こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

冷たい時代がやってきた

2015年01月14日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

寒くなると、心も冷たくなってしまうのか。

着膨れのせいもあるのだろうが、電車の座席が中途半端に空いている。7人がけのところを6人で座っているからだ。少しつめたらもう1人座ることができるのに多くの人はつめようとはしない。たしかに1人分空いていると、ずいぶん楽だ。だが、それでいいのか。

そして、6人で座っている人を見ると、誰もがそのことについて、無関心だ。それぞれがあと3センチずつ詰めたら空いている分と合わせてもう一人座るスペースができるのに。

 

今朝、不肖コロ健、電車で席を譲った。車両の向こうの方から1歳ぐらいの子供を抱いた女性が空いた座席を探しながらやって来た。中途半端に空いた席もあったが、だれもつめない、というか、その女性のことを見ない。座っている私の前を通り過ぎたところで、しゃがんで子供を降ろしていたので、背中越しに「どうぞ」と声をかけた。席を譲ったあとというのは照れくさいので、逆に彼女が乗って来た辺りのドアまで移動した。

車内を移動しながら座っている人を見ると、たいていは私より若い人だ。サラリーマン、作業着の若者、学生などなど、多くの人はスマホの画面に集中しているように見えて、周りのことには興味が無さそうだ。

席を譲ったという行為は、別にたいしたことではない。私にしたって降りるまでが10分ほどだったから、すぐに譲る気になったのだと思うし、座っていた若い人たちの多くは、これから一日立ち仕事が待っているのかもしれないし、幾人かは体調がすぐれなかったのかもしれない。だから、体調がよい私が席を譲る番だったということに過ぎない。だから、私が席を譲ったという行為そのものはどうでもいいことだ。

それよりも、怖かったのは、誰もが周囲に無関心、もしくは無関心を装っていたということ。

私からみたら、誰1人“気まずさ”すら感じていないように見えたのだ。誰もが無関心にスマホの画面に集中していた。

ああ、こういう冷たい時代が来たのか、とそのとき感じた。

2年前に『他者への無関心こそが危ない(2012年7月19日)』という記事を書いた。そのとき、すでにこのことの芽生えは気がついていたが、今朝の電車内で感じた衝撃は、これが現実となったことを目の当たりにしたことから来たものだった。

他人に関わると自分が損する。だから無関心。

 誰にも関心を持たず、誰にも挨拶しないことが当たり前になっていくのだろうか。

 

自分が一番大事なのはわかるけど 
ナイト にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ ←いつも応援のクリック、ありがとうございます→   コロ