東ローマ帝国で【皇帝】が東方教会を支配する「政教一致」の体制を【皇帝教皇主義】と言います。東ローマ皇帝が【東方教会】の指導者であるコンスタンティノープル教会の大司教(大主教)を任命したり、自分の言うことを聞かせたりできたので、政教一致なわけです。ここでいう教皇とは、実際の教皇ではなく、大主教のことです。皇帝が西欧の教皇を兼務しているようだ?!という意味の言葉といえます。
【帝国教会制】という言葉と似ていますが、まったく違う内容の言葉です。
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