フィリップ・K・ディック『ヴァリス』大瀧啓裕訳(創元SF文庫)
Valis とは、Vast Active Living Intelligence System、「巨大な能動的な生きた情報システム」のこと。ホースラヴァ・ファットは、精神病を病み、 飛び降り自殺を図った女友達グロリアの死をきっかけに、ドラッグにのめりこむようになり、どんどんと狂気に陥っていく。ファットは、そうしたときに神に会う。ピンクの光線を発し、情報を発信してきたのだ。彼は、その情報を秘密教典書のかたちで書き綴る。
30.現象界は存在しない。現象界とは<精神>の処理する情報が実在化されたものである。
35.<精神>はわれわれに話しかけているのではなくわれわれという手段によって語っているのである。<精神>の物語はわれわれを経由し、その悲しみが不合理にもわれわれに注ぎ込まれる。プラトンが認めたように、世界霊魂には非理性的な要素が存在する・・・
このような、人が人であるがゆえに思い悩み、苦しみ、精神の律動のなかで、啓示として獲得するロゴスの蓄積の開示は、たしかに興味深い。人が狂うとどうなるのか、何を語るのか。グノーシス派のキリスト教、アボリジニのドリームタイム、アフリカのドゴンの宇宙哲学、さらには仏教思想などに接ぎ木されながら、世界が語られてゆくさまを追うのは楽しいかもしれない。
問題は、この話の後半部分である。狂っているのであるから、どこまでが現実で、どこからが妄想の産物なのかもはやはっきりしないのだが、ファットは、SF映画『ヴァリス』を観て、自らの幻覚や経験との一致をそこに見出す。友人たちと相談して、映画の作り手であったエリック・ランプトンとリンダ・ランプトンに会いに行く。そこには、映画音楽を担当して死を目前にしたブレント・ミニがいたし、ヴァリスのリンダを経由した子であるソフィアが、動物たちに囲まれて暮らしていた。
2歳になった「我は有りて在る者」であるソフィアとの語らいに啓発され、ホースラヴァ・ファットは、世界中を旅し、神あるいはゼブラ、あるいはVALISあるいは不死の自身を求めようとする。なんだか分からない。謎である。神秘的な話である。その先のそのまた先にある何かへの到達。それは、精神そのものを深遠なレベルにまでとことん掘り下げてゆかなければ、見えもしなければ感じることもできない。ネンブタール、アシッズ、アパーズ、コカイン、サンドス製のLSD25・・・などなどドラッグが垣間見せてくれる、ギリギリの状況下での精神のトリップと神の領域の混融を踏まえて、精神の革命を目指した1970年代のアメリカ西海岸発信の活動の残光のようなものを、全体をつうじて、わたしは感じた。
★★★