ある爺さんの スナップ写真とボヤキ3

趣味もなく酒も飲めず・・・・・つまらない爺さん生活を、何気ないスナップ写真と、フッと感じたボヤキをアップしています

消防・救急の発祥の地

2024-04-29 | *小ネタ

もうすぐ横浜開港記念日(6月2日)が近づいてきます


黒船が初めて日本に来たのが、1853年(171年前)
その後、アメリカの圧力に屈し、日米の通商条約が締結したのが1858年(166年前)
横浜の開港は翌年の6月2日で、この日が「横浜開港記念日」に制定されています

 

現在の「横濱居留地」の一部。オークウッドスイーツ横浜の46階無料展望階より撮ったものです。都内と違い、ビル塔看板が少ない事に気づきました

 

幕末の頃、日本の限られた場所に外国人居留地が設けられました


居留地とは、簡単に乱暴に言ってしまえば
 1か所にまとめておけば、交渉が楽である
 攘夷派による刃傷沙汰とか日本人とのトラブルから守れる
と言ったところでしょうか・・・


「港」を設け外国船が入港でき、外国人をまとめて住まわせ、
外国人による「営業」を許可した限られたエリアという所です

 

ビルにつけられた旧居留地を示す住居表示板を見つけました


居留地のひとつが「横濱居留地」で、川に依って隔てられた地域と言われています
「関内」という地名の由来に、
関所が設けられ、居留地側を関所の内側「関内」と呼んでいたという話が一般的です
その東側が「山下居留地」と呼ばれるエリアです

話しは横道に逸れますが、
「関内」の云(い)われが有名になりすぎて、あまり知られたいませんが
今の「山手」と呼ばれる丘上にも居留地があったようです
但し、これは1866年にあった「豚屋火事」以降の話しですが・・・・
こちらを「山手居留地」と呼んでいました
港に接していないし、川によって隔てられていない「居留地」も横浜にはあったんですネ

 

旧・外国人居留地内にあった「消防・救急発祥之地」レリーフとレンガ造りの「地下貯水槽」


私がパートに行っている場所は、
その中でも「山下居留地」と呼ばれるエリアになります


今日の写真は、朝散歩で見つけた居留地の形跡・・・特に消防関係になります

 

「地下貯水槽」は、ガラス窓越しに覗きこめた

 

先に「豚屋火事」という言葉が登場しましたが・・・

この大火、開港から7年目(1866年)に、
現在の尾上町1丁目付近にあった豚肉料理屋から出火
港崎遊郭に延焼、遊女400人以上焼死、
外国人居留地、日本人町も焼き尽くしたという大火

この大火があった事で、外国人と幕府の交渉によって、広い道路・「日本大通り」や
遊郭後に「横浜公園」が作られたという話しは、小学校の頃、習った記憶があります

 

中消防出張所のシャッターには明治14年頃の消防隊の写真がありました。早朝や夜に見る事ができます


横浜が、「消防・救急の発祥の地」になったのも
初めて地下貯水槽ができた・・・・っていうのも、納得できる話しですネ

 

左に望楼の足場が見える。明治14年頃の居留地消防隊の写真とありました

 

パート出勤前、人通りの少ない街を歩いています

面白い発見があったり、ヘェ~ ってなもの見つけたりがあります・・・


ちょっとづつですが、アップして行こうと思っています