こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

表現の自由という言葉の持つ意味

2015年01月31日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

こんなに小さなブログであっても、嫌なコメントというのが時々くる。Facebook(FB)と違って”いいね”ボタンがあるわけではないので、しかたがない。私の知り合いで、ブログをやめて、FBに移っていった人が何人かいる。名前を知っている範囲の人とだけ、近況を知らせあうほうが楽しいからだろう。誰だって、嫌なことは言われたくないし、ただでさえストレスの多い世の中、肯定的な人同士の集まりにいることで、お互いのストレスも解消される。

 

嫌なコメントであれば、差し止めようと思えばそうすることができるし、承認制にしてしまえばブログに直接載ることはない。実際に一時期、そうしたこともあった。でも、なんか、それは違うと思い、いまのところいただいたコメントはダイレクトに掲載されるようにしてある。このブログ、私の生き方、考え方を世に問うているというような大それたものではないけれど、私の生き方、考え方を公開はしている。そのことに対して、ブログを読んで下さった上、時間を割いて書いてもらったありがたいコメント、私がコントロールするというのはそもそも失礼だと思うからだ。もちろん、”いいね”と同じような感じで書いてくださるのだろう、コメントのほとんどは楽しいものばかりで、私はいつもとても嬉しい。

これが、攻撃的なコメントだと、あまり嬉しいことではなく、やっぱり嫌になる。

 

表現の自由、というのがどこまで許される行為なのかは分からないが、今の世の中、大なり小なり、この言葉が危機にさらされているように感じる。それならそれで、表現者であること、たとえば私の場合はこのブログを書き続けること、をやめてしまえばいい、と考える人がいるかもしれないが、それはどうなのだろう。

すべての人間は、存在している時点で表現者である、と考えたら、表現することの否定は、人格の否定になる。

ただ、表現する側にも相手への配慮は必要である。

知らない間に誰かを傷つけないように 
ナイト にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ ←いつも応援のクリック、ありがとうございます→   コロ