2日目の朝。
この日と翌日が心身ともにハードな2日間となる。
昨夜お付き合いいただいた友人の一人である書家の彼は、石材店の三代目社長でもある。
今年、創業100年を迎えた記念にご自宅前にモニュメントを建てた、と言っていたので出発前に通って見ていこう、と彼に連絡をしたら、作業場からご自宅に戻ってくれた。

一つの会社が一世紀も続くってすごいことだ。
彼は本業以外にも多岐にわたって活動していて、その行動力と、懐の広さ、深さには頭が下がる。
昨夜も話したが、ご自宅の新築を考えているとのこと。
奥様ともここでお会いすることができ、「家」への熱い思いをお聞きすることができた。
建築の予定はまだしばらく先だけれど、ゆっくりイメージを固めていっていただきたい。
お手伝いさせていただきます。
ちょっと寄り道しちゃったけど、母を迎えに行かなくては。
深川市を出発し、昨日来た道を戻って江部乙の親戚へ。
美味しいコーヒーをいただき、親戚を後にして、今日の第1会いたい人が住む滝川へ
この日最初に会ったのは、私が小学校1年生のときから現在に至るまで書道を教えていただいている先生だ。
一時期、母も通信教育で師事していた。
先生は82歳。
まだまだ現役の書道家だ。
作品は海外にまで渡っている。
きれいな声、丁寧な言葉づかいでよどみなくお話しされる。
母は何年か前にお会いしたようだが、私は何十年ぶりだろう。
現在私は通信教育で添削していただいているが、作品を送ったり送らなかったり、とあまり熱心な生徒ではない。
けれど、先生はそれを責めることなく、仕事の合間に細々とでも続けてくれることがうれしい、などとおっしゃってくださる。
いくつかの町に教室を持ち、ご自身の作品も精力的に創り続ける先生はとてもお忙しいそう。
昔、「どなたさまにも一日は24時間でございます」とおっしゃっていたのを思い出す。
午後から教室がある、とのことで1時間のお約束が、2時間近く滞在してしまった。
母の第2会いたい人との約束の時間が近づいたので、弾む話を中断し、次の目的地新十津川町へ向かう
待ち合わせ場所は、新十津川町のドライブイン「ピットイン」
ここは、妹の同級生のご両親がやっている。
かつて、同じ町内会だった方たちだ。
ここに、母が昔営んでいた喫茶店の常連さんだった方が来てくださる。
この方は今でも母に彼の地元の北竜メロンなどを送ってくださっている。
ありがたい。
当時高校生だった私は、お店を手伝ったりしていたので、彼のことはよく知っている。
懐かしい
今、お母様の具合が悪く、入院してらっしゃるとのこと。
そんな時に来てくださって、本当に申し訳ない。
母のわがままに付き合ってくださり、ありがとうございました。
お店に入るやいなや、妹の同級生の弟君が母に気づき、奥からおじさんとおばさんが出てきてくださる。
変わってない
私たちが座っていた小上がりにおじさんも一緒に座って、これまでの出来事を話すことしきり。
おばさんが「いいかげんいしなさい
」と呼びにくる。
そんな感じも懐かしい。
ラーメンを頼んだら、うちのご飯はおいしいから、とライスもつけてくださった。
人生初のラーメンライスだ
お腹がいっぱいになったら、第3会いたい人の住む妹背牛町へ
ここで一つ問題が勃発。
住所が何丁目何番地などという細かいところまで存在しないので、カーナビの示すエリアが広すぎてたどり着けない。
自分がわかるから大丈夫、と豪語していた母の記憶も当然ながらおぼつかない。
仕方ないので電話をして、広い道路まで出てきていただく。
ここで訪問したのは、父と一緒に仕事をしてくれていた大工さん。
子供のころからずっといてくれたので年の離れたお兄さんのような人だ。
いつもにこにこと穏やかな優しい笑顔が変わらない。
奥さんも相変わらず明るく温かい。
私が建築士になっていることをそれはそれは喜んでくれた。
我が家でいろいろなことが起こった時に、彼らの存在が母のよりどころだったことが、会話の端々から伝わってくる。
名残惜しそうだが、母にはまだまだ会いたい人がいる。
第4会いたい人に会うために、今朝スタートした深川にまた戻ってくる。
そう、この日は、この辺りをぐるぐる回っているのだ。
この地域で最後に会いたいのは、お肉屋さん。
当時は母の喫茶店のお隣だったのだが、今はお引越ししてお向かいになっている。
このお店のたれに付け込んだジンギスカンはそれはそれは美味しくて、今でもお取り寄せしているのだけれど、そのときにじゃがいもとか玉ねぎとかいろいろなものを一緒に送ってくださる。
お仕事中なので、店先でちょっとご挨拶して、高速道路の入り口の方向を教えていただき、約100㎞先の札幌に向かう
そして母はこの日最後の会いたい人と札幌でお食事の約束をしている。
これで最後かも・・・などと言っていた人とは思えないパワフルさ。
私のほうがヘトヘトだ。
この夜母が会うのは、私の同級生のお母さま。
子供のころは家族ぐるみのお付き合いをさせていただいていた。
ヴィオラ奏者で今では日本フィルの理事になっている同級生の引退コンサートの時に、お母様と母が会場で再会し、以来時々電話でおしゃべりしているらしい。
この夜、私も幼馴染二人と待ち合わせ。
ホテルの1階で、母たちと幼馴染たちも遭遇し、懐かしい空気が漂う。
やっと運転から解放され、友達と美味しいものを食べて、おしゃべりをして、ほっと一息ついたら、痛恨のミスに気が付いた。
なれない道の運転の緊張と、道順のことで頭がいっぱいで、せっかく再開したみなさんと母の写真を撮ってなかった
しまった
が、母にそのことを謝ったら、そもそもそんなこと思っていなかったらしい。
絶対にまた来るつもりだ
お店のラストオーダーまで飲んで食べて、長い一日が終わる。
わざわざ時間を作ってくださり、温かく迎えてくださった皆さん、ありがとうございました。
母の会いたい人巡りは翌日も続きます・・・
この日と翌日が心身ともにハードな2日間となる。
昨夜お付き合いいただいた友人の一人である書家の彼は、石材店の三代目社長でもある。
今年、創業100年を迎えた記念にご自宅前にモニュメントを建てた、と言っていたので出発前に通って見ていこう、と彼に連絡をしたら、作業場からご自宅に戻ってくれた。

一つの会社が一世紀も続くってすごいことだ。
彼は本業以外にも多岐にわたって活動していて、その行動力と、懐の広さ、深さには頭が下がる。
昨夜も話したが、ご自宅の新築を考えているとのこと。
奥様ともここでお会いすることができ、「家」への熱い思いをお聞きすることができた。
建築の予定はまだしばらく先だけれど、ゆっくりイメージを固めていっていただきたい。
お手伝いさせていただきます。
ちょっと寄り道しちゃったけど、母を迎えに行かなくては。
深川市を出発し、昨日来た道を戻って江部乙の親戚へ。
美味しいコーヒーをいただき、親戚を後にして、今日の第1会いたい人が住む滝川へ

この日最初に会ったのは、私が小学校1年生のときから現在に至るまで書道を教えていただいている先生だ。
一時期、母も通信教育で師事していた。
先生は82歳。
まだまだ現役の書道家だ。
作品は海外にまで渡っている。
きれいな声、丁寧な言葉づかいでよどみなくお話しされる。
母は何年か前にお会いしたようだが、私は何十年ぶりだろう。
現在私は通信教育で添削していただいているが、作品を送ったり送らなかったり、とあまり熱心な生徒ではない。
けれど、先生はそれを責めることなく、仕事の合間に細々とでも続けてくれることがうれしい、などとおっしゃってくださる。
いくつかの町に教室を持ち、ご自身の作品も精力的に創り続ける先生はとてもお忙しいそう。
昔、「どなたさまにも一日は24時間でございます」とおっしゃっていたのを思い出す。
午後から教室がある、とのことで1時間のお約束が、2時間近く滞在してしまった。
母の第2会いたい人との約束の時間が近づいたので、弾む話を中断し、次の目的地新十津川町へ向かう

待ち合わせ場所は、新十津川町のドライブイン「ピットイン」
ここは、妹の同級生のご両親がやっている。
かつて、同じ町内会だった方たちだ。
ここに、母が昔営んでいた喫茶店の常連さんだった方が来てくださる。
この方は今でも母に彼の地元の北竜メロンなどを送ってくださっている。
ありがたい。
当時高校生だった私は、お店を手伝ったりしていたので、彼のことはよく知っている。
懐かしい

今、お母様の具合が悪く、入院してらっしゃるとのこと。
そんな時に来てくださって、本当に申し訳ない。
母のわがままに付き合ってくださり、ありがとうございました。
お店に入るやいなや、妹の同級生の弟君が母に気づき、奥からおじさんとおばさんが出てきてくださる。
変わってない

私たちが座っていた小上がりにおじさんも一緒に座って、これまでの出来事を話すことしきり。
おばさんが「いいかげんいしなさい

そんな感じも懐かしい。
ラーメンを頼んだら、うちのご飯はおいしいから、とライスもつけてくださった。
人生初のラーメンライスだ

お腹がいっぱいになったら、第3会いたい人の住む妹背牛町へ

ここで一つ問題が勃発。
住所が何丁目何番地などという細かいところまで存在しないので、カーナビの示すエリアが広すぎてたどり着けない。
自分がわかるから大丈夫、と豪語していた母の記憶も当然ながらおぼつかない。
仕方ないので電話をして、広い道路まで出てきていただく。
ここで訪問したのは、父と一緒に仕事をしてくれていた大工さん。
子供のころからずっといてくれたので年の離れたお兄さんのような人だ。
いつもにこにこと穏やかな優しい笑顔が変わらない。
奥さんも相変わらず明るく温かい。
私が建築士になっていることをそれはそれは喜んでくれた。
我が家でいろいろなことが起こった時に、彼らの存在が母のよりどころだったことが、会話の端々から伝わってくる。
名残惜しそうだが、母にはまだまだ会いたい人がいる。
第4会いたい人に会うために、今朝スタートした深川にまた戻ってくる。
そう、この日は、この辺りをぐるぐる回っているのだ。
この地域で最後に会いたいのは、お肉屋さん。
当時は母の喫茶店のお隣だったのだが、今はお引越ししてお向かいになっている。
このお店のたれに付け込んだジンギスカンはそれはそれは美味しくて、今でもお取り寄せしているのだけれど、そのときにじゃがいもとか玉ねぎとかいろいろなものを一緒に送ってくださる。
お仕事中なので、店先でちょっとご挨拶して、高速道路の入り口の方向を教えていただき、約100㎞先の札幌に向かう

そして母はこの日最後の会いたい人と札幌でお食事の約束をしている。
これで最後かも・・・などと言っていた人とは思えないパワフルさ。
私のほうがヘトヘトだ。
この夜母が会うのは、私の同級生のお母さま。
子供のころは家族ぐるみのお付き合いをさせていただいていた。
ヴィオラ奏者で今では日本フィルの理事になっている同級生の引退コンサートの時に、お母様と母が会場で再会し、以来時々電話でおしゃべりしているらしい。
この夜、私も幼馴染二人と待ち合わせ。
ホテルの1階で、母たちと幼馴染たちも遭遇し、懐かしい空気が漂う。
やっと運転から解放され、友達と美味しいものを食べて、おしゃべりをして、ほっと一息ついたら、痛恨のミスに気が付いた。
なれない道の運転の緊張と、道順のことで頭がいっぱいで、せっかく再開したみなさんと母の写真を撮ってなかった

しまった

が、母にそのことを謝ったら、そもそもそんなこと思っていなかったらしい。
絶対にまた来るつもりだ

お店のラストオーダーまで飲んで食べて、長い一日が終わる。
わざわざ時間を作ってくださり、温かく迎えてくださった皆さん、ありがとうございました。
母の会いたい人巡りは翌日も続きます・・・
