たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



 1997年、プルシナーは、<プリオン>による新たな感染原理の発見によって、ノーベル生理医学賞を受けた。<プリオン>とは、タンパク性感染粒子のことである。構造異常を引き起こしたタンパク質は、脳を破壊し、やがて、生命体を死に至らしめる。 しかし、その病原体の実相はいまだに明らかではないために、<プリオン>説は、<プリオン>仮説に留まっているとされる(ロジャーズ『死の病原体プリオン』)。
 ニューギニア東部高地で、1950年代のピーク時に年間20人の死者を記録した(1950年代におおよそ200人が死亡)<クールー>は、現在、<プリオン>仮説の枠内で捉えられている。
 1910年代あたりから、人びとは、多産を得るために、女・子どもが、死んだ女性の脳を食べるという儀礼的なカニバリズムの習慣をもち始めた。そのころから、<クールー>は流行し始めたとされる。患者は、手足の痙攣、不明瞭な発話、起立・歩行困難、嚥下困難、精神異常に陥り、やがて、笑いながら死ぬと記録されている(Lindenbaum, Kuru Sorcery)。
 他方、<クールー>が最も多くの犠牲者を出した南部フォレ社会では、それは、<邪術>によって引き起こされるものであると考えられていた。<クールー>とは、現地のことばで、<震え>を意味する。「呪術師はまず犠牲者の所有物を盗む。次にそれを石と共に木の葉で包み、呪いをかけてから土に埋める。これがクールーハンドルである。やがて石はカタカタと動きはじめ、それにつれて犠牲者のからだも震え出し、病気になるのだ」(クリッツマン『震える山』p.181)。
 <クールー>は、カニバリズムが行われなくなるとともに、次第に、下火となった。しかし、1997年に、何例かが記録されているとの報告がある(Lonely Planet, Papua New Guinea & Solomon Island 2005)。人類学者リンデンボウムは、近年、年に4例ほどがあると報告している(Lindenbaum, "Kuru, Prions, and Human Affairs", Annual Review of Anthropology 2001)。


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