遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『原子力神話からの解放 日本を滅ぼす九つの呪縛』 高木仁三郎 講談社+α文庫

2011-08-07 13:48:25 | レビュー

原子力資料情報室(CNIC)というウェブサイトがある。 http://www.cnic.jp/
CNIC は Citizen's Nuclear Information Centerの意味として表記されている。

著者の高木仁三郎氏は、この原子力資料情報室の設立に参加し、1987年から1998年まで同代表だった人ということを、この本の略歴で初めて知った。
現在、サイトには、「原子力資料情報室は、原子力に依存しない社会の実現をめざしてつくられた非営利の調査研究機関です。産業界とは独立した立場から、原子力に関する各種資料の収集や調査研究などを行ない、それらを市民活動に役立つように提供しています。」と記されている。

私がこのサイトを知ったのは、福島第一原発事故以降、その事実を知りたいために、情報収集のためにネット検索をしていた時である。それ以来、USTREAMに掲載されたCNIC Newsの動画を継続的に視聴してきた。あるときの動画で、高木仁三郎という名前を遅ればせながら初めて知った。それからしばらくして、この書が文庫本として復刻出版されるということを知り、読んでみた次第だ。

高木氏は東京都立大学助教授を経て、市民科学者として生きた人。原子力発電、とりわけプルトニウムの危険性について警告を発しつづけた専門家である。この本が発刊されたのが2000年8月であり、2000年10月に逝去された。

プロローグによると、著者がこの本を書く動機づけには二つあり、1999年9月30日に起こった東海村のJCOウラン加工工場における臨界事故の衝撃と、2000年という節目にあたることだという。「過去の50年ほどの間に進んできた原子力開発について振り返ってみる、いいチャンスではないかと思ったわけです」。

プロローグの末尾に、著者はこう記している。
「東海村の臨界事故でピカッと光ったあの光は、私たちに『目を覚ませ』と言っているのではないか、そんなふうに感じて、そうメッセージを読み取ったからこそ、この本を書くことにしたのです」。

それから更に10年経って、福島第一原発事故が発生したことになる。
著者が生きておられれば、この事故の衝撃はJCO臨界事故での衝撃の比ではなかったことだろう。

当時の事故調査委員会の最終報告書には、「いわゆる原子力の『安全神話』や観念的な『絶対安全』という標語は捨てられなければならない」と記されているという。そうなら、福島第一原発事故は、あいかわらず教訓を学べないままの繰り返しだったということになる。事故調の報告書は作文にとどまり、活かされることなく、「安全神話」「絶対安全」の標語がそのまま温存されてきたということだ。

本書は、原子力の理論的側面に深入りしないで、原子力の問題点を一般市民にわかりやすく書かれた啓蒙書といえる。とはいうものの、第1章「原子力発電の本質と困難さ」では、ウランの核分裂と連鎖の現象、1ミリグラムのウランのエネルギー量、「死の灰」と遺伝子への影響、エネルギー転換効率、「消せない火」という問題などを平明に解説している。

本書の副題は「日本を滅ぼす九つの呪縛」である。筆者は、第2章から第10章まで、原子力の「安全神話」を木っ端微塵に打ち砕くために、9つの観点からわかりやすく説明していく。つまり、
*「原子力は無限のエネルギー源」という神話
*「原子力は石油危機を克服する」という神話
*「原子力の平和利用」という神話
*「原子力は安全」という神話
*「原子力は安い電力を提供する」という神話
*「原子力は地域振興に寄与する」という神話
*「原子力はクリーンなエネルギー」という神話
*「核燃料はリサイクルできる」という神話
*「日本の原子力技術は優秀」という神話

福島第一原発事故以降、様々な専門家、ジャーナリストがこの9つの神話のいずれかを、現時点までの情報と知見を踏まえて、より詳細に問題点指摘を行って来ている。10年前にその骨格となる部分を、高木氏が1冊の本にまとめていたということに驚嘆するとともに、早くも社会に警告していたことに敬服する。


「神話」説明の文中から、印象深い一節をいくつかピックアップしてみよう。

・このときの時代背景を考えると、核の平和利用、商業利用というのは積極的なものとして打ち出したものではなくて、むしろ水爆開発まで行き着いた米ソの核競争というなかにあって、いわば米ソ共同で核を管理しようという呼びかけだと思います。・・・・いわば、きわめて政治的に、「アトムズ・フォー・ピース」は宣言されたわけです。(p71-72)

・「札束で学者のほっぺたを引っぱたく」といった言葉がその当時使われましたが、そういうかたちで、政治的に原子力を推し進めたのです。 (p78)

・核融合が近い将来において実現するだろうと期待する人は、世界中に今は誰もいなくなってしまいました。実用化の技術としてではなく、研究の対象として少し残っている程度の話ですから、・・・  (p93)

・石油危機のときに、有力なエネルギー源として原子力が救世主になったわけではなくて、「政治的石油危機を克服するための原子力」ということを、政府が有力な標語、あるいは神話としてきたのです。・・・・その政府の政策の結果として、これまで原子力依存が高まってしまったのです。(p106)

・日本で沸騰水型が多いのは、加圧水型がWH社から導入した三菱に占められているのに対して、沸騰水型はGE社から導入した東芝と日立が競合した関係でしょう。その両者にシェアを与えるという側面があって、沸騰水型が多くなったと私は考えています。(p111)

・原子力計画を進めているという事実自体が、日本政府の政治意志とか、日本国民の絶対核兵器を作らない、持たない、持ち込ませないという平和非核三原則に込めた意志いかんいかかわらず、国際的には軍事の核兵器開発を意味するのです。 (p130)

・多重防護というようなことを言ってみても、結局それを崩すような事故というのは、ある核心のいちばん強い守りの部分が崩れたら、だいたいおしまいになってしまうわけです。多重性という意味は、本当の極限的な事故の場合にはありえません。 (p149)

・安全というと原発の内部だけに目が向けられ、そこだけに集中していて、外側の安全は、それに比べたら百分の一程度にしか考慮されてこなかったのではないでしょうか。(p154)

・再処理は環境に優しいどころか、原子力施設のなかでもいちばん環境的に問題がある工程だということがほぼはっきりして、常識化してきています。 (p232)


今から10年前に、筆者は最終章を「原子力問題の現在とこれから」と題し、「原子炉の老朽化症候群」「原子力産業の斜陽化症候群」「廃炉の時代の諸問題」「放射性廃棄物と余剰プルトニウム問題」という観点で論じた。
これらは今、正にその問題が一層明確化した段階に突き進んだのではないか。
福島第一原発での爆発が、私を含め一般市民全体を一挙に目覚めさせてしまった。同時に、被害者にしてしまったのだ。54基の原発立地まで、眠りこけていた(無知であった)こと自体が失態(間接的加担責任)の一部なのかもしれない。幼子並びに生まれていない世代に対する現在の大人の責任という意味で・・・・

筆者はこう述べている。
「今、神話化されてきた諸々の事柄を全部きれいに白紙に戻し、根本に立ち戻って、一から点検し直す必要を痛感しています」。

原子力(=核)について、根本に立ち戻って考えるために役立つ入門書である。



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