きし麺地方の選挙が終わったそうで・・その結果は予想通り。
結局日本の国民は『ノー』という意思表示はできるのだが、じゃあどうしたいの??という具体策は出せない、というか人のやったことに文句いうだけで作り上げるドジョウが無いんでしょうね。
最近の政府の方向は、経済に関して言えば『消費税率の引き上げ』ばかりいっているけど、これこそ日本の国民に一番嫌がられる増税の方法。
もし、本当に税収を上げたいのであれば、流通産業をもっと大事にすればよいのだと思うのですけどね。
最近の政策はその逆、いかに流通業を『中ぬき』して物流させるかの話ばかり。
ちょっと考えれば、たとえば生産者から100円のものを消費者に流通させた場合、生産者が直接消費者に渡してしまえば、5円の消費税しか国庫にはいらないけど、それが卸業者、仲卸業者、商店と3段階を経れば、儲けの分は別にしてそのたびに5円ずつの消費税が発生するンと違いますかね??20円の税収ですよね?
消費税率を上げるよりも効率よいのじゃないですか?そのうえ、業態が色々発生して雇用も発生すると思うんですけど。
なんでもコンパクトなんて言葉で片付けて、6次産業なんて言葉も作り出しちゃうようじゃあ・・末端の消費税しか考えないの変だと思うkおばちゃんです。
○12月31日(金)
長年の憧れの地マウサmağusa(ファマグスタ)のオテロ・タワーOtello Kalesiの見学をはじめたのですが・・ほんと規模が思ったより小さいにです。
廃墟に近い『小さな砦』という感じです。
この様に大部分が天井も抜けてしまっています。
ふと下を見ると、古い石に混ざって、なにやら新しい『石』が見えます。なんでしょう。
これが異質な感じがしました。
不精してズームしてみました。
1974(7?)年7月28日と一番天辺に彫ってあるように見えます
その下のエンブレムをはさんだUNの文字。これは国連軍のことではないでしょうかね?
年号が1974年ということは無いとは思うのですが・・というのは、その1974年7月に起こった出来事で現在の分断されてしまったキプロス島の姿になってしまったからです。
地中海貿易の中継地点として、古代から栄えてきたキプロス。
しかし、それは島の統治の歴史でもり、近年、オスマン帝国誕生後はおおむね2つの文明、キリスト教(ギリシャ系)とイスラム教(トルコ系)が交錯していたのですよね。微妙なバランスをとりながら。
ところが1974年7月15日にギリシャ軍事政権の支援を受けた併合強硬派がクーデターを起こしてマカリオス大統領を追放したことをきっかけに、トルコはトルコ系住民の保護を名目に7月20日キプロスに侵攻。
これにより7月22日にクーデター政権が崩壊。しかしこれを期に、トルコ軍はキプロス分割問題の解決をしようと8月13日に第二次派兵。それ以降首都ニコシア以北のキプロス北部を占領、トルコの支持を得たトルコ系住民は1975年、キプロス共和国政府から分離してキプロス連邦トルコ人共和国を発足させ・・
年号が1974年というキプロス紛争勃発の年なんです。停戦が発効したのは1974年8月16日。
ですから、国連平和維持軍UNFICYPがここマウサに進攻してくるのはもっと後だと思います。
一昨年の南キプロスでは、高速道路などでよくこの国連平和維持軍UNFICYPの車を見かけましたが、こちら北キプロスではまだお目にかかったことがありません。
(UNFICYPのお仕事はここにあります。)(トルコ軍のキプロス進攻についてはここにあります)
石の真ん中に書かれているのは・・人のなまえでしょうか?判りません。どなたかご存知でした教えてください。
キプロスの現在の姿はこの様に南北に別れ北の赤い部分が北キプロストルコ共和国Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyetiと呼ばれる部分です。
こちらの地図は Wikimedia Commonsからのものです。1960年ころのトルコ系とギリシャ系の人口の分布を示しているそうです。
本とはこんなに混在していたのよね。
紛争の種なんて、どちらかが悪いというものではないと思います。だからkおばちゃんには何もいえませんけど。
城壁に囲まれたこの町そのもだって、過去からの人間の紛争の象徴ですものね。
ここから、さっきkおばちゃんがみた、海の門の『海側』が見えますね。
こちら側は、先ほど見た北キプロス軍の施設です。あら、下に門があったんですね。
城壁の上にはうっすらと草が茂っています。
反対側を眺めると、船がすぐそこに・・オテロの率いた軍船もこんな感じで見えたのでしょうか?
そうそう、生えている草はこんな感じです。乾燥している地にへばりついてるようです。
これは所々に開いている『穴』です。明り取りでしょうか?でも雨がふったらねえ・・
こちら側は砦の向こう側にさらに壁があります。
石組みのハザマから見える風景は平和そのものなんですけど、紛争の解決はなされてないんですよね。
結局日本の国民は『ノー』という意思表示はできるのだが、じゃあどうしたいの??という具体策は出せない、というか人のやったことに文句いうだけで作り上げるドジョウが無いんでしょうね。
最近の政府の方向は、経済に関して言えば『消費税率の引き上げ』ばかりいっているけど、これこそ日本の国民に一番嫌がられる増税の方法。
もし、本当に税収を上げたいのであれば、流通産業をもっと大事にすればよいのだと思うのですけどね。
最近の政策はその逆、いかに流通業を『中ぬき』して物流させるかの話ばかり。
ちょっと考えれば、たとえば生産者から100円のものを消費者に流通させた場合、生産者が直接消費者に渡してしまえば、5円の消費税しか国庫にはいらないけど、それが卸業者、仲卸業者、商店と3段階を経れば、儲けの分は別にしてそのたびに5円ずつの消費税が発生するンと違いますかね??20円の税収ですよね?
消費税率を上げるよりも効率よいのじゃないですか?そのうえ、業態が色々発生して雇用も発生すると思うんですけど。
なんでもコンパクトなんて言葉で片付けて、6次産業なんて言葉も作り出しちゃうようじゃあ・・末端の消費税しか考えないの変だと思うkおばちゃんです。
○12月31日(金)
長年の憧れの地マウサmağusa(ファマグスタ)のオテロ・タワーOtello Kalesiの見学をはじめたのですが・・ほんと規模が思ったより小さいにです。
廃墟に近い『小さな砦』という感じです。
この様に大部分が天井も抜けてしまっています。
ふと下を見ると、古い石に混ざって、なにやら新しい『石』が見えます。なんでしょう。
これが異質な感じがしました。
不精してズームしてみました。
1974(7?)年7月28日と一番天辺に彫ってあるように見えます
その下のエンブレムをはさんだUNの文字。これは国連軍のことではないでしょうかね?
年号が1974年ということは無いとは思うのですが・・というのは、その1974年7月に起こった出来事で現在の分断されてしまったキプロス島の姿になってしまったからです。
地中海貿易の中継地点として、古代から栄えてきたキプロス。
しかし、それは島の統治の歴史でもり、近年、オスマン帝国誕生後はおおむね2つの文明、キリスト教(ギリシャ系)とイスラム教(トルコ系)が交錯していたのですよね。微妙なバランスをとりながら。
ところが1974年7月15日にギリシャ軍事政権の支援を受けた併合強硬派がクーデターを起こしてマカリオス大統領を追放したことをきっかけに、トルコはトルコ系住民の保護を名目に7月20日キプロスに侵攻。
これにより7月22日にクーデター政権が崩壊。しかしこれを期に、トルコ軍はキプロス分割問題の解決をしようと8月13日に第二次派兵。それ以降首都ニコシア以北のキプロス北部を占領、トルコの支持を得たトルコ系住民は1975年、キプロス共和国政府から分離してキプロス連邦トルコ人共和国を発足させ・・
年号が1974年というキプロス紛争勃発の年なんです。停戦が発効したのは1974年8月16日。
ですから、国連平和維持軍UNFICYPがここマウサに進攻してくるのはもっと後だと思います。
一昨年の南キプロスでは、高速道路などでよくこの国連平和維持軍UNFICYPの車を見かけましたが、こちら北キプロスではまだお目にかかったことがありません。
(UNFICYPのお仕事はここにあります。)(トルコ軍のキプロス進攻についてはここにあります)
石の真ん中に書かれているのは・・人のなまえでしょうか?判りません。どなたかご存知でした教えてください。
キプロスの現在の姿はこの様に南北に別れ北の赤い部分が北キプロストルコ共和国Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyetiと呼ばれる部分です。
こちらの地図は Wikimedia Commonsからのものです。1960年ころのトルコ系とギリシャ系の人口の分布を示しているそうです。
本とはこんなに混在していたのよね。
紛争の種なんて、どちらかが悪いというものではないと思います。だからkおばちゃんには何もいえませんけど。
城壁に囲まれたこの町そのもだって、過去からの人間の紛争の象徴ですものね。
ここから、さっきkおばちゃんがみた、海の門の『海側』が見えますね。
こちら側は、先ほど見た北キプロス軍の施設です。あら、下に門があったんですね。
城壁の上にはうっすらと草が茂っています。
反対側を眺めると、船がすぐそこに・・オテロの率いた軍船もこんな感じで見えたのでしょうか?
そうそう、生えている草はこんな感じです。乾燥している地にへばりついてるようです。
これは所々に開いている『穴』です。明り取りでしょうか?でも雨がふったらねえ・・
こちら側は砦の向こう側にさらに壁があります。
石組みのハザマから見える風景は平和そのものなんですけど、紛争の解決はなされてないんですよね。