アテネは国家財政をもっていませんでした。それは市民が「税」を払うという習慣がなかったからです。税がないということは、国家として「軍隊」を保持できないことでもあります。それは、武器を買う国家予算がないからです。
ではどのようにしてアテネは国や市民を守ったのでしょうか。市民は武器を自分で購入して戦争に参加するしかなく、そのようなポリスに対する奉仕を行えることは、市民にとって誇りであり名誉でありました。貴族や富者はそのような意味で、多くの市民たちから、尊敬を受けていました。このような精神文化は現在の西欧社会にも受け継がれているように思います。そのような名誉ある人々が政治や裁判や立法行為を委託されていたのは当然でしょう。
サラミスの海戦は、財産もなくその日暮らしの日雇い労働に明け暮れていた無産市民にも、誇りと名誉と与えてくれました。しかし無産市民を含めたすべての成年男子市民3~4万人が、政治や裁判や立法行為に従事させるには制度改革が必要です。ペリクレスがその重責を担ったのです。
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