ある爺さんの スナップ写真とボヤキ3

趣味もなく酒も飲めず・・・・・つまらない爺さん生活を、何気ないスナップ写真と、フッと感じたボヤキをアップしています

方緒千恵子さんのライブ

2015-01-12 | 情報
■ジャズボーカルリストの方緒千恵子さんから、ライブの案内をもらいました。
25日(日)です。TVで唯一、見続けている大河ドラマが見れなくなる時間なんですが、行ってみようかと思っています。去年暮れのクリスマス・ライブにも行けなかったこともあるし。
■ライブ会場の「くんくんしーらや」は、好きなライブ会場です。駅から少し歩くんですが、周囲の治安・環境がいいし、ちゃんとした沖縄の料理があるし、泡盛好きな人にはちゃんとしたものがあるし・・・・・・何よりも、自宅から横浜市営地下鉄1本で行け、夜遅くなっても割と時間かからず帰れます。

  ♪ 方緒千恵子 ライブ ♪

    佐藤雅史(p)・江上友彦(b)・矢藤健一郎(d)

    1月25日(日) 19:30スタート

    沖縄・東南アジア料理レストラン「くんくんしーらや」

              京浜急行「上大岡駅」徒歩5分


ライブを味わってみたい方、どうぞ。


■24日(土)~25日(日)、珍しく予定が重なっています。
先のブログでも書きましたが、24日(土)は、保土ヶ谷公会堂での「音泉倶楽部のコンサート」。そして新宿で「研究室の先生を囲む会」。夜遅く家に帰ることになりそう。25日(日)は帆船日本丸の「進水85年記念祭」。
焼印「日本丸」入りおお餅はともかく、日頃、帆船日本丸の写真を撮り続けている私にとって、横浜のキャラクターが集まっての日本丸を撮っておきたい気がします。そしてこの土日、前にいた御殿山のビルが、年1度の法定点検の停電作業があります。陣中見舞と称して、差し入れを持って、毎年、顔出しに行っているんです。
■どうやら、いろいろなことが重なって、カラダ休めの休日になりそうもありません。
もうちょっと分散していると、本当、助かるんですけどネ でも、こうやって予定が入っているうちが「華(はな)」なんでしょうネ。年取って、何もすることがない・・・・・・なんてならないようになりたいものです。

鏡開きのお汁粉

2015-01-12 | 
■昨日11日は「鏡(かがみ)開き」でした。
正月に供(そな)えた鏡餅(かがみもち)を割って、お汁粉(しるこ)にして食べる習慣があります。私が婿に入った家は、今はやっていませんが、以前は商家(八百屋)でした。その関係もあって、割と四季折々の習慣が残っています。サラリーマン家育ちの私は、驚くこともかなりありました。昨夜の夕食は、その「お汁粉」。お汁粉って、おやつみたいなものと思っていた私は、それが食事として出てきた時には驚きました。
■お汁粉は小豆(あずき)の処理の仕方によっていろいろあるようです。
もちろん関東と関西では違い、名前まで違ってくるので、あちらで注文するときは気をつけなくてはなりません。現在の我家のお汁粉は、つぶし餡の小豆汁に焼き餅を入れ、少し小ぶりの丼椀(どんぶりわん)に入れて出されます。
■当家に来た当初は、違っていました。
市販の「つぶし餡(あん)」に、さらに砂糖を加え、ほんの少しだけゆるくした「餡」に、焼き餅が4つ5つと入っていました。いわば、とても甘いゆる餡の「餡衣餅(あんころもち)」が丼椀に入ったのが「お汁粉」として出てくるのでした。この「お汁粉」が食事ですので、お餅がたくさん入っていることになるのです。これが鏡開きのご馳走なのでした。

■義祖父・義父母の若かりし時代、八百屋業はひじょうに忙しかったそうです。
朝早く中央市場まで大八車(その後はトラックに変った)を引いて行き、仕入れをします。道路状況が良くなった今でも7km近くの道のりです。仕入れた野菜や果物を、家族と使用人総出で、小分けし、ザルに盛り、ビニール袋詰めしたり、その一方で、御用聞き(各家に注文をとりに行く)に回るにです。配達もしていました。忙しくて忙しくて、小豆を茹でている時間なぞありません。当然、商品になった「餡」を買ってくることになります。
■また、私達の祖父母・父母の時代は、第2次世界大戦を経験しています。
砂糖は多くを輸入に頼り、戦後は日本の砂糖生産拠点の台湾などを失いました。甘さを失い、甘いものに飢えていた時代を過ごし、甘いものは特別なごちそうだったのです。終戦後しばらくして、商売を営んでいた関係で、比較的早くから砂糖を仕入れることができたそうですが、それでも貴重品だったそうです。餡に、砂糖を入れる習慣がついたのも納得いく話しです。
■今は、カミさんが鏡開きのお汁粉を作るようになりました。
健康を考え、今風に甘さ抑えめ。小豆汁はつぶし餡を使っていますが、お汁です。丼椀の中の焼き餅の数も、各2つづつになりました。我家の伝統を守りたい義母には、不満もありましたが、これでも食事としての「お汁粉」は、子供たちは喜んで食べているわけはありません。時代は変わり、甘いものはご馳走でも特別なものでもなくなりました。我家の、今の形の「お汁粉」は、孫に弱い義母の妥協なのでしょう・・・・・・・