■10月10日(体育の日)
数日前の天気予報では、晴れて「夏日」になると言っていたのに、今朝は雨上がりの曇り空。少し涼しいです。昨日は2ヶ所の駐車場に行き、草刈と除草剤を撒いてきました。でも昨夕からの雨で、雑草の葉に噴霧した薬剤も、土部分に撒いた顆粒の薬剤も流れてしまったことでしょう。
結果ゼロになってしまい、また作業を予定しなければなりません。天気の変化に敏感でなかったのが悪いのでしょうが、やっぱりガックリです。農業をやっていたら、こんなことを繰り返すのでしょうか。
■昨夜、だいぶ遅くなりましたが、仙台にお住いの人にメールしました。
海王丸の国内体験航海に乗船した時、ご一緒させていただいた方です。学生時代に乗った帆船を懐かしんで、お仲間の方と乗船していました。その後、PCが壊れ、連絡先不明になってしまっていたのですが、最近、帆船日本丸の親切なカモメさんが、連絡が取れたメールの出力紙をくださいました。そのアドレスに発信しました。
■その方のご自宅は、仙台港を見下ろす高台に住んでいて、津波の難は逃れたようです。
ご一緒に参加していた仲間の方は、お体の不自由な奥様をかかえ避難を諦め、南相馬市に住んでいらっしゃるとのこと。あれから7ヶ月月日が流れますが、被災した方々の心情は計り知れないものがあります。多くの人たちが、物質的にも精神的にも、明るい出口が見えない日々を過ごしていると思うと、やりきれないものを感じます。時として被災県の物産を購入する以外、何もできない貧しい私がいるだけです。
■昨夜、NHKスペシャル「帰宅困難者1400万人」が放送されました。
録画したものを、今朝、見ました。その時~その夜帰宅する人たちがあふれた首都圏を、一般の人たちがとっさに撮った映像を利用して構成されていました。今更ながら、首都圏でもユレのひどさが判った次第ですし、その後の混乱を改めて知りました。免振装置のついたビルの地下1階にいた私は、大きくゆっくりとしたユレを感じたものの、棚が倒れるとか、モノが落ちるとか・・・・そういった恐怖感を感じるものが、私の周囲には全く起きませんでしたでした。外に避難することもなく、混乱が生じている外部の様子も知りませんでした。TVが中継する映像を、あたかも遠い場所で起きたことのように見ていたのです。実体験できなかったことは、良かったのでしょうか悪かったのでしょうか・・・・・・・・