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インド=ヨーロッパ語族

2014年04月21日 | 高2用 授業内容をもう一度

 彼らは、前20世紀よりも前に中央アジアから出発しました。その人たちがなぜ長い旅に出たのかはわかりません。南に向かった人たちは、インダス川という大河の周りに入り、もともとその地に住んで【インダス】文明を営んでいた【ドラヴィダ】人を追い払い、奴隷にして、定住しました。南に向かった人々を【アーリア】人と呼びます。
 西に向かった人々もいました。もちろん彼らはいっぺんに中央アジアを出発したわけではありません。言ってみれば、「波のように」移動を始めたのです。さて、西に向かった人たちは、【ティグリス・ユーフラテス】川に達すると、この地で繁栄していた【アムル】人の【古バビロニア】王国を滅ぼしてしまいます。【前18】世紀に【ハンムラビ】王が活躍した、あの王国をです。しかし、彼らはメソポタミアでは建国しませんでした。もうすこし西に行って、【小アジア】で建国しました。【前17】世紀のことです。彼らを【ヒッタイト】人と呼びます。王国を失ったメソポタミアには、少し遅れてやってきた人々が、その北部に【ミタンニ】王国を、その南部に【カッシート】王国を立てています。すなわち、前17世紀からおよそ前13世紀まで、メソポタミアと小アジアでは、インド=ヨーロッパ語族の世界が展開したと言ってよいでしょう。
 さらに少し遅れて移動をはじめた人々は、さらに西まで進みました。バルカン半島に入ったのは【ドーリア】人です。彼らは【エーゲ】文明を破壊し、ギリシア世界を混乱に陥れたようです。また、バルカン半島の西のとなりにある【イタリア】半島まで移動を続けたのは【ラテン】人です。ドーリア人は【スパルタ】というポリスを作り、ラテン人は後に【ローマ帝国】を建設した人々です。
 ここで小さな疑問が起こります。なぜインド=ヨーロッパ語族の人々は、先住の文明を破壊して、その土地を奪うだけの「強さ」を持っていたのでしょうか?それは彼らとともに移動した【馬】に【戦車】をひかせて、戦闘の際に【馬と戦車】を前面に出して戦ったからと、考えられています。先住の人々はそれまで馬を見たことがなかったので、大いに驚き、混乱を招いたことでしょう。
 




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