FORZA世界史inBLOG

世界史の復習をサポートするブログです

2004年東京大学本試 第1問16-18世紀の世界の一体化と銀経済

2020年04月27日 | 論述問題
2004年 東京大学本試 第1問 16-18世紀世界の一体化と銀経済

 1985年のプラザ合意後、金融の国際化が著しく進んでいる。1997年のアジア金融危機が示しているように、現在では一国の経済は世界経済の変動と直結している。世界経済の一体化は16,17世紀に大量の銀が世界市場に供給されたことに始まる。19世紀には植民地のネットワークを通じて、銀行制度が世界化し、近代国際金融制度が始まった。19世紀に西欧諸国が金本位制に移行するなかで、東アジアでは依然として銀貨が国際交易の基軸貨幣であった。この東アジア国際交易体制は、1930年代に、中国が最終的に流通を禁止するまで続いた。

 以上を念頭におきながら、16-18世紀における銀を中心とした世界経済の一体化の流れを概観せよ。解答は、解答欄(イ)を使用して、16行以内とし、下記の8つの語句を必ず1回は用いたうえで、その語句に下線を付せ。なお、(  )内の語句は記入しなくてもよい。

 グーツヘルシャフト(農場領主制)、 一条鞭法、価格革、 綿織物、 日本銀、 東インド会社、 ポトシ、 アントウェルペン(アントワープ)




【解き方】
まず、問われているポイントを見つけます。
① 時期:16-18世紀
② テーマ:銀を中心とした世界経済
③ 問い:世界経済の一体化の流れを概観する

次に、③世界経済の一体化とはどのようなことを指すのか?についてリード文から考えます。ここで自分なりに考えてはいけません。リード文から読み取ることが大切です。

【考えるヒント】
1. 「アジア金融危機」をわざわざ持ち出してきたのには理由がある。アジア金融危機に関する基礎知識はタイ通貨のバーツが暴落しアジア各国の通貨も暴落するという連鎖が起こったという程度。ここでポイントはタイで起きたことが「連鎖」していった、という点でしょう。現在は「一国の経済は世界経済の変動と直結している」とリード文で補足しています。
2. リード文初出「世界経済の一体化は」言い換えれば「アジア通貨危機」のような出来事の「連鎖」は、となります。
3. リード文「16,17世紀に大量の銀が世界市場に供給された」とあるので、「世界経済の一体化」は16,17世紀のメキシコ銀と日本銀(とくにメキシコ銀)のアジアやヨーロッパへの供給から始まったと解釈できます。
4. このような銀経済はアジアにおいては1930年代まで続いたとあるので、銀経済の広がりすなわちリード文によれば「銀貨が国際交易の基軸貨幣」とする経済体制と「世界経済の一体化」とは同じ意味と捉えてよいでしょう。
5. リード文は19世紀耕についても触れています。しかし、解答すべき①時期は16-18世紀です。

さらに「流れ」とは何かです。「流れ」を「文脈」と理解します。「文脈」は大辞林第3版によれば①文における個々の語または個々の文の間の論理的な関係・続き具合。文の脈絡。コンテクスト。②一般に、すじみち・脈絡。また、ある事柄の背景や周辺の状況、ということです。つまり世界史における「文脈」は「出来事と出来事のつながり」といってよいでしょう。
さて、この問題が問う「世界経済の一体化の流れ」が行きついた先は2004年の段階では「1997年のアジア金融危機が示しているように、現在では一国の経済は世界経済の変動と直結している」「植民地のネットワークを通じて、銀行制度が世界化し、近代国際金融制度が始まった」ような状況です。そこに向かっていく「文脈」に16-18世紀を位置付けることになります。
「文脈」に従えば、西欧・東欧・新大陸・中国・日本・インドなどが銀経済に組み込まれていく世界各地の状況について「銀経済」にこだわりながら記述してくことになりそうです。

【字数配分】・【記述のポイント】
 問題文から考えると字数配分を16世紀・17世紀・18世紀から480字を3分割しそうですが、地域ごとに字数配分したほうが書きやすそうです。地域は世界中ですが、指定語句を地域に割り振ってみると、グーツヘルシャフト(東欧)、一条鞭法(中国)、価格革命(西欧)、綿織物(インド)、日本銀(日本)、東インド会社(西欧)、ポトシ(南米)、アントウェルペン(西欧)になります。
16-18世紀という時代をチェックしながら、
① 西欧・東欧:200字
16世紀前半までヨーロッパの銀はアウグスブルクのフッガー家が支配する銀山に依存していた。/16世紀後半新大陸から銀が流入しヨーロッパの銀価格が暴落する価格革命が起こった。/その結果アウグスブルクの銀に依存していたフッガー家、ポルトガル、北イタリア諸都市は低迷していった。/16世紀地中海のジェノバと海路で結ばれたアントワープはポルトガルが東インドから持ち込んだ香辛料を買い入れ多大な利益をあげた。さらにスペイン領であったため新大陸の銀もアントワープを経由しヨーロッパ各地を銀で結び付けた。/その結果、アントワープはアルプス以北最大の都市に発展し金融業が栄えた。
17世紀アムステルダムが代わって銀中心の金融中心都市として繁栄した。/イギリス革命後イギリスは議会重商主義の下、輸出を拡大して銀を獲得した。/フランスは17世紀コルベール主義で銀の国外持ち出しを禁じ輸出の拡大を目指した。/17-18世紀英仏両国は銀獲得のために第2次英仏百年戦争をつづけた。
18世紀、フランスは銀獲得のための植民地争奪に敗れたため重商主義から重農主義への転換を図った。

東欧:15-16世紀エルベ川以東の地域ではグーツヘルシャフトが広まった。西欧への穀物供給地の地位に置かれ、その売却によって領主層は銀を獲得した。/18世紀には啓蒙専制君主が絶対王政を成立させたが、穀物輸出による銀の獲得がその財政を支えた。

② 新大陸:80字
16世紀メキシコのサカテカス銀山やボリビアのポトシ銀山が開発され、スペインへの銀供給地となった。/メキシコのアカプルコ港が銀の積出港であった。

③ 中国:100字
16世紀後半にスペインによってフィリピンのマニラ経由でメキシコ銀が持ち込まれた。/16世紀後半から17世紀前半にポルトガルやオランダ商人によって日本銀も流入した。/江南地方への銀流入の結果、明は銀経済に組み込まれ、1570年代から一条鞭法が施行された。/それまでの両税法は銅銭で納税したいたが一条鞭法では銀納が原則であった。
17世紀の危機により西欧からの銀流入が停滞した影響で対規模な農民反乱(李自成の乱)が発生し明から清に移った。
17世紀後半から18世紀にイギリスから銀が持ち込まれ、中国から茶が輸出された。/その結果、清の経済は安定し,康熙帝は盛世滋生人丁(1713年)を実施、雍正帝は地丁銀を全国に施行した。

④ 日本:60字
16世紀に石見銀山など日本で銀山採掘が本格化した。/ポルトガルとオランダが東シナ海・南シナ海の中継貿易に参入して日本が銀経済に組み込まれていった。
17世紀前半鎖国に入り世界の銀経済から距離を置いた。

⑤ インド:40字
イギリス東インド会社は1623年アンボイナ事件で敗北し香辛料貿易から撤退した。/17世紀東インド会社はインド産綿織物(キャラコ)を輸入し利益を上げたため、インドは綿織物製品を売却し銀を獲得した。/そのような中、ムガル帝国は皇帝アウランゼブ(1658-1707年)のもとで全盛期を迎えた。





最新の画像もっと見る