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長老派について少し詳しく

2023年05月30日 | 高3用 授業内容をもう一度
独立派のうち立憲君主制を志向した人々を長老派と呼びます。しかし、ピューリタン革命は党派がきれいにわかれていません。つまり特権階級でも大商人は議会派で、貴族は王党派であるといったようにはいかない。どちらかというとロンドン商人は議会派が多かったと考えられています。

さて長老派は特権階級に近いもしくは特権階級に属していた人々です。彼らはジェームズ1世が新しい特権を乱発したり、関税を新しく設けたことに反発した人々です。さらに国王が無理な遠征をして財政をさらに悪化させることに腹立たしく思い、国王が勝手に政治をするという状況を改めて、議会が国王の政治を制限することを目指していました。
しかし特権階級に近い長老派のおおくは国教会に属していました。政治的に反国王を標榜して国王による特権の濫発や戦争のための課税に反発していたので、ピューリタンの経済活動には好意的で、むしろピューリタンの経済活動によって利益を得ていた人々でした。
また特権階級に近かったため政治のノウハウについては素人のピューリタンよりよく知っていたともいえます。

しかし、クロムウェルが独裁を始めやがてその独裁政治が行き詰まると、ピューリタンの政治活動に対する風当たりは非常に強くなります。クロムウェル達の独立派は、王党派だけでなく長老派、水平派、真性水平派を弾圧していたのだから仕方が無いでしょう。

独裁政治が行き詰まると政治の素人の独立派などは上手く立ち回ることができず、長老派がフランスに亡命していたチャールズ2世と妥協して政治の安定を確保することを目指したわけです。長老派は立憲君主制を志向していたのだから国王が議会政治を認めるならば、この妥協は最高の結果です。チャールズ2世もなんとか国王に即位してしまえば、あとはどうにかなると考えていました。

こうして長老派が実権を握り、国教会を堅持する政治を始めました。これが王政復古の時代です。

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