【砂の女】2021.9.1
原作 阿部公房
上演台本・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
於 シアタートラム
見終わった後、砂が口の中にはいっているような、
髪の毛についているような、
何とも言えないざらざら感。
それほど広くない劇場が
布の動きとそれに重なる映像、なにやら神秘的な音楽で砂に包まれた空間となった錯覚に陥る。
原作はあまりにも有名な「砂の女」
数十年前、中学か高校の時に読んだが、
砂に閉じ込められるアリ地獄のような情景が浮かんで
ざわ~っと怖かった記憶だけが残っている。
都会で暮らす中年の教師(仲村トオルさん)が
妻との不毛ないさかいも含めた現実に疲れて、
趣味の昆虫採集のために砂丘を訪れる。
そのまま、砂穴の底に住む女(緒川たまきさん)の家に軟禁され、
女とともに来る日も来る日も砂を掻き出す作業をさせられる。
教師と言う職業人である自分がいなくなったらみんなが探してくれるはず、と男は思っている。
けれど、男が妻への当てつけなのか、中途半端な書置きを置いてきてしまったために、
いなくなっても捜索してもらえない。
探してもらえるはず、という砂の中の場面と、
全然探してない家の近所や学校の場面が交錯して、なんだか物悲しいし滑稽だ。
都会から来た教育者である自分とおそらく学のない村人。
最初は見下し、エラそうな態度でホントに感じが悪かったのに、
だんだんと上下関係が逆転してくるさまがリアルで怖い。
砂嵐で夫と子供を失った孤独な未亡人の「女」が「男」登場で、
みるみる表情が明るくなっていくのが、ちょっと切ない。
ひたすら砂を掻き出す日々に疑問を持たず、
どこかほかの土地に行こうとも思わず、
アリ地獄の底のような場所で、毎日を生きている。
つらいのかと思うと、そうでもなく、その生活の中でも楽しみを見つけては
楽しそうにほほ笑むチャーミングさが、ミステリアスさをより際立たせる。
男は何度も逃げ出そうとするがそのたびに失敗し、
女は失敗に安堵する。
じわじわと生活に慣れて、限りなく優しくつくしてくれる女を愛おしく思い始め、
ある日、とうとう脱出の機会が訪れたのに、男は自らの意志で、砂の底に残ることに・・・。
過疎化でお金がなく、砂の対策ができずにいる村で、今までも何人もの人が同じ目にあっている、と聞いた時の驚愕と絶望感。
それでも脱出を何度も画策するしたたかさ。
仲村トオルさんって、演技が上手なんだか下手なんだかちょっとわからないようなイメージだったれど、
迷い込んでから逃げない選択をするまでの少しずつの変化が、とても自然だった。
コケティッシュな可愛らしさを漂わせる緒川さんとのやり取りで、随所に笑いも散りばめて、
ともすれば暗いだけの話になりそうなところを、ふっとすくいあげて、目が離せない。
もともとケラさんの舞台は映像を素敵に使うのだけれど、時にはちょっと使い過ぎってことも。
でも今回の砂の映像はホントに効果的で、自分の周りにも砂が深々と降り注いでくるような気がしてくる。
冒頭にも書いたが、口の中がざらざらしてくるような気がしてくるのだ。
おそらくこういう感覚は配信だと感じられないのかもしれないな~。
コロナ禍、何となく観劇も憚られて、出かけて行く回数も激減している。
少し、落ち着いたかに見えた数か月前にチケットを購入した「砂の女」。
その時には、まさかこんなに感染者数が増えるとは思っていなかった。
そろそろ減ってきてるんじゃないかな~、と楽観視していた。
行動を制限される今の世の中の閉そく感と、
砂の中に閉じ込められて先が見えないというシチュエーションがなんとなくリンクして
より、感じるところが多かったのかもしれない。
同じく阿部公房原作の「友達」という舞台のケットは、何度もトライしたけど全然取れなかった。
こんな時でもやっぱり舞台を観に行きたい人は行きたいんだな~、としみじみ思う。
配信が増えたり、キャンセルがしやすくなったり、
チケットをとっちゃったらもう行くしかない、的に、ある意味融通が利かなかったエンタメ業界も少しずつ形を変えて、
より行きやすいものになっていってほしい、と願っている。