【写真上:河津桜か?濃いピンク色の桜が咲き始めていた(脳血管医療センターにて)】
■母は、私たち子供が小さい頃、とても苦労をして育てました。
私は4人兄弟で、3歳上の兄、2歳下の弟、9歳下の妹がいます。何で苦労したかと言えば、人里離れた峠の上に住んでいたからです。今こそ日本で2番目の人口数の都市・横浜ですが、50年前は一部市街地を除き、とても静かな市だったのです。人口が増え始めたのは、海の埋め立てが始まってからの事です。【写真右:大岡川・蒔田公園付近から東京湾にショートカットするよう作られた「掘割川」。この右側が美空ひばりが生まれ育った滝頭(たきがしら)】
■私の生まれ育った所は磯子区で、屏風ヶ浦から清水坂という大きな坂を上りきった所です。
西側10mは南区(現在の港南区)で、坂の頂上は区界になります。磯子区側に下ると横須賀街道、南区(港南区)側を下ってさらに進むと、鎌倉街道になります。人里離れた山の中で、もちろんお店も無ければ、お医者さんもいません。買い物は横須賀街道側に降り、そこから市電(路面電車)に乗って「浜」のハママーケットに行くか、鎌倉街道側に降りて、そこからバスに乗り、杉田、又は上大岡や弘明寺に出るしかありませんでした。末の長女が生まれる頃には、男3人の子供は大きくなりましたが、男3人兄弟の頃は、一人を背負い、2人の幼子の手を引いて、大量の食料品などを買いに行き、帰りは重たい荷物を持って、休み休み山を登る日々でした。【写真左上:第Ⅰ交通機動隊の駐車場では、白バイの特訓が行われていた】
【帰りがけ見つけた「真照寺」。写真左は、参道からの写真。初めて見る形の本殿。チベット仏教と関係があるのか?石碑にダライ・ラマ14世の写真があった。写真右は、階段上の塔の上部の拡大写真。どういうものか不明】
■今日は、それにしても寒い日でした。
雪が積もっていたら、一番で帆船日本丸に写真を撮りに行くつもりでした。前夜には、バッテリーも充電して準備OKでした。妻にも雪が降っていたら、写真を撮りに行っちゃうから、心配しないで・・・・と、ことわっておきました。しかし、残念ながら雪はありませんでした。
■天気が悪く、家でネットを見ていましたが、せっかく取った休みですので、昼前、外出しました。
小さい頃、買い物に連れられたハママーケットを歩いて見ることと、ネットで見ていた和菓子屋「磯子凮月堂」を訪れてみようと思ったのです。和菓子については、去年辺りから無免許電気工事士さんに、ちょっと感化されてしまったようです。家から中村橋商店街を経て、掘割川に沿って八幡橋に行き、浜に歩いて行きました。昼食を挟んで、寒い中での3時間くらいの街歩きでした。
■中村橋から八幡橋まで車で行くと、そうかかりませんが、歩くとやたら遠かったのでした。
右側の地域は「滝頭(たきがしら)」といい、美空ひばりが生まれ育ったところです。八幡橋は、市電(路面電車)の分岐や始発・終点で、昔は賑やかでした。今は山田電気やニトリなどありますが、車がばんばん通る所で、お店も人通りも、昔の賑やかさがありません。
【写真下:ハママーケットのアーケード内。お昼頃で、買い物客はまだ僅か】
■ハママーケットは、八幡橋のすぐ先です。
先に火事になった部分を除き、下町の風情そのものの細い路地のマーケットでした。庶民的な和菓子屋さんが、近くを含め3軒もありました。昔を覚えているわけではありませんが、こんな狭い所だったのですネ・・・・・ 母は私達の手を引いて、こんなとこまで買い物にきていたのですネ。【写真右:紅梅(脳血管医療センターにて)。写真左下:上生菓子「春紅梅」。中を見せるためカットしている。紅梅のイメージはない・・・・】
■目的の「磯子凮月堂」はそこから、かつての横浜プリンスホテル側に100mくらい進んだところにありました。
うわさですが、三渓園での茶会で、お菓子を入れている・・・・・とか、のお店らしいのです。本来ですと、初めてのお店ですので、看板商品の「ごまだれ餅」か上生菓子なのでしょうが、ミーハーの私は、バレンタイン限定商品のチョコ風味練切製「春紅梅(はるこうばい)」を買いました。店頭のものは売り切れていましたが、私が問い合わせると奥から持ってきてくれました。1個300円でした。チョコ風味の入った餡を外皮にし、春の紅梅をイメージしたものだそうですが、現代上生菓子といったところでしょうか・・・・ 「菜の花」「水仙」などオーソドックスなものが、とてもきれいでした。歩くには少し遠いけど散歩がてらに、季節の上生菓子を買いに来ようと思っています。【写真右上:お店の写真。屋号もマークもあの老舗とそっくりだが、暖簾分けした関係にはないようです(確認できない)】