2020年一橋大学本試【2】解答例①
解答例②
イギリスは19世紀半頃小英国主義で繁栄を謳歌し、覇権が確立した。しかし1890年代アメリカが工業力でイギリスを抜き世界1位となった。第1次世界大戦でアメリカは債務国から債権国に転じた一方でイギリスは新たな植民地建設に失敗した。世界恐慌に対しイギリスは1931年ウェストミンスター憲章でイギリス連邦を組織して対応を図ったものの第2次世界大戦でアメリカは世界の金の75%を保有量する超大国となった。その結果1944年ブレトンウッズ体制で金・ドル本位制が採用された。さらにヨーロッパ諸国の経済再建と社会主義化を防止する目的で1947年マーシャル=プランが実行されアメリカの絶大な力が示された。また冷戦でアメリカは1949年NATOを結成し西側軍事同盟を主導した。一方、イギリスのアトリー労働党内閣が主要産業国有化で経済を停滞させ、1947年インド独立などを容認し大英帝国終焉が始まった。さらに1956年スエズ動乱で1875年以来保持したエジプトへの影響力を失った。(に)
解答例②
イギリスは19世紀半頃小英国主義で繁栄を謳歌し、覇権が確立した。しかし1890年代アメリカが工業力でイギリスを抜き世界1位となった。第1次世界大戦でアメリカは債務国から債権国に転じた一方でイギリスは新たな植民地建設に失敗した。世界恐慌に対しイギリスは1931年ウェストミンスター憲章でイギリス連邦を組織して対応を図ったものの第2次世界大戦でアメリカは世界の金の75%を保有量する超大国となった。その結果1944年ブレトンウッズ体制で金・ドル本位制が採用された。さらにヨーロッパ諸国の経済再建と社会主義化を防止する目的で1947年マーシャル=プランが実行されアメリカの絶大な力が示された。また冷戦でアメリカは1949年NATOを結成し西側軍事同盟を主導した。一方、イギリスのアトリー労働党内閣が主要産業国有化で経済を停滞させ、1947年インド独立などを容認し大英帝国終焉が始まった。さらに1956年スエズ動乱で1875年以来保持したエジプトへの影響力を失った。(に)