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ゆるゆるらいふ

とりあえず、今日も一日機嫌よく・・・

七回忌

2016年01月18日 | イベント

抜けるような青空の下、夫と私は喪服を着て、歩いて5分のお寺へと向かう。

この日は、隣に住んでいた、夫の親戚のおじいさんの七回忌だ。

夫やその家族は「おじさん」と呼んでいたが、実際は伯父ではなく義父のイトコにあたる人。
早くに父親を亡くした義父は義祖母と一緒に、本家であるこのおじさんの家で、大人になるまで兄弟のように暮らしたらしい。

私が夫と結婚したとき、義父はすでに病床についており、そののち20余年間介護が必要な生活を送ることとなる。

その間「おじさん」は夫の家族のことを気にかけてくれ、何かと面倒を見てくれていた。

ひょんなことから「おじさん」の土地に建物を建てるお手伝いをすることになり、
いつのまにか、お隣にすむようになっていた。

ある日、たまたま用事があって声をかけたら、体調を崩してこたつの中でぐったりしていたのを発見して以来3年間ほど、
介護っぽいことをすることになった。

介護と言っても、週に何日かの夕食運びや、病院の送迎、ヘルパーさんの手配など、
世間一般の介護をしている方に比べたらほんのプチ介護だ。

生涯独身で、一人で生きる覚悟を決めていた「おじさん」は決して甘えない。
基本的に自分でできることは自分でやり、いよいよの時だけ私たちが手を貸す。

具合が悪くてもとことんまで我慢するので、即入院って時もあった。

戦争中、シベリアに抑留されていたというから、我慢強さもハンパじゃない。

腰が痛い、と言うので、整形外科に連れて行ったり、内科にも行ったりしたけれど、80歳を過ぎるとだいたい老化で片付けられて
ちゃんと検査もしてもらえないうちに、ある年の大晦日、突然、モノが呑み込めない、と言う。

年越しそばを1cm位のぶつ切りにしてもだめ、飲み物も受け付けない。

お正月が明けて、病院に行ったらそのまま入院。
末期の胃がんだとわかり、1か月もたたないうちに亡くなってしまった。

きっとものすごく痛かったに違いないのに、そんな風に見せなかったのもすごいし、
ほとんど私たちに面倒をかけず、財産の処理もきちんと済ませていてあっぱれな最期だった。

もう丸6年もたったんだな~と月日の流れの早さをじわ~っとかみしめながら、お寺のご住職のお話を聞く。
あのとき中学の合唱大会を途中で抜け出して告別式に参列した次男も成人式を迎えた。

声が大きく、滑舌のいい、浄土宗のご住職が「明るく、楽しく、仲良く」と繰り返しおっしゃっている。

お焼香とは、香を焚いた後の煙が故人を供養しているらしい。

自分の知っている故人だけでなく、そのずっと前に亡くなったたくさんのご先祖の誰が欠けても
あなたがこの世に存在しなかったことを感じて、ご先祖様にも思いを馳せてほしいともおっしゃる。

このお寺のご住職のお話はとても分かりやすい。

お寺は数年前に建て替えたばかりで、新しくて、きれい。

本堂の天井に描かれている現世の季節の花や鳥、極楽の色鮮やかな世界。

ちょっと普段目にしない幻想的な雰囲気にしばし引き込まれていたけれど、
現実的な夫やその家族に「行くよ!」と言われて、本堂を出る。
ここで、写経でも教えていただきたいくらいだ。

お墓にお参りし、11人だけのこじんまりとしたお食事会もあっという間に終わり、七回忌は無事に終了。

お隣はずっと空き家のままだけれど、昨年に引き続き、2月に夫のイトコ会主催の餅つき大会の会場となる。

生前、私が次男と一緒に夕食を運んでいくと、お年寄りにも容赦ないヘビーなおかずでも、
こたつに入ってテレビを見ながら、にこにこと「ありがとう」と言ってくれる。

次男がこたつにもぐりこみ、「こっちの方がおもしろいよ」と勝手にアニメにチャンネルを変えるのを、
これまたにこにこと見ている姿を思い出すと、今でもちょっと切なくなる。

あんなふうに歳をとりたいな~と思う今日この頃である。






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祝・成人

2016年01月12日 | イベント

1月10日の朝、次男と中学の同級生二人は、成人式の式典会場へ向かう。
私達が住む市は、例年成人の日の1日前に式典を催す。

新成人たちは、そのあと、同窓会とかクラス会とか友達同士の飲み会とか、夜遅くまで遊びまわるので、
次の日が祝日でお休みっていうのは気が利いてる、と思う。

案の定、式典から一度帰っては来たものの、そのあとは中学の同窓会へ、そこから中学のクラス会へと流れ、
彼が帰宅したのは深夜1時を回っていた。

でも、そんな時間、我が家にはまだお客様が・・・。

そう、この日の夕方から、親たちも我が家に集まって飲んでいた
ここまで無事に育てたお疲れ様会と新年会をかねて・・・。

長男の保育園時代のお友達の保護者の集まりが今も続いていて、
そのつながりから、お付き合いが広がり、いつのまにか、保育園の枠を超えたメンバーが増えている。

皆、夫婦ともフルタイムで働いているので、子供たちにはあまり手をかけられなかった。
幼少期のトイレトレーニングをはじめ、基本的なさまざまなことは保育園でしつけてもらった、といっても過言ではない。

でも、子供たちはたくましく育ってくれた。
保育園時代の友人は友人と言うより兄弟に近いような。
親たちも保護者同士のお友達というより、お互いの都合の悪いときに助け合ってなんとかその場を乗り切っていた同志のような存在だ。

みんなあまり子供たちのお勉強に力を入れてこなかったので、ずば抜けていい大学に行ったりはしてないけれど、
私達はとりあえず、大きな病気やけがをさせることもなく、無事に生きて20歳を迎えられることを、
同級生やその兄弟姉妹たちが20歳になるたびに祝っている。

そして、親同士、お互いの労をねぎらう。

「私たちもがんばったよね~」と。

今回の宴会には、長男やその友人二人と友人の弟クンも参加している。
弟クンは来年成人式だ。

さて、我が家の宴会はみんなで持ち寄りっていうのが定着している。

私が用意しただけだと



ちょっとスカスカだけど、みんなが揃うと、



一気にどか~んと居酒屋の宴会感が増す。

お料理が上手な友人の一人はお祝いに鯛を煮付けてきてくれる。



物凄く美味しい

こういう集まりを始めたころ、子供たちはとにかくじっとしていなくて、
ばたばた走り回ったり、押し入れなどの中に入ってかくれんぼをしたり、
ケンカして泣いて騒いで、と落ち着いて話なんてしていられなかった。

それが今は、大人たちと同じテーブルで、お酒も飲んじゃったりしている。

私達もあのころはバリバリ仕事していたけれど、少し先には「定年」の二文字が見えてきている。
実際、この日の参加者の男性のひとりはこの3月に定年を迎える。

月日の経つのはホントに早い。

長男は男の子にありがちな小さいころによく熱を出すってくらいだったけれど、
次男に至っては、ここまで来るのが結構大変な道のりだった。

彼がお腹の中にいる妊娠6か月の時、私は運転中に相手が原因の正面衝突事故に遭う。
救急車で運ばれた時には赤ちゃんはもうだめかと思った。

幸いにも、赤ちゃんには何のダメージもなく、私もろっ骨にひびが入ったくらいで済んだ。

妊娠8か月の時には、超音波で腎臓の病気が見つかった。
胎児でもそんなのわかるんだと驚いたものだ。

それから、小学校に入るまではず~っと検査をし続け、途中喘息にもなり、発作で入院することもあった。
入院中、小児科病棟の公衆電話で仕事の打ち合わせをしているところをお医者様にみられ、
「お母さんの顔じゃなかったね」なんて言われたりもした。

それらの病気は成長と共に徐々に良くなり、今の悩みはニキビくらい。

無事に育って本当に良かった

あとはなんとか大学を卒業し、無事就職してほしい。

比較的母性が少ないと言われる私でも、こんなにハラハラするのだから、
ちゃんとしたお母さんたちの心配はどれくらいのものなのだろう。

ともあれ、とりあえず、成人式は無事終わり、本人はものすごく楽しかった、と幸せそうに帰ってきた。

そんな姿をみられれば、もういいかな、と思った成人式の夜でした

月末の期末試験の頃、またハラハラが待っているに違いないけれど










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初めての屋形船

2015年11月02日 | イベント
夫のイトコ達はとっても仲がいい。

いとことその配偶者を合わせると30人。
ほとんどが比較的近くに住んでいるのもすごい。

遠くにお嫁に行ったなどと言う人が一人もいない。

毎年、12月に餅つき大会を催すのがここ数年の恒例行事となっているが、
時々は皆で出かけたりもする。

今年はその「時々」、だ。

いとこ会の会費(?)の繰り越しが多いので、少しの負担で屋形船に乗ろう、と言うことになったらしい。
今回の出席者は24人。
なかなかの出席率。

実は私は屋形船は初めて。

この季節に屋形船ってどうなの?とちょっと不安で、酔い止めを飲んでみたりしたけれど、これが、なかなか楽しい
この日はとてもお天気がよく、風も無いので、船もほとんど揺れない。

なんとも、レトロな船着き場は、我が家から歩いて10分弱のところにあった。



ウォーキングやお祭りで何度も通っていたのに、なんとなくスルーしていた。
きっと自分には関係ないと思って、脳ミソが気に留めなかったんだろう。

夜の江戸川はなんだかとてもきれいで、別の場所みたい。



お料理はとっても素朴。
友達のお宅にお邪魔して、ご飯をごちそうになってるかのようだ。

 

江戸川を進んでいき、今井橋と浦安橋の下をくぐって、ディズニーランドの沖に停泊する。

ここで、8時半から始まるディズニーランドの花火を見て帰ってくる、というコース。

花火のように華やかな葛西臨海公園の観覧車が見える。



ディズニーランドの夜景もきれい

 

ここで、待つ間に天ぷらがでてくる。
揚げたての天ぷらってホントに美味しい。

でも、どうして屋形船って、天ぷらなんだろう・・・。

船が泊まると、かもめたちがやってくる。



きっとみんなエサをあげてるんだろう。

義母が天ぷらのエビのしっぽとか頭とかを投げると、すごい勢いで群がってきた。
鳥がこんな油っぽいものを食べて大丈夫なんだろうか・・・。

停泊している間、一緒に参加した叔父の米寿のお祝いで花束贈呈をしたり、
カラオケをしたり、にぎやかに夜は過ぎていく。

いつもの集まりでは、何かしら嫁としての作業が伴うけれど、
今回のようにただ座って食べて、片付けなくてもいいって言うのは夢のようだ

楽しい2時間はあっという間に過ぎ、船は、あのレトロな船着き場に戻ってくる。

これで今年の行事は終わりかな、と思ったら、餅つき大会は12月末にやはりやるようだ。
会場は昨年に引き続き、我が家のお隣の親戚の空き家。

ってことは前日から準備作業が・・・。

やっぱり、楽するだけでは終わらない。

餅つき大会がんばります







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個展を見てから全国の高校のノートがあるお店へ

2015年10月08日 | イベント

同級生の奥様とお嬢さんが2人で開く個展も3度目を迎えた。

今回も高校の同級生と一緒に出かけて行く。

昨年に引き続き、今年の会場も銀座1丁目にある奥野ビル。
何ともレトロで味のあるビル。



エレベーターはこんな感じで、なんとドアが手動

 

降りたときにこの黄色いのをちゃんと閉めないと(自分で)エレベーターはその階にず~っと停まったまんま

一緒に乗り合わせた人が降りないと次の階のボタンが押せないので、下の階の人から順番にボタンを押さなければならない。

奥様が版画、お嬢さんが写真、というこの展示会。
お嬢さんの写真の腕は着々と上がっている。

 



今までは、それぞれにそれぞれの作品を作っていたけれど、今回は写真と版画が融合した作品も。



ポストカードにもなっているこの作品。

背景の四つ葉のクローバーは写真。
女性が版画。

透明感のあるステキな暖かい作品だ。

この作品の作り方について、奥様がそれはそれは詳しくレクチャーしてくださり、
その時はわかった気になって「ふんふん」と聞いていたのに、もうわからない・・・

お父さんが音楽家、お母さんが版画家、で、そのお嬢さんに才能がないはずがない。
ほとんど独学で、写真を撮り、ホームページを作り、ポストカードなども作っちゃう。

凡人の両親から生まれたうちの息子たちが不憫でならない・・・。
なんかごめんなさい。

ほっこりとした作品に囲まれ、おしゃべりをしていると、ビルの一室が、陽だまりのようだ。

奥様の作品は来年ニューヨークの展示会にも展示されるらしい。
行けるものなら行ってみたいものだが、さすがにムリ

お嬢さんの今後のご活躍も楽しみだ。

ひとしきりおしゃべりをした後、友人と私は新橋へ向かう。
目的のお店は、新橋にある「有薫酒蔵」

以前に次男の高校のママ友と集まっていた、有楽町の「有薫酒蔵」の姉妹店。

このお店には全国の高校のノートがある、と先日テレビ番組で放送されていた。
たまたま、テレビをつけたらやっていて、テーブルの上がクローズアップされたら、まさかの私の出身校のノートが1番上に

これは行ってみるしかない、と予約を入れた。

ここでもう一人の同級生と合流し、ノートを見せてもらう。
お店の人に、高校名を書いた紙を渡すと、女将さんが持ってきて、説明してくださる。



それによると、なんでもこの日現在、約3000校分の全国の高校のノーとがあるとのこと。
もちろん、この日に新たなノートが出来ているかもしれない。

ノートには作られた順に番号が書いてあり、母校は「29」番。
3000校あることを考えると、かなり初期に作られている。

が、そのわりに書いている人は少ない。

一番最初に書いた方は私達より20年近く前の卒業生。
直近だと2か月ほど前に来店された方がいる。
この方は私達より1歳上の先輩。

最初に書いた方が、再度来店して「まだ健在です」なんて書いてあるのが微笑ましい。

ノートの裏表紙にはおかみさんがわざわざインターネットで探してくださった、校舎の写真や、校歌などが貼られている。
しかも、私たちが通った、建て替え前の木造校舎の写真まで
なんて粋な心配り

私達も3人で少しだけ書いてきた。

予約できるものなら、ここで毎年の集まりをやりたいね、なんて話しながら。

ステキな版画や写真を見て、懐かしい想いを感じさせてくれるノートを見て、幸せな気分のまま、
翌朝も仕事なので、早め(?)に解散。

楽しい時間でした。
今度は忘年会か新年会でお会いしましょう
























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ねじめ正一氏講演会

2015年10月05日 | イベント
お仕事でお世話になっている家具メーカーの方にお誘いいただき、介護に関する講演会に参加してみた。

直木賞作家でもあるねじめ正一氏がご自身のお母さまの介護体験をお話しくださるという。

このことはご著書である「認知の母にキッスされ」にも書かれているとのこと。

お母様は単にいろいろなことを忘れてしまうだけではなく、妄想を伴う認知症らしい。

そのため、実際にはいない人のお話をしたり、架空のお使いごとを頼まれたり、
そうかと思えば、ねじめさん自身の覚えのない女性関係を追及されたり、と日々神経をすり減らしながら
お母様と接してらしたご様子。

ただ、小説家と言う職業柄、いろいろな角度からお母さまを見つめ、優しくユーモラスに受けとめていらしたようだ。

そのお母様は、今は入院し、ほとんどお話しすることなく、眠っていることが多くなったとおっしゃる。
それでも、そのベットの傍らで、わざと音を立てて新聞を読んだり、話しかけたり、
と自分の気配をお母さまが感じるようにと心がけてらっしゃるとか。

「寄り添うことが大切」とおっしゃる。

この講演を聞き終えての感想は、と言えば「これは介護って言うのか?」かな。

あくまでも、講演だけを聴いてのことであって、もしかしたらご著書にはもっと大変なことがたくさん書いてあったのかもしれない。
ただ、講演を聴く限りでは、どちらかというと「お留守番」だ。

基本的な立ち位置が一般の人と違いすぎる、と言うこともある。

ご自身のお店は、昼間ねじめさんがお母さまのそばにいる間、奥様が切り盛りしてくれる。
一緒に住んでいらっしゃるのは弟さんご夫婦。
弟さんたちは昼間働いていて、夜に帰ってきてからお母さまを看ることとなり、かなりの寝不足だったとか。
だったら、昼間眠ることもできるねじめさんが夜についててあげたらいいのに・・・、などと思ってしまう。

ご自身の資金援助で、家の近くの施設に入ることが出来、毎日顔をだし、何時間でも話し相手になれる、というのも、
一般の人にはなかなかできないことだ。

寄り添いたくても、なかなか家の近くの施設に入れる財力も時間も無かったりするのが現実ではないだろうか。

ご自身はたとえ話してなくても何時間もいられるが、奥様は1時間が限度なので、1時間でできることを探す、というのは男女の違い、
ともおっしゃっていたがこれも何だか違う気がする。

会話が無くても、ただベッドの傍らでいられるのは実のお母様だからではないか、と私は思う。
妻は義理の母との歴史が浅い。
夫と同じだけの歴史や想い出をを共有してはいないのだ。
これは、姑が好きとか嫌いとかのことを言っているのではない。

何度も言うが、あくまでも、講演内容の感想だ。
これだけ聞くと、一番おいしいところだけ取ってるようにも聞こえ、
逆にこれを本にされた同居している弟さんたちは、どんな思いなのだろう、と考えてしまう。

ただ、「男はいくつになっても母親にほめてもらいたいものだ」
「私のために、がんばってくれてありがとう、よくやったね、と言ってほしい」
とおっしゃっていたのには胸が熱くなった。

きっとそうなのだろう。
夫を見ていても、本当にそう思う。
母親に喜んでもらおうと、けなげな努力をし続けている。

そして、これは息子も、娘も、だと思う。

かつて何よりも大きな存在だった自分の親が老いていき、違う人のようになっていくのを受け入れるのはとてもつらい。
物理的に大変な介護に、精神的な面も加わるから、身内の介護はより過酷なものになってしまうのかもしれない。

私自身のことを思ってみても、夫と私、双方の親の介護はもう目の前まで来ている。
そうしているうちに自分も介護される側になってしまうのだろう。

ねじめさんの体験は、残念ながらあまり参考にはならなかったけれど、
前向きに接することや寄り添う気持ちの大切さは伝わってきた。

じゃあ、自分の立場ならいったいどんなことができるのだろう、と見つめ直すいいきっかけになったと思う。

介護の形は子育て同様、人それぞれ、ケースバイケースだ。
子どもはいろんなことがどんどんできるようになり、いずれは一人で歩いて行くけれど、
介護はいろんなことが出来なくなり、一人で生きて行けなくなってくる。

今の私は、子育てがやや終わり、介護まではまだ少しの猶予がある、という時間の中にいる。
どういう介護が必要になってくるかはその時になってみないとわからないので、
とりあえずは今の自分の時間を大切に生きて行こうと思う。

それにしても、もう少し、安心して年をとれる社会ならどんなにかいいだろう。
結局は個人の財力がものをいうんだなあ、と思い知った講演会だった。









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