たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
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奥野克巳
立教大学異文化コミュニケーション学部教授
東南アジアの熱帯雨林とその周辺地域に住む人びとを対象に調査研究を進めてきた文化人類学者。
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マラリア、ふたたび
フィールドワーク
/
2007年01月17日 13時46分37秒
現在、一時帰国中であるが、昨年末に罹ったマラリア熱について書きとめておこう。クリスマスの日から、ふたたび、わたしは、三日熱マラリアの入院患者となった。
12月の第二週あたりから、ひどい下痢、頭痛に悩まされていた。一晩に、15回も川に排便に通ったこともあった。プナン人とともに猟に出かけると、ひどい頭痛がした。それは、前回、8月に、マラリアにかかったときと同じような症状で、同時に、食欲もあまりなかった。
そんなある日、他の用事もあり、車をチャーターして、一時間半かけて、アサップ(
Asap
)という町に出かけた。アサップのクリニックで、マラリアかどうかを調べるための血液検査をしてもらうと、そこでは、すぐには、結果は分からないといわれた。血液標本をビントゥルまで送るので、マラリアかどうかの結果が出るまでには、1ヶ月ほどかかるといわれた。「心配しないで!、マラリアだと分かったら、国の責任で、滞在先まで迎えに行って、入院させてあげるから」ともいわれた。そういわれると、逆に、心配が募った。血液標本は、員数がそろった段階で、検査可能な町の病院に届けられるので、判定までに時間がかかる。その間にマラリア熱に苦しむことだって、大いにあるのだ。
その後、ジャングルのキャンプに戻り、いったん体調が快復したものの、ふたたび、3日間連続で、夕方に、頭痛にみまわれた。発熱は、いったん引いたものの、それは、48時間後に、ふたたび、わたしを苦しめることになった。これは、マラリアにちがいない。その時点で、わたしは、マラリアであることを、ほぼ確信した。ちょうど、周囲のプナン人たちが、クリスマスを目の前にして、木材会社からの月毎の賠償金も手に入り、うきうきとしているころだった。クリスマスを越せば、わたしのマラリアの症状は、悪化するにちがいない。おまけに、クリスマスで、町へと向かう車がない。そう思って、わたしは、すぐさま、その地方の中心地のビントゥルの病院に向かうことにした。
12月23日、ビントゥルへと向かうさいに発熱し、食堂で氷水をもらって、それを頭に載せながら、どうにか、ビントゥルの町へとたどり着くことができた。うってかわって、翌24日は一日、いたって快調であった。25日、ふたたび、朝から発熱し、身体の内奥から、震えが来た。宿泊していたホテルの車で、ビントゥル病院の救急窓口へ行くと、すぐに、ベッドに寝かされ、点滴をされ、血液検査をされた。しばらくして、医師に、三日熱マラリアであると告げられて、わたしは、そこに、4日間入院することになった。
今回のマラリアは、前回の8月の罹患時よりもいくぶん軽い症状であったが、発熱し、食欲がなく、点滴を受け、定期的に投薬され、苦しいのにはちがいがない。コメディカルたちは、わたしのことをおぼえていて、「また来たのね」と話しかけてきた。
天井に扇風機が回る蒸し暑い病室。夜になると、あちこちで、蚊帳が吊られた。デング熱およびマラリア患者は、午後6時から午前6時まで、蚊帳を吊らなければならない。8月の入院時にはほとんど見当たらなかったが、今回の入院時には、デング熱患者の入院が目立った。こちらも苦しそうである。デング熱は、マラリアと同じく、蚊によって媒介される感染症で、発熱、頭痛、関節痛、食欲不振、腹痛などを伴うとされる。東南アジアなどの都市部で流行している。あいかわらず、蚊帳のなかは、蒸し暑くて、よく眠ることができなかった。
入院中に、マレーシア連邦政府の衛生省の役人が、マラリア罹患調査にやって来た。わたしが滞在しているプナン人の調査地は、マラリアのブラックリストであるとか、レッドゾーンとして知られているという。1980年代になって、ジャングルの木々が、商業的に伐採されるようになり、その後、伐採跡地に、今度は、商業的に、油ヤシの木々が植樹された。そうして、マラリア熱の患者が爆発的に増加したとされている。
わたしは、11月から12月にかけて、フィールドワークのほとんどの時間を、村を離れて、ジャングルのなかのキャンプで過ごした。二度とマラリアにならないようにと、切に願って、マラリアの予防薬をかかさず飲むようにし、長ズボンと靴下を常時着用し、昼夜を問わず、蚊取り線香を炊き、夜には蚊帳を吊って、マラリア対策をとった。ところが、蚊は、つねに、その対策の盲点をついて、わたしに襲いかかってきたのである。川で水浴びをすれば、昼でも、とりわけ、足の各部、ひざの裏を蚊に刺される。朝方、川に排便しに行くと、露出部分を刺される。排便の前には、防虫スプレーを、露出部分に噴射した。しかし、わずかな露出部分を、蚊は刺し逃さないのである。蚊に刺された後、かゆみを押さえるための処方をするのが、せいいっぱいであった。
11月から12月にかけて、同じキャンプのなかで、すくなくとも、二人の子どもが、マラリア熱に罹っていた。発熱、嘔吐、震えの症状が見られた。不思議なのは、プナンの子どもたちのマラリアの症状が、一様に、それほど重くないように見えるということである。アサップのクリニックに行って、プラセタモールやマルチビタミンを(無料で)もらって飲めば、しだいに、熱は引いて、回復する。マラリアに抗するために、赤血球が鎌状に変形している集団が存在することが知られているが、プナン人たちにも、遺伝子のレベルで、それと類似したような変化が、起こっているのであろうか。プナン人たちは、肌の色が黒い(日焼けをしている)と蚊に対して耐久性があるのだとよくいう。プナンによれば、わたしは、その点で、マラリアに対して脆弱なのである。
入院4日目に、血液検査の数値が正常化したことで、わたしは、退院を許された(ちなみに、マレーシア連邦の病院では、マラリア、デング熱、結核での入院に対しては、治療費は無料である)。病後、8月のマラリア罹患後と同様に、頭が重い感じが、しばらく続いた。頭の痛さが、目の奥を圧迫する。その症状は、数日で、しだいに後退する。マラリアとのたたかいは、流行地の真っ只中で、しばらくの間、人びとと暮らしをともにする人類学者にとっては、宿命みたいなものなのかもしれない。
(写真は、蚊帳が吊られた、ビントゥル病院の夜の病室)
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