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ジャイナ教と仏教

2015年06月26日 | 高2用 授業内容をもう一度
 前6~5世紀のガンジス川中流域は、【16王国】時代を迎えていました。この頃には、インドでも【鉄器時代】が本格化し、さらに【貨幣経済】が発展していました。一方、ガンジス川中流域には16の王国が乱立し、互いに争っていました。とくに有力だったのは【コーサラ国】と【マガダ国】でした。戦争が続いていた時代ですから、王族や武人階級である【クシャトリア】が台頭し、また、経済が発展していたため【ヴァイシャ】も社会的発言力を高めていました。
 
 思想界は【62見】というさまざまな思想家が登場した時代でした。なかでも【ジャイナ教】を始めた【ヴァルダマーナ】は、【マハヴィーラ】(尊者)とも呼ばれ、【徹底した不殺生】を説いたほか、バラモン教が重視する【ヴァルナ】を否定しました。
 
 また、【ゴウタマ=シッタールタ】は【ネパール南部】の【カピラ】城で生まれ、【シャカ】族の王子として何不自由ない生活を送っていましたが、29歳で出家しました。彼は厳しい断食などの苦行を行ないましたが、スジャータという少女からミルクを貰ってから苦行を止めて菩提樹の下で思索にふけったといいます。そして悟りを開き【ブッダ】となりました。 彼は、ベナレスの北方の【サルナート】で最初の説法を行ない、1000人を越す弟子を持ったそうです。しかし【クシナガヤ】のサーラ樹(沙羅双樹)の下で入滅したとされます。

 ブッダの教えは【八正道】、【四諦】、【中道】で示されます。【反ヴァルナ】の思想で、【バラモン教を批判】する立場をとっていました。仏教はマウリヤ朝のアショーカ王やクシャーナ朝のかにしか王などに保護され、【クシャトリア】に広まっていきました。
 ブッタの時代の仏教にはまだ仏像を拝むという習慣はありません。初期の仏教では【ストゥーパ】という仏典を保管する場所を信仰の対象とし、ブッタの教えである【ダルマ】(法)を日輪でシンボル化していました。

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