福井城のついでに北の庄城による。ここは、百名城でも続・百名城でもない。なんせ、遺跡が礎石数個だけだからだ。入り口に想像図がある。ルイスフロイスも勝家を訪ねてきたそうで、織田第一の重臣だ、立派なお城だったんだろう。
今は、少しの礎石と、柴田神社、勝家とお市の方、三姉妹の銅像、それに資料館があるだけだ。まず、礎石、これはつまらない。この北ノ庄は、福井城の三の丸当たり、三の丸を作るときに粗方壊されてしまったようだ。
そして、柴田勝家を祭った神社、お市の方と三姉妹の銅像。お市の方は戦国時代でもモテたからだろうか、モテ祈願がある。そして勝家の銅像、武者らしい姿だ。
資料館の中には、勝家とお市の方の絵、家系図がある。また資料館の外には、勝家とお市の方の辞世の句がある。辞世の句のときにいつも思う。秀吉が攻めてきた、あんな切羽詰まったときに、よくこういう句を詠めたもんだと感心する。あらかじめ詠んでおいたんじゃなかろうか。
さて、駅に戻って、これから、バスで朝倉家の城下町、一乗谷に向かう。続く。