親がブログを読んでくれているので、都合の悪い事は、あまり書きたくないのですが。
(失望させそうです。)
何となく、懐かしくなったので、書きます。
大学時代、まあ品行方正な学生でしたが。
ただひとつ、問題アリ!だったのが。
完全な、昼夜逆転生活。
寝るのは明け方(鳥がチイチイ鳴きだしてから)
起きるのは・・・日が暮れる頃。
もちろん、大学の講義のあるときには、目覚ましかけて起きていましたが。
そうでないときは、夕方まで寝て・・・
晩に、スーパーで晩飯(朝ごはん?)を買うのを日課にしておりました。
それ以外は、品行方正だったんですがね。
夜中に何をしているかというと。
ただひたすら、テレビ番組を見ていました。
それも、4チャンネル(TBS系列)ばかり見てましたね。
なぜかお気に入り番組が多かったです。
当時やっていた、「テレビのツボ」というローカル深夜番組を毎日見ていました。
これは、ぜんじろうという関西芸人が司会をしている番組で。
素人に近いアシスタントみたいな子が・・・
各放送局ごとの、テレビ番組を、朝から晩まで、ひたすら見続けて・・・
その日の放映の中の、面白い「ツボ」を、イラストとともに、紹介する、という・・・
しょうもない、といえば、しょうもない番組でした。
でも、ギャハハと笑える「つぼ」に出会えたら、なんか幸せで。
いい一日だったと思えるんです。
そんな学生生活。
毎日のサスペンスドラマは欠かさず見ていましたし。
水戸黄門は、本放送も、再放送も見ていました。
さすらい刑事も・・・
朝昼逆転。
そりゃあ。
夜10時過ぎて、濃いコーヒー飲んだり。
お風呂については、12時に入って、「あ~、今日は早く入ったな」と感心したり、していました。
就寝は、努力しても、深夜3時前に寝ることが出来ませんでした。
健康的な生活なんて、もう無理かも、と思っていましたね。
真剣に、直そうと努力してみたり、悩んでみたり。
健康的に過ごしている今では、懐かしい思い出です。
大学後半は、辻しばでバイトするようになっていましたので。
そこで、生活帯が元に戻ったのかも。
家を8時ごろ出て、バス乗り継いで大原まで行き、17時まで仕事。
最初の頃は、生活帯が合わず・・・
夜一睡も出来ないままに、出勤。
秋のすぐき引きの日で、畑で立ったまま眠れそうな・・・時もありました。
大学卒業と同時に、辻しばで働き始めましたから。
朝起きて、夜寝るという、当たり前の生活が出来るようになりました。
しば漬の時期は、きちんと睡眠をとって、疲れを取らないと、大変ですから。
(昼休憩あとがシンドイんです。)
夜はお風呂の後にシップ貼って、薬もつけて、10時には寝る生活。
朝は、栄養ドリンク飲んで、出勤してました。
(一応、新人だったし、張り切ってたんですね。)
昼夜逆転生活の、そもそもの始まりは・・・
クラブの先輩方の、夜ドライブの招集にかかったことかも。
(かも、じゃなくて、まさにその通り!)
もともとは、真夜中は魑魅魍魎がウロウロする時間だから、外には出ない、という考えだったのですが。
ほぼ強引に(電話がかかった時点で、家の横まで来ている・・・)召集を受け・・・
おそるおそる付いて行き。
ああ、夜中でも、こんなに人が集まるのね~、というのを知って。
新しい世界が開けたような気がしたのでしょうね。
(といっても、変な夜遊びはしませんでしたよ。地味です。)
何をしていたかといえば。
ただのドライブか。
カラオケ。
北白川バッティングセンターに行くか。
先輩の下宿でだらだらするか・・・
何をするでもなく、先輩の金魚のフンみたいに付いて行っていました。
別に悪い遊びを教えられるわけでもなく。
ただ、昼が夜に変わったというだけの、無邪気な集まりでした。
懐かしいです。
大学入学当時は、比較的設備の整ったハイツに住んでいましたが。
(幾度か引越しした中では、一番良かった物件でした)
ここは、学生街から離れた、新婚さん向けの住居だったので・・・
そのうち、諸先輩方が暮らす「ボロ下宿」というものに憧れるようになり。
親には、あれこれ理論武装した説得?を試みて、お引越し。
上賀茂は柊野別れにあるボロ下宿に住み始めました。
厳密には、下宿ではなく、れっきとした賃貸物件で、風呂トイレ付きでしたが。
完全な学生アパートで、夜昼逆転生活を満喫しました。
二棟続きになっていて、間のベランダ部分には、ノミが大発生したりとか・・・
衛生面にも問題あり、だったり。
いろいろ楽しい経験をしました。
ここで、神戸地震にあった時は、「ここはヤバイ!」と肝を冷やしました。
(震度が強ければ、確実に倒壊する部類です。
しかも、一階に住んでました。)
今でも、この下宿は健在ですが。
道路向かいにあった、「かもべん」という弁当屋は撤去、いまはコンビニになってます。
時代の流れを感じますね・・・
「かもべん」は、産大下宿生の強い味方でしたので。
今だから、書いても良いか・・・
「かもべん」は、夫婦(たぶん)でやっている小さな弁当屋さんで。
典型的な、ダンナが愛想無しで、奥さんのほうが、優しくて、それでもっているようなお店でした。
客が2,3人来れば息苦しくなるようなスペースで。
サービスで付く味噌汁は、現物をビニール袋に入れて、渡してくれました。
あと、柊野別れの交差点ちかくに、「正(ジョン)」という焼き肉屋さんがあったのですが。
主人は、すごく愛想良しなのですが。
どうみても、人より仕事量が多すぎて、なかなか注文の品が出てこない・・・
それはいいのだけども。
値段は超安くて、大盛のセット。
元が取れるのか、こちらが心配になるくらい・・・
主人、忙しすぎて、どうも、計算間違えしているし。
(いや、どう考えても、安いんですよ、安い)
聞こうかなとも思うんですが・・・安いにこしたことはないし。
「これってサービスよね。」となかば強引に思い込み。
自己申告無しに、会計・・・
そんなことが何度かあり。
焼き肉屋さん、いつの間にか、閉店していたなあ。
学校の近くには。
古い処刑場跡と呼ばれている土地が、いくつかありました。
当然、幽霊話も付き物なのですが。
わが下宿近くにも、そんな場所があり。
買い物途中に、いつも通るので、そちらのほうが気になってしょうがない・・・
けど、結局何事もありませんでした。
(場所の聞き間違いなのかな)
その場所には、ほんまに掘っ立て小屋みたいな、赤提灯の店があり。
さすがに、今はもう無いかな。
まだあれば、ブログのネタにしたいぐらい、掘っ立て小屋のお店でした。
そこには、どぶ川が流れておりましたが。
たまたま夜に通りがかった時。
蛍がたくさん飛んでいるので、驚きました。
(たぶん、過去最高の数でした。)
ライトに考えると、「意外に生息しやすい川」だったのかな~と思いますが。
それとも?
古い処刑者の魂をなぐさめるために、蛍が集まってきているのかなあ、なんて、考えてみたり。
どぶ川に似つかぬ、美しい眺めでした。
(失望させそうです。)
何となく、懐かしくなったので、書きます。
大学時代、まあ品行方正な学生でしたが。
ただひとつ、問題アリ!だったのが。
完全な、昼夜逆転生活。
寝るのは明け方(鳥がチイチイ鳴きだしてから)
起きるのは・・・日が暮れる頃。
もちろん、大学の講義のあるときには、目覚ましかけて起きていましたが。
そうでないときは、夕方まで寝て・・・
晩に、スーパーで晩飯(朝ごはん?)を買うのを日課にしておりました。
それ以外は、品行方正だったんですがね。
夜中に何をしているかというと。
ただひたすら、テレビ番組を見ていました。
それも、4チャンネル(TBS系列)ばかり見てましたね。
なぜかお気に入り番組が多かったです。
当時やっていた、「テレビのツボ」というローカル深夜番組を毎日見ていました。
これは、ぜんじろうという関西芸人が司会をしている番組で。
素人に近いアシスタントみたいな子が・・・
各放送局ごとの、テレビ番組を、朝から晩まで、ひたすら見続けて・・・
その日の放映の中の、面白い「ツボ」を、イラストとともに、紹介する、という・・・
しょうもない、といえば、しょうもない番組でした。
でも、ギャハハと笑える「つぼ」に出会えたら、なんか幸せで。
いい一日だったと思えるんです。
そんな学生生活。
毎日のサスペンスドラマは欠かさず見ていましたし。
水戸黄門は、本放送も、再放送も見ていました。
さすらい刑事も・・・
朝昼逆転。
そりゃあ。
夜10時過ぎて、濃いコーヒー飲んだり。
お風呂については、12時に入って、「あ~、今日は早く入ったな」と感心したり、していました。
就寝は、努力しても、深夜3時前に寝ることが出来ませんでした。
健康的な生活なんて、もう無理かも、と思っていましたね。
真剣に、直そうと努力してみたり、悩んでみたり。
健康的に過ごしている今では、懐かしい思い出です。
大学後半は、辻しばでバイトするようになっていましたので。
そこで、生活帯が元に戻ったのかも。
家を8時ごろ出て、バス乗り継いで大原まで行き、17時まで仕事。
最初の頃は、生活帯が合わず・・・
夜一睡も出来ないままに、出勤。
秋のすぐき引きの日で、畑で立ったまま眠れそうな・・・時もありました。
大学卒業と同時に、辻しばで働き始めましたから。
朝起きて、夜寝るという、当たり前の生活が出来るようになりました。
しば漬の時期は、きちんと睡眠をとって、疲れを取らないと、大変ですから。
(昼休憩あとがシンドイんです。)
夜はお風呂の後にシップ貼って、薬もつけて、10時には寝る生活。
朝は、栄養ドリンク飲んで、出勤してました。
(一応、新人だったし、張り切ってたんですね。)
昼夜逆転生活の、そもそもの始まりは・・・
クラブの先輩方の、夜ドライブの招集にかかったことかも。
(かも、じゃなくて、まさにその通り!)
もともとは、真夜中は魑魅魍魎がウロウロする時間だから、外には出ない、という考えだったのですが。
ほぼ強引に(電話がかかった時点で、家の横まで来ている・・・)召集を受け・・・
おそるおそる付いて行き。
ああ、夜中でも、こんなに人が集まるのね~、というのを知って。
新しい世界が開けたような気がしたのでしょうね。
(といっても、変な夜遊びはしませんでしたよ。地味です。)
何をしていたかといえば。
ただのドライブか。
カラオケ。
北白川バッティングセンターに行くか。
先輩の下宿でだらだらするか・・・
何をするでもなく、先輩の金魚のフンみたいに付いて行っていました。
別に悪い遊びを教えられるわけでもなく。
ただ、昼が夜に変わったというだけの、無邪気な集まりでした。
懐かしいです。
大学入学当時は、比較的設備の整ったハイツに住んでいましたが。
(幾度か引越しした中では、一番良かった物件でした)
ここは、学生街から離れた、新婚さん向けの住居だったので・・・
そのうち、諸先輩方が暮らす「ボロ下宿」というものに憧れるようになり。
親には、あれこれ理論武装した説得?を試みて、お引越し。
上賀茂は柊野別れにあるボロ下宿に住み始めました。
厳密には、下宿ではなく、れっきとした賃貸物件で、風呂トイレ付きでしたが。
完全な学生アパートで、夜昼逆転生活を満喫しました。
二棟続きになっていて、間のベランダ部分には、ノミが大発生したりとか・・・
衛生面にも問題あり、だったり。
いろいろ楽しい経験をしました。
ここで、神戸地震にあった時は、「ここはヤバイ!」と肝を冷やしました。
(震度が強ければ、確実に倒壊する部類です。
しかも、一階に住んでました。)
今でも、この下宿は健在ですが。
道路向かいにあった、「かもべん」という弁当屋は撤去、いまはコンビニになってます。
時代の流れを感じますね・・・
「かもべん」は、産大下宿生の強い味方でしたので。
今だから、書いても良いか・・・
「かもべん」は、夫婦(たぶん)でやっている小さな弁当屋さんで。
典型的な、ダンナが愛想無しで、奥さんのほうが、優しくて、それでもっているようなお店でした。
客が2,3人来れば息苦しくなるようなスペースで。
サービスで付く味噌汁は、現物をビニール袋に入れて、渡してくれました。
あと、柊野別れの交差点ちかくに、「正(ジョン)」という焼き肉屋さんがあったのですが。
主人は、すごく愛想良しなのですが。
どうみても、人より仕事量が多すぎて、なかなか注文の品が出てこない・・・
それはいいのだけども。
値段は超安くて、大盛のセット。
元が取れるのか、こちらが心配になるくらい・・・
主人、忙しすぎて、どうも、計算間違えしているし。
(いや、どう考えても、安いんですよ、安い)
聞こうかなとも思うんですが・・・安いにこしたことはないし。
「これってサービスよね。」となかば強引に思い込み。
自己申告無しに、会計・・・
そんなことが何度かあり。
焼き肉屋さん、いつの間にか、閉店していたなあ。
学校の近くには。
古い処刑場跡と呼ばれている土地が、いくつかありました。
当然、幽霊話も付き物なのですが。
わが下宿近くにも、そんな場所があり。
買い物途中に、いつも通るので、そちらのほうが気になってしょうがない・・・
けど、結局何事もありませんでした。
(場所の聞き間違いなのかな)
その場所には、ほんまに掘っ立て小屋みたいな、赤提灯の店があり。
さすがに、今はもう無いかな。
まだあれば、ブログのネタにしたいぐらい、掘っ立て小屋のお店でした。
そこには、どぶ川が流れておりましたが。
たまたま夜に通りがかった時。
蛍がたくさん飛んでいるので、驚きました。
(たぶん、過去最高の数でした。)
ライトに考えると、「意外に生息しやすい川」だったのかな~と思いますが。
それとも?
古い処刑者の魂をなぐさめるために、蛍が集まってきているのかなあ、なんて、考えてみたり。
どぶ川に似つかぬ、美しい眺めでした。