たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



プナンの神話に、かつては、小屋(家)が、ひとりで動いていたという、ひときわ印象深いものがある。小屋(家)は、あるときから動かなくなったのである。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/7c22decfe27cacdd501ab2c136c68d28

その神話を聞いてから、ずっと考えている。その話は、いったい何を言わんとしているのだろうか。それは、森のノマド(遊動民)の「移動(tai)」のあり方を、ある方向へと圧縮した究極の姿を述べているのかもしれないとも思える。狩猟民の「移動」とは、いったいぜんたい、どういった事態なのか?

狩猟キャンプの朝は、夜明けとともに始まる。人びとは、蚊帳から抜け出して、起き上がってぼんやりとして座り、朝のひと時を過ごす。そのうちに、蚊帳を梁にくくりつけるとともに、個人所有の範囲で、衣服や小物の類を袋に詰める。荷物を、蚊帳のそばに整頓して並べる。
この行動は、いったいどういったものなのか?わたしには、彼らが、いつでもすぐに出発するための準備であるように思える。

それと前後して、キャンプのメンバーは、今日の行動予定について大まかに話し合う。(生きるために)食べ物を調達するために。その狩猟キャンプの周囲に獲物がなくなってきていれば、別の場所に「移動」することが話題となる。次に、どこに「移動」するのかの情報収集も、その日に取り組むべき仕事となる。あるいは、そうした情報がすでにあるのならば、片づけをして、「移動」することになる。狩猟キャンプのメンバーの片づけは、じつに早い。テキパキと働いて、小屋を解体して、荷物をまとめる。プナンは、ほとんど所有物をもたない。もともと、家財道具はほとんどない。焼畑稲作民も少ないと感じられるが、農耕民はある土地に定着することをベースとしており、その意味で、プナンは、「移動」をベースとしているため、家財道具はもっと少ない。

プナンの今日にまで至る「移動」の志向性は、第一に、周囲で、獲物や食べ物が手に入らなくなるという生存上の問題に起因していると言える。食糧だけではなく、周囲の木を切って家を建て、薪をつくるので、その場所は、背の高い熱帯雨林に覆われて、暑熱とは無関係の、涼しい理想的な住環境では、しだいに、なくなっていく。
第二に、それは、衛生上の問題ともいうべきものに起因している。消費していらなくなったものを、すべて周囲の環境のなかに捨てるというような自然認識の上に、プナンは、生活空間としての小屋の周りに、魚の骨、動物の骨、残飯、唾、痰など、なんでもポンポンと捨てる。それらは、エントロピックに蓄積して、ハエや虫を引き寄せる。それらは、綺麗好きのプナンにとっては、耐えられないものとなり、「移動」の一つの指標となる。プナンにとっては、堆積し、溜まっていくものは「悪」として感じられるのである。それが、彼らにとっての「移動」の潮時となる。

いずれにせよ、熱帯雨林に暮らす狩猟民にとって、住環境の劣化は、別の場所へ「移動」するための重要な要因となる。この、つねに暮らしをリセットし、刷新・一新するというプナンのエトスほど、軽やかで、いさぎよいものはないのではないかと、つねづね、わたしは想っている。その意味で、プナンは、いつも、新しいものには目がない。しかし、新しく手に入れられたモノは、徹底的に消費しつくされる。そして、捨てられる。熱帯雨林では、すべてのモノが、すぐに朽ちてゆく。そういったすべての事柄が、わたしには、「移動」する暮らしという、プナン人のエトスに共振しているように思える。

その観点から眺めれば、堆積したり、溜めたりするような行動は、堕落していることになる。プナンは、不必要に溜め込んだり、保持するような行動を好まない。
その意味で、新石器革命とは、新石器「堕落」だったのかもしれない。唐突ではあるが、新石器時代の5千年から1万年を経て、地球上のある部分で、「色即是空空即是色」などとして、わたしたちが持つようになった教えは、逆の観点からみれば、そうことをいわなければならないようなかたちで、わたしたちが、堕落してしまったからなのかもしれない。完全に堕落してしまう前に、救い出されるために。

日々の「移動」のうちに、あるいは、「移動」を原理とすることのなかに、あらゆる物事の空虚さ、転変が経験される。先の神話は、そのことを記憶しておくために、わざと、小屋が止まってしまった瞬間の出来事を抜き出して、描いたものなのではないだろうか。わたしたちが、狩猟民プナンから学ばなければならないことの一つは、「移動」のエトスをつうじた、彼らのむき出しの「般若心経」のあり方なのかもしれない。

(写真は、狩猟キャンプの徹営)



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