【きょうの人】 0522 ■牧野富太郎 植物学の父 ■相馬 哲平 日本の実業家、政治家、貴族院議員、北海道の多額納税者のひとり
本日、ゆかりの人をご紹介します。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。
■ 牧野富太郎 「植物学の父」と呼ばれた植物分類学者
まきの とみたろう
1862年5月22日(文久2年4月24日)-1957年(昭和32年)1月18日)
日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。位階は従三位。
「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威です。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っています。
小学校中退でありながら理学博士の学位も得て、生まれた日は「植物学の日」に制定されています。
94歳で亡くなる直前まで、日本全国をまわって膨大な数の植物標本を作製しました。個人的に所蔵していた分だけでも40万枚に及び、命名植物は1,500種類を数えます。野生植物だけでなく、野菜や花卉なども含まれ、身近にある植物すべてが研究対象となっていたことが、日本植物学の父と言われる所以です。
NHK朝の連続小説でも取り上げられました。多くの学生を指導し、後進の植物学者を育成し、学生たちに自然の美しさや尊さを伝えることにも注力しました。
【chatGPT】
牧野富太郎は、日本の植物学者であり、日本の植物相の研究に多大な貢献をしたことで知られています。彼は、明治時代から昭和時代初期にかけて活躍し、日本の植物学の発展に大きな影響を与えました。
牧野は、自然史博物館の助手としてキク科の研究を始め、その後、東京帝国大学の植物学教室で研究を続けました。彼は、日本の植物を収集し、分類し、記載することに生涯を捧げ、日本の植物相に関する多くの重要な研究成果を生み出しました。
牧野が最も知られているのは、彼が編纂した「新分類 牧野日本植物図鑑」であり、これは日本の植物の総合的な図鑑として広く利用されています。彼はまた、日本各地の植物相の調査を行い、地域ごとに植物の生態や分布を記載した書籍を出版しました。
牧野はまた、多くの学生を指導し、後進の植物学者を育成しました。彼は、学生たちに自然の美しさや尊さを伝えることにも力を注ぎました。
牧野は、植物の世界に対する深い愛情を持ち、植物が持つ生命力や美しさについて熱心に研究しました。彼は、植物の生態や分布についての知識を広めることに尽力し、日本の自然環境保全にも貢献しました。
牧野は、日本の植物学界において、偉大な功績を残した人物の一人であり、彼の研究や業績は、今日に至るまで大きな影響力を持ち続けています。
【経営コンサルタントの独り言】
植物学の父
NHKの朝の連続小説で取り上げられ、知名度が高まりました。
私自身が植物に興味が強いわけではありませんが、小学生の頃、担任の先生が牧野富太郎博士の話をしてくれました。
それが非常に印象的だったのです。
「雑草という草はない」
人間も同じで、誰もが一人の人間として認められるべきだと思います。
どの様な人でも、その人ならではの何かを持っているのです。
コンサルタントも、自分の強みを持ち、活かし、それをアッピールすることで、成功できるのではないでしょうか。
■ 相馬 哲平(そうま てっぺい)
初代相馬哲平は、1833年6月22日(天保4年5月5日に生まれ、1921年(大正10年)6月6日)に歿しています。
日本の実業家、政治家、貴族院多額納税者議員で、北海道の多額納税者のひとりです。
函館貯蓄銀行頭取、相馬合名代表社員等、北海道屈指の豪商で、箱館の発展に寄与しました。
写真 函館・相馬邸
http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/hokkaido/hokkaido-hakodate-motomachi2.htm
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