こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

今日のもやもや、悩ましいこと

2020年11月04日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
朝日がまぶしい。写真を撮る時間に気をつけないと昇ってくる太陽で何もわからなくなってしまう。いよいよ冬の足音が聞こえてきた。車の温度計は12度を示している。木枯らしもそろそろ吹き始めそうだ。週の半ばの水曜日は、少しだけ電車が空いている。通勤が少しでも楽になるといいし、できたらリモートワークをもっと増やしたいのだが、病理はそれがなかなかうまくいかない。

バーチャルスライドシステムといって、病理標本をデジタル化する技術があり、診断もその画像を利用したらいいだろうという人もいるが、簡単なことではないのだ。病理診断では、細胞の核1つ1つの所見まで診る。個々の細胞の所見を判断するだけならいいのだが、隣り合った細胞同士、さらにその細胞集団同士での比較となると、標本の上下左右をくまなく移動し、低倍率から高倍率までそれこそ縦横無尽に顕微鏡を操作しなくてはならない。顕微鏡ならスイッチを入れただけで直ぐにそれができるのだが、コンピューターを使っての作業となるとそう簡単にはいかないのだ。もともとデジタル化されている画像を診断する放射線診断とは全く質が異なる。それなのに、病理は画像診断だから遠隔診断も可能だろう、いつまでも顕微鏡にしがみついているなんてIT時代に乗り遅れている、と思い込んでいる人が多いのにはもやもやした気分になる。
まずはやってみてよ、と言いたいのだが、一人前の病理医になるには少なくとも5年はかかる。土台無理な話か。

それはさておき今日も1日顕微鏡にしがみついて病理診断。難しい症例のことをいつまでも考えていても仕方ないので、わかる範囲で診断して、担当医に連絡してディスカッションした。病理ならすべてがわかるはず、なんてことはない、PHSを切りながら自分の力の無さにため息をつく。
会議の時間が変更となって、開始が遅くなり、それまでの間にと熱心な臨床医がやってきた。もう、半年ぐらい付き合っているが、なかなか結論が出ない。それでも一緒に顕微鏡像を見てあれこれ話している。遅く始まった会議が終わって部屋に戻ったら、まだ顕微鏡を覗き込んでいた。ディスカッションの内容がかみ合わず、私の方が音を上げて今日のところは終わりにしてもらった。熱心なことを無下にもできず、まあ仕方ない。

昨日知ったブロ友さんの死。訃報は親族の方がアップしてくれたようだ。一晩たっても私の頭の中に悲しい気持ち、残念な気持ち、喪失感、不安といったものがないまぜになって渦巻いていて、少なからず混乱している。コメントのやり取りをしたのはほんの数度だが、私のブログをよく読んでいただいていたのはリアクションボタンでわかっていた。そのリアクションが数日前からぱったりなくなってしまっている。読んでくださってなくとも、その方のエントリーがあれば読みにいっていたが、それももう更新されることはない。そう考えると心にぽっかりと穴が空いてしまったような気がする。
疲れるのはなぜだろう

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