできたとは言えない。
仮に自分には難しい本であっても、それに挑戦することで新たな成長を実感することができるはずだ。
今はあれこれの“没入エンタメ”が出てきているが、こういうアナログな方法による没入も悪くはないと思う。
解説は江藤淳

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