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西周と東周の時代区分

2014年09月24日 | 高2用 授業内容をもう一度
 【前1100】年頃に【殷の紂王】を破って成立した【周】は、都を【鎬京】におきました。しかし、前771年に異民族の【犬戎】が【オルドス】地方から侵入したため、【前770】年に都を東の【洛邑】に遷都しました。鎬京に都を置いていた時代を【西周】といい、東の洛邑に都を置いた時代以降を【東周】と呼びます。
 東周時代になると周の王室の威光は低下し、【覇者】と呼ばれる有力な諸侯が出現しました。代表的な覇者は【斉の桓公】や【晋の文公】です。覇者は名目的に周王室を守り立てて異民族に立ち向かおう、という姿勢、すなわち【尊皇攘夷】をとっていました。このように周王室の権威がまだわずかながらも残っている時代を【春秋時代】といます。この「春秋」という語は、【孔子】の著作『春秋』からとって名づけられています。
 しかし、【前403】年に大国の【晋】が【趙・魏・韓】の3国に分裂したことに象徴されるように、宗法はまったく乱れた時代に移っていきました。前403年から秦の始皇帝による中国統一の【前221】年の時代を【戦国時代】といいます。
 すなわち、【東周】の時代は前半を【春秋時代】、後半の前403年からを【戦国時代】に分けられているわけです。

 

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