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第2次英仏百年戦争

2023年05月30日 | 高3用 授業内容をもう一度

 【ハンザ同盟】は【ロンドン】に四大商館のひとつを置いたが,当時のイギリスはヨーロッパの辺境でしかなかった。海外進出の面でもポルトガルとスペインに遅れをとったイギリスだが,16世紀初めの【ヘンリ8世】治世下に,ローマ=カトリック教会と絶縁し中央集権化がすすみ絶対主義が生まれた。この国家は国内統治を固めるかたわら,輸出産業の保護育成に力を注ぎ,植民地獲得にむけて積極的な海外進出を企てた。
 絶対主義国イギリスの海外進出は【エリザベス1世】の治世にひとつの頂点に達した。エリザベス1世は西インド貿易をスペインから奪取するために,【カリブ海域】で頻発した【私掠(海賊)】行為すらも援護したといわれる。またアジアとの貿易のために【1600】年には【東インド会社】を設立した。
 イギリスの重商主義政策は【ピューリタン革命】後も踏襲された。これを【議会重商主義】という。【オリヴァ=クロムウェル】は【1651】年に【航海法】を発布して,中継貿易国家【オランダ】に打撃を与え制海権を奪おうとした。このため両国は3度にわたって戦いを繰り広げた。これに勝利したイギリスは,その間にも海上交通の要衝を次々とオランダから奪い取り,17世紀末には世界貿易の覇権を握った。
 イギリスの最後の敵は【フランス】であった。両国は18世紀を通じて海外植民地で血みどろの戦いを繰り広げた。インドでは,財務総監【コルベール】の下で再興されたフランス【東インド会社】が,【ポンディシェリ】などを拠点に活動し,イギリス東インド会社と張り合っていた。だがフランス総督【デュプレクス】が本国召還されると力関係は逆転し,【クライブ】の率いるイギリス東インド会社軍が,【フランス・ベンガル太守】連合軍を破った。これが【プラッシーの戦い】である。これに勝利したイギリスはインド経営の基礎を固めた。
 北米大陸では,フランスは【ハドソン湾】から【五大湖】を経由して【ミシシッピ川】に至るルートを開拓し,その広大な流域一帯を領有していた。だが【】七年戦争の一環として展開された【フレンチ=インディアン戦争】において,フランスの拠点都市【ケベック】が陥落して決着がついた。イギリスは【ミシシッピ川以東ルイジアナ】のフランスの植民地を奪い,他方フランスは北米大陸のすべての植民地を失った。
 こうしてパクス=ブリタニカ(覇権国家イギリス)の第一幕は完了した。


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