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古代ギリシア世界を大まかにみると・・・

2014年05月25日 | 高2用 授業内容をもう一度

オリエント の影響を受けて開始した【クレタ 】島を中心とするクレタ 文明は、【前15】世紀に滅亡した。彼らが使用していた【線文字A】が未解読なため、くわしくわかっていない。
 その後ギリシア世界では、バルカン半島南端に中心を移して後期エーゲ文明にあたる【ミケーネ】文明が開花する。しかし、この文明も【前12】世紀からの【鉄器】を持った【インド=ヨーロッパ 】語族の【ドーリア】人の侵入で崩壊した。しかし、これには異説もあり、【海の民】の侵入で滅ぼされたとする説が最近では有力になっている。
 【前12】世紀から【前8】世紀までの間、ギリシア世界は「【暗黒時代】」と呼ばれる混乱期に入る。【前8】世紀、この混乱を有力者(いわゆる貴族階級)を中心に集住(【シュノイキスモス】)という方法で収束したギリシア人は、集住の単位を母体とした【ポリス】(都市国家)という単位で、それぞれの経済活動に立脚した都市国家経営を行っていった。中でもアテネの経済活動や政治上の変化は他のポリス にも大いに影響を与えることになる。アテネの歴史は【アリストテレス】の「【アテナイ人の国政】」によりくわしく知られている。
 古代地中海世界の原則として、【政治参加」=「戦争参加」=「武器自弁】というものがある。そのため、ギリシア世界の諸ポリス では、前8世紀からの時期は富裕者(貴族)のみが政治を独占する貴族政が行われていた。もちろん戦争に参加しない女性や奴隷は政治参加の問題から完全に除外された存在であった。
 ところが、【前7】世紀から前6世紀にかけてギリシア世界、とくにアテネの政治体制に多大な変化が起きる。【貴族制】に代わる【民主制】の成立である。その変動の経過は以下のようである。前7世紀のアッシリア の拡大が東地中海貿易の老舗であるフェニキア の海上貿易活動を衰退させ、また小アジア の【リディア】で貨幣経済が開始したこと、などが追い風となってギリシア世界の交易圏は拡張し商工業が発展した。そして前6世紀になると安価になった武器を平民も入手出来るようになり、【前5】世紀の【ペルシア戦争】で貴族ばかりでなく全ての平民も武器を持ち、あるいは海戦における艚の漕ぎ手などとして戦争に参加し、その勝利に貢献した。このような経緯を経て、前出の古代地中海世界の原則にしたがって、アテネ で平民が政治に参加できるという【直接民主政治】が確立していくのである。


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