金子みすヾ
(1903-1930)
この詩はみすヾの憧れを読んだものともいわれていますが、私はハーマン・メルヴィルの
短編を思い出してしまいます。
”The Piazza”の中でベランダから妖精でも住んでいるかのように輝いて見える
山の向こうの家が、実は一番太陽で暑く少女が働いている過酷な時にそう見えたと
いうお話を連想させるのです。
メルヴィルは学生時代に亀井俊介先生からアメリカ文学を教えていただいた時
に印象に残る奇妙な作家です。久しぶりにバートルビーやビリー・バッドでも読んでみようかな。
子供の小学校の教科書に載っていた金子みすヾの詩。
今の教育がこのとおりならすばらしいのにと思いました。
ちょうどその頃、朝日新聞に週ごとの連載が載っていたと思います。
これをきっかけに図書館から本を借りてきて読みました。
クリスティナ・ロゼッティによく似ていると思ったら、みすずがロゼッティの詩を
書き写していたりしていたのですね。カタログをみて発見しました。
ウィリアム・ブレイクの「手のひらに宇宙を見る」というフレーズを思い起こします。
心のやはらかなこの詩人の歌をたくさん紹介したくなります。
みすヾは死を選んでしまったけれど、こんなに豊かなものをみすヾの子供と
私達に残してくれたのだと思います。
(1903-1930)
この詩はみすヾの憧れを読んだものともいわれていますが、私はハーマン・メルヴィルの
短編を思い出してしまいます。
”The Piazza”の中でベランダから妖精でも住んでいるかのように輝いて見える
山の向こうの家が、実は一番太陽で暑く少女が働いている過酷な時にそう見えたと
いうお話を連想させるのです。
メルヴィルは学生時代に亀井俊介先生からアメリカ文学を教えていただいた時
に印象に残る奇妙な作家です。久しぶりにバートルビーやビリー・バッドでも読んでみようかな。
子供の小学校の教科書に載っていた金子みすヾの詩。
今の教育がこのとおりならすばらしいのにと思いました。
ちょうどその頃、朝日新聞に週ごとの連載が載っていたと思います。
これをきっかけに図書館から本を借りてきて読みました。
クリスティナ・ロゼッティによく似ていると思ったら、みすずがロゼッティの詩を
書き写していたりしていたのですね。カタログをみて発見しました。
ウィリアム・ブレイクの「手のひらに宇宙を見る」というフレーズを思い起こします。
心のやはらかなこの詩人の歌をたくさん紹介したくなります。
みすヾは死を選んでしまったけれど、こんなに豊かなものをみすヾの子供と
私達に残してくれたのだと思います。
これは弟さんい残された、手書きの手帳ですね。
どこで手に入れられたんです?
でも大人になって、詩作を夫に禁じられたみすゞさんが、まだ小さなふさえさんの言葉を丁寧に書きとった手帳の存在を知り、初めて母の愛に触れたそうです。
図らずも、昨日、その手帳を本にしたものを、注文したばかりです。
届きましたら、その本のことを紹介しようと思っていました。
その時には、上の画像を貸して戴けますか?みすゞさんは宮沢賢治さんと並んで、一番好きな物書きさんです。
夕べみすゞさんのことばかり考えていたのが、カンカンさんに伝わったのかな?
この手帳はみすず展2004.12-2005.01まで銀座松屋で開催されたもののカタログに自筆の詩が載っていたものからスキャンしました。(時間がないとこーゆー作業ってできません。)このカタログは欲しいと思いましたね。展示された全ての詩の手帳からの写真が掲載されていました。
写真はどうぞお使い下さい。カタログからとったものだけどコピーライトなんてもう時効ですよね。ブログとはいえコピーライトの扱いは難しい。
so sorry!
猫を飼ってらっしゃる方のブログに書きまくってます!
ブルーにゃんを載せては!?
二重投稿も時間のある時ならでは!
でも、お風邪なら、ブルーにゃんと一緒に寝てらした方がいいかな?
きっとお疲れだったのでしょう。みすゞさんの直筆の手帳も出版されているようですよ。
手に入れたらまた載せますね。
どうぞお大事に。にゃにゃ。
史子&ミロ
みすヾさんの童謡集は持っているけれど、自筆は初めてみました。
26歳という若さで亡くなったのは、ほんとうに残念なことでしたね。もうちょっと後の時代に生まれていたらと思わずにはいられません。
あわてて載せましたよ。
午後はぼんやり外見ながらフォーレのレクイエム聴いて横になっていました。(あまりいい精神状態ではありませんね。なんか自分が世の中から必要じゃなくなってきているように思えたり・・ブルーになりがちなお年頃なのかしら)
みすヾさんの遺稿を探し当て、死後半世紀もたってから世に出した矢崎さんと大事にとっていた正祐さんのおかげで、わたしたちもみすヾの宇宙に触れることができます。