たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



今日、秋晴れの下、大学祭が始まった。
大学祭期間中にキャンパスに行くのは、10年ぶりくらいのことだ。

講演会と討論会。学生からの依頼だし、まあ何とかなるのではないかと思って、両方気軽に引き受けたのだけれど、いま、すごく後悔している。もはや、なんともならん、まとまらんのだ、特に、後の方が。
5教科9科目の大学共通一次試験(現・センター入試)が近づいているのに、生物と日本史はやったけど、地学と
世界史がまだ全部見終わってもいないというような、いまになっても数年に一度見る夢のようだ。

講演会の「人、このセクシュアルなもの」については、思いつきで付けたタイトルに振り回されてしまった。
内容をぎゅうぎゅうに詰め込みすぎたような気がする。
質疑の時間はカットかも。
ま、いいっか、来場者はそれほどいないだろうと思う。

http://obirinfes.web.fc2.com/kikaku2011/arp.html

トークセッション「どうする?!3.11.震災復興と日本の行方」。こっちのほうだ、悩んでいるのは。こ
の10日ほど、震災関連の本を読んだ。と言っても、10冊にも満たない。

『現代思想2011.5.特集:東日本大震災 危機を生きる思想』『atプラス2011.8.特集:震災・原発と新たな社会運動』らをパラパラ。
山折哲雄『絆、いま、生きるあなたへ』は、前半は、震災から着想を得たエッセイで、後半は、死をめぐるエッセイだった。
『やまかわうみ2011.夏 特集:災禍の記憶』『季刊東北学2011夏 特集:地震・津波・原発 東日本大震災』などもパラパラ。
いくつか読むと、震災を機に新たに何かを考えているというよりも、あらかじめ考えていることがあって、震災が来て書いたというものが多いように思う。

最後にたどり着いたのが、高橋源一郎「恋する原発」だ。源さんにシンクロしてしまった。自らを追い込んで書いている気がする。文字に向き合う迫力が感じられもした。
『早稲田文学4号 特集 震災に』には、重松清と古川日出男の対談が載っていて、古川は早々に4月の段階で浜通りに行って、『馬たちよ、それでも光は無垢で』を書いたという。読みたいと思った。さっき、在庫があるということを調べて、閉店近くだったが、大手の本屋に行ってきた。古川日出男の棚に駆けて行った。なかった(泣。一冊誰かが抜き取ったような跡があった。店員も調べてくれたが、在庫がなかった。
あ''~、明日、どうするかだ。

http://ameblo.jp/obirin-slc/image-11057277304-11566483059.html

(写真は、まったく関係がないが、サラワクのカヤンの「生命樹」)
 



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コメント
 
 
 
終了! (スラウェシの犬)
2011-10-29 18:28:20
二つの会が終わった。特に震災については、これまでほとんど考えたことがなかったが、この企画に向けた準備と本番をつうじて、いろいろと考えることができたような気がする。二つの会の企画・運営者に感謝します。
 
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