広島の実家に帰省中の妻!。
京都での仕事納めをして、飛び入り参加してきた若!の運転で・・・
1月2日
広島市安佐北区飯室にあるコムズショッピングセンターで行われる
東京の大道芸人おじゃるずのライブを見に行くことになりました。
(ここからが、パート1からの続き。)
11月に近所のカナートで行われた、おじゃるずの大道芸をもう一度見たい。
ついて来なかった次男や若!、そして実家の姉にも見せたい。
という動機もたしかにあったのですが。
それにしても、なぜ、正月そうそう、(若!の)慣れない土地の運転で・・・
わざわざ早起きして、一時間以上かけて・・・
見に行くことになったのか。
もっとも心動かされた動機は・・・
このスーパーのある、飯室という土地が、妻!の15年間過ごしてきた町の隣町であるということ!
(その当時は、コムズショッピングセンターは出来てませんでした。)
直接馴染みのある土地ではない、ただ、通り抜けしていた土地なんですけどね。
名前を聞いて・・・
うわー、懐かしい!
今、どうなってるんだろうね。
と思いました。
何を隠そう。
私の育った加計町(現・安芸太田町)は、JR可部線の廃線になった区間にありました。
(パート1参照)
(飯室も、その区間上にあります。)
当時、広島駅~可部駅~三段峡駅(終点・2時間半ほど)の電車を利用していましたが。
(ディーゼルと呼んでいました・・・)
そういう運行は、2,3時間くらいに一本で。
たいてい、広島~可部の折返し運転か、可部で乗り換えて、可部~三段峡のディーゼルを利用していました。
中3の冬だったか、こんなことがありました。
(すごく田舎じみた話ですが。)
広島駅近くの河合塾での講義を終えて、いつものように、広島駅から電車(可部までは架線運転だから)に乗って、帰途についたのですが。
可部駅で乗換え。
で。
どうしたわけか、乗り換えの三段峡方面のディーゼルに乗り遅れてしまい・・・
(最終運行でした。)
駅にただ一人取り残され、途方にくれました。
その時間、20時すぎだったか。
田舎ものの少女が、知らない土地に取り残され・・・
あの心細さは、今でも忘れられません。
どうしよう。
どうしよう。
と、途方にくれましたが。
動かないわけにはいきません。
駅から離れ、暗闇の中を歩き、電話ボックスを探しました。
(いや?駅にあったのかな。
駅から、バス停までの道程か?
記憶が定かでありませんが。)
「おとーちゃん、今、可部駅なんよ。
ディーゼルに乗れんかったんじゃ。
(なんでや?という問いに)わからん。」
とか、話しているうちに、ぽろぽろ涙が出てきました。
今でも忘れられませんね。
すでに、JR(国鉄?)の最終便は出た後だから。
とりあえず、バス通りまで出て、そこから加計方面のバスに乗ることにしました。
近くのバス停で見ると・・・
おそらく、加計まで行くバスは、最終便が出たあとだったか、待ち時間が長かったのでしょう。
可部市街と加計の中間地点で、比較的便数の多かった飯室(コムズのある所)までバスで移動して、飯室のバスターミナル?に、父に車で迎えに来てもらうことになりました。
飯室行きのバス・・・
乗ったことのない便でしたが。
もう心細いこともなく。
早く着かないかなあ、と、落ち着いていたことを覚えています。
そんな思い出もある飯室。
(すっかり忘れてましたがね。)
そこに、おじゃるずさんがお越しになるというのも、何か因縁めいた話です。
「こりゃあ、お正月から縁起が良いね。」とばかり。
行くことにしました。
まあ。
うるさい子達も居りますから。
子達も満足するドライブにしなければ、丸くおさまりません。
なんと。
(よく出来た話。)
我が実家から予定のコース上に、動物園が!
(まあ、土地勘ありますから、このへん、熟知なわけですが。)
そちらを大義名分に、お出かけすることになったのです。
(ああ、これで終わってしまった・・・)
すみません。
パート3に続く。
京都での仕事納めをして、飛び入り参加してきた若!の運転で・・・
1月2日
広島市安佐北区飯室にあるコムズショッピングセンターで行われる
東京の大道芸人おじゃるずのライブを見に行くことになりました。
(ここからが、パート1からの続き。)
11月に近所のカナートで行われた、おじゃるずの大道芸をもう一度見たい。
ついて来なかった次男や若!、そして実家の姉にも見せたい。
という動機もたしかにあったのですが。
それにしても、なぜ、正月そうそう、(若!の)慣れない土地の運転で・・・
わざわざ早起きして、一時間以上かけて・・・
見に行くことになったのか。
もっとも心動かされた動機は・・・
このスーパーのある、飯室という土地が、妻!の15年間過ごしてきた町の隣町であるということ!
(その当時は、コムズショッピングセンターは出来てませんでした。)
直接馴染みのある土地ではない、ただ、通り抜けしていた土地なんですけどね。
名前を聞いて・・・
うわー、懐かしい!
今、どうなってるんだろうね。
と思いました。
何を隠そう。
私の育った加計町(現・安芸太田町)は、JR可部線の廃線になった区間にありました。
(パート1参照)
(飯室も、その区間上にあります。)
当時、広島駅~可部駅~三段峡駅(終点・2時間半ほど)の電車を利用していましたが。
(ディーゼルと呼んでいました・・・)
そういう運行は、2,3時間くらいに一本で。
たいてい、広島~可部の折返し運転か、可部で乗り換えて、可部~三段峡のディーゼルを利用していました。
中3の冬だったか、こんなことがありました。
(すごく田舎じみた話ですが。)
広島駅近くの河合塾での講義を終えて、いつものように、広島駅から電車(可部までは架線運転だから)に乗って、帰途についたのですが。
可部駅で乗換え。
で。
どうしたわけか、乗り換えの三段峡方面のディーゼルに乗り遅れてしまい・・・
(最終運行でした。)
駅にただ一人取り残され、途方にくれました。
その時間、20時すぎだったか。
田舎ものの少女が、知らない土地に取り残され・・・
あの心細さは、今でも忘れられません。
どうしよう。
どうしよう。
と、途方にくれましたが。
動かないわけにはいきません。
駅から離れ、暗闇の中を歩き、電話ボックスを探しました。
(いや?駅にあったのかな。
駅から、バス停までの道程か?
記憶が定かでありませんが。)
「おとーちゃん、今、可部駅なんよ。
ディーゼルに乗れんかったんじゃ。
(なんでや?という問いに)わからん。」
とか、話しているうちに、ぽろぽろ涙が出てきました。
今でも忘れられませんね。
すでに、JR(国鉄?)の最終便は出た後だから。
とりあえず、バス通りまで出て、そこから加計方面のバスに乗ることにしました。
近くのバス停で見ると・・・
おそらく、加計まで行くバスは、最終便が出たあとだったか、待ち時間が長かったのでしょう。
可部市街と加計の中間地点で、比較的便数の多かった飯室(コムズのある所)までバスで移動して、飯室のバスターミナル?に、父に車で迎えに来てもらうことになりました。
飯室行きのバス・・・
乗ったことのない便でしたが。
もう心細いこともなく。
早く着かないかなあ、と、落ち着いていたことを覚えています。
そんな思い出もある飯室。
(すっかり忘れてましたがね。)
そこに、おじゃるずさんがお越しになるというのも、何か因縁めいた話です。
「こりゃあ、お正月から縁起が良いね。」とばかり。
行くことにしました。
まあ。
うるさい子達も居りますから。
子達も満足するドライブにしなければ、丸くおさまりません。
なんと。
(よく出来た話。)
我が実家から予定のコース上に、動物園が!
(まあ、土地勘ありますから、このへん、熟知なわけですが。)
そちらを大義名分に、お出かけすることになったのです。
(ああ、これで終わってしまった・・・)
すみません。
パート3に続く。