遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『原発をつくらせない人びと -祝島から未来へ』 山秋 真  岩波新書

2013-02-19 10:53:51 | レビュー
 「私らにとって、『いのちの海』なんです。やめてください」(p164)
 本書は副題にあるとおり、祝島の原発反対闘争の過程を綴った書である。
 2012年11月現在で、原発をつくらせなかった地は34箇所だと著者は記し、3ページに現在の「原発立地点(原発)と原発をつくらせなかった地」の地図を掲載している。
 著者は「序章 原発ゼロの地」で上記の点を記すとともに、原発をつくらせなかった地の一つとして、原発計画にゆれる石川県の珠洲とその計画に関連する裁判の一端に触れている。2003年12月、原発を計画した電力3社の社長が珠洲市役所を訪れ、計画について起源なき「凍結」を申し入れ、事実上の断念を行った。計画が浮上した年から29年目での要約の終息だったという。
 珠洲での取材経験を経た後、著者は原発計画が浮上してから奇しくも29年目の年に祝島に「初上陸から半年間で延べ100日にわたり滞在した」(あとがき・p216)。そこでの体験と取材をベースに記録・関連資料類を渉猟して、本書を書き上げたのだ。
 上関原発をめぐる動きが遅くとも1982年1月に水面下で始まった兆候から始め、2012年11月までの原発反対闘争を、原発計画反対の祝島の人々及び取材者(第三者)の観点から通史的に本書をまとめている。

 今、このタイミングで本書が出版されたことに大きな意義があると思う。
 なぜか? 
「運転にいたった原発は、実は1970年までに計画が浮上したものに限られる。71年以降に浮上した計画はすべて、運転に至っていない運転どころか着工にいたらないまま、なくなった計画がほとんどだ」(p2)から。今、新たに計画を浮上させるべきではない。完全に終わらせるべきなのだ。
 2012年6月27日の山口県県議会で、知事は「2012年10月に期限が切れる予定地の海の埋め立て免許の延長を、現状では認めない方針を表明した。」(p184)2012年10月7日午前0時、田ノ浦の海を埋め立てる免許は期限を迎えたのだが、中国電力(以下、中電)は10月5日、免許の延長を申請した。「上関に原発をつくる計画は、事実上、頓挫しつつありながら、県がそれを審査するあいだ、失効は先延ばしされている。」(p209)
 つまり、審査結果が駄目となれば計画は終焉する。現在は、「原発をつくるための海の埋め立て免許が失効しつつある」(p210)という状態に留まるのだ。そして、本書はここまでの記述で一端筆を置いている。
 巻末の「主要参考文献等」にある「祝島島民の会blog」にアクセスすると、2013.01.31(木)の記事に、
「埋立て免許延長申請の審査、またもや中断」という見出しで、冒頭に「山口県は昨日、1月30日にまたもや補足説明を中国電力に求め、審査を中断しました。補足説明を求めるのはこれで4度目となります。山本県知事は昨年夏の選挙前後は『不許可処分にする』と明言していましたが、ここ最近では「延長を認める正当な理由があるのかを審査する」として『不許可処分』という言葉を使わなくなりました。」と記されているのだ。
 政権交代があった今、再び原子力ムラがうごめきを強めかねない。だからこそ、約30年の祝島の人々が何を考え、どう行動してきたか、どういう苦しい心情を内包したまま闘いつづけてきたのかを知り、その願いが達成すること、つまり上関原発計画が葬り去られるようにすべきなのだ。そのためには、事実を事実として認識することから始め、行動に展開していくことが必要だとおもう。祝島の問題は日本の問題であり、空と海で世界につながる問題でもある。

 筆者が珠洲及び祝島を通して考え抜いたことからの見識をまず取り出しておこう。その結論はこの祝島の原発計画反対闘争史を読むことで納得できるのではなかろうか。
*現地の当事者にとっては、問題を知っている、当事者と血縁だったり友人知人だったりする、問題に関心がある、というだけでは、人は「無関心層」に留まる。「無関心層」がそうではなくなるのは、自分が何かをしよう、かかわろうとするときのようだ。 p208
*ふだんなら連携しなかったり、できなかったりするほど多彩な人びとが、考え方や立場の違いにもかかわらず力を合わせたからこそ、国策である原発をつくらせないことができる。共有する目的のためにさまざまな人が集うことが、ときに予想以上の威力を発揮するのだ。 p210
*「抵抗しつづければ、原発は経済的に破綻して、撤退せざるを得なくなる」(立花正寛氏の発言)

 本書は次の6つの章で構成されている。多少のメモを付記してご紹介する。
   第1章 おばちゃんたちは、つづける
 1982年11月、祝島に「愛郷一心会」が誕生し、1992年2月に「上関原発を建てさせない祝島島民の会」に改称される。その経緯を記す。この年、週1回月曜日のおばちゃんたちのデモが始まる。それが約30年間、連綿と続けられる。
   第2章 祝島、その歴史と風土
 海上交通の要衝の地だった上関と祝島。祝島では1887年戸数200戸だったのが、21世紀はじめには戸数が約390、人口は500人を切ったという。「ジンギする」という島言葉が生きている生活。周辺の海山は「奇跡の海」「究極の楽園」「生物多様性の宝庫」と呼ばれるほど自然に恵まれてきた土地柄である。「田ノ浦の周辺では、他の海域で絶滅したか絶滅の危機に瀕している生物を、いまも見ることができる。」(p64)その地域を埋め立てるというのが原発計画だ。「田ノ浦の湾内には、ずばぬけて豊富な海底の湧き水もある」(p65)
   第3章 陸でたたかう
 四代地区田ノ浦に「団結小屋」の設営、立木トラスト運動、四代地区八幡山の入会地問題と裁判闘争、祝島からの田ノ浦通いの反対行動などを描く。
   第4章 海でたたかう
 共同漁業権を梃子にした活動。漁業権の仕組み変えの画策による祝島はずし。県による海域の環境影響調査範囲の縮小の経緯。幾重もの布石が打たれてくる状況そして中電によるスラップ訴訟。調査開始と埋め立ての始まりの状況。「虹のカヤック隊」誕生経緯などを記す。
   第5章 田ノ浦と祝島沖の2011年2月
 2011年になると、中電が台船を動かし、田ノ浦地区での工事を推しすすめようとする。この台船阻止行動が日常化した実態を記録し、状況をリアルに再現描写する。「安全維持」という建前で、海上保安庁が全船立ちいり検査する行為が一方的なものに見える。行政は権力側・企業側偏重なのか。法の施行という名の下で・・・。誰にとっての「安全」? 135ページ以降の経緯と状況描写は、考える材料になる。この箇所をあなたならどう読むか。
   第6章 東電の原発事故のあと
 福島第一原発爆発事故の後の上関町と周辺市町村の動き、県議会の動向など、そして中電の動きの経緯を知ることができる。

 祝島の約30年に及ぶ現在までの闘いの中で、明確なことが3つある。
 第1は、祝島の人々は原発関連交付金を一切拒絶したこと。「交付金が事実上、地元の同意をカネで”買うもの”であるならば、漁業補償金は、周辺の漁協の同意をカネで”買うもの”といえるだろう。」(p191)
 第2は、反対行動は、非暴力であることに徹したこと。
 第3は、悲しいことだが、反対派はスイシン派と絶縁状態になった。親戚であってもスイシンの家とは付き合わなくなった。心情的にも深い溝ができたのだ。祝島では反対派9割、スイシン1割という。原発計画浮上が、自然の豊かさの中で「ジンギする」伝統的な関わりの深い生活をしてきた島の人々の人間関係を破壊したのだ。

 本土側の上関町については、関連漁業組合の考え方とその動き、町議会での決議事項や対応の側面を主体に本書に登場する。虹のカヤック隊が出てくるが、それに参加した原発計画反対の行動を取った人々の背景情報はあまり出てこない。上関町の人々がいるのかどうかも不明。一般的な上関町の人々の原発計画への対応という側面があまり見えなかった。祝島に視点を置いた本書では当然そうなるのかもしれないが・・・・。

 最後に、印象深い文を幾つか引用しておきたい。本書を手に取ってみたくなるのではないか。
*原発の計画が浮上してからしばらく、町の公共事業は中電や原発の金でやるに等しいと、拒否する声が祝島で強かったそうだ。華美なハコモノをつくる公共事業の話ではない。・・・地道なライフラインのための公共事業である。祝島では、原発問題のために、それが滞った時期があった。  p62
*(付記:船の命綱である刃物の存在が絡んだ全船立ちいり検査において、海上保安官に刃物を預ける、預かれない・・・・での関与拒否の後の文)
 「せっかく(抗議に)来たのに、嫌がらせじゃのう」。そう呟いた信夫さんの言葉が、状況を端的にあらわしていた。  p139
*「申し訳ないですけど、私らが(検査に)いったところで(船に)止まってもろうて、検査をやるあいだは止まってもろうて、検査が終わってから、また抗議しにいってもらう、という段取りになってます」と海上保安官は答えた。 p146
*「祝島の海でなし、誰の海でなし。みんなの海じゃから、守らないかんのよ」 p152
*中電がどれほど祝島の行動を「妨害」と決めつけても、自分たちの行動をみずから定義しなおすことを、祝島側は忘れなかった。  p158
*何も知らなかったGB側(付記:海上保安庁官の乗る機動性のいい高速ゴムボート)が、現場で事情を悟るにしたがって、知らなかったときのようには振る舞えなくなっていったのではないかとも思う。  p168
*「山(林)を伐ったら海岸が壊れる。海草がないと魚は育たん。そんなの常識よ」久男さんが、いつかそう言っていたことを思い出した。 p181
*この株主総会(付記:文脈から2011年6月29日)で中電社長は、上関の人に謝罪すると言ったそうだ。原発計画が29年も地元を分断したことについて、推進している人にも反対している人にも、謝罪するという。「ならば、祝島の人たちが正門前に大勢いるから、いますぐ行って謝罪してくれ」と、株主のひとりがもめたと聞く。けれど、社長は正門前にあらわれなかった。  p188

 未だ、上関原発計画は終わっていない。審査という名目でその終焉は一日延ばしに延ばされているようだ。『いのちの海』の確立は、まだ見ぬ未来に託されている。『いのちの海』をどう守るか。


ご一読ありがとうございます。

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 祝島に関連する情報をネット検索してみた。本書と併せて読み、あるいは見ると一層現実がリアルに見えてくるように感じる。検索した範囲であるが一覧にしておきたい。

上関原子力発電所 :ウィキペディア

祝島の位置(マピオンの地図)

緑のハートでつなげよう PHOTOメッセージキャンペーン[第一弾]
  ハートの形をした島「祝島」

祝島島民の会blog
上関原発を建てさせない祝島島民の会 ホームページ
虹のカヤック隊のブログ
上関原発問題 :「祝島ホームページ」
STOP! 上関原発!

山口県・上関原発・・・あまりに愚かな選択  2009.2.1
原子力とプルサーマル問題       小出裕章氏

【上関原発】海の埋め立て免許失効へ 祝島1146回目のデモ 2012.10.8  :YouTube
祝島が問いかけるもの  アップロード日: 2012/01/08
 :YouTube
祝島「きれいな海を守ろう」上関原発反対デモ1100回 2011.6.20
 :YouTube
祝島から福島へ 原発のゆくえ 2011.5.19  :YouTube
【拡散希望】上関原発 29年の歴史に刻む大強行 2011.2.21~   :YouTube

上関原発 中国電力の問題発言 2010.4.5~6 :YouTube

"原発"に揺れる町~上関原発計画・住民たちの27年~(1)  アップロード日:2010/03/29  :YouTube
"原発"に揺れる町~上関原発計画・住民たちの27年~(2)  アップロード日:2010/03/29   :YouTube

上関原発を巡る裁判、報告会 2012.3.22 :YouTube
上関原発計画を巡る裁判 2012年3月:「スナメリチャンネル」

やめさせなければ終わらぬ上関原発  :「長周新聞」
  神社本庁による神社地売却承認問題
上関原発止めよう!広島ネットワーク  資料・情報コーナー


ミツバチの羽音と地球の回転 映画について  :公式ホームページ
映画「ミツバチの羽音と地球の回転」予告編

原発マネーの幻想~山口・上関町30年目の静寂~ :YouTube

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今までに以下の原発事故関連書籍の読後印象を掲載しています。
読んでいただけると、うれしいです。

『ヤクザと原発 福島第一潜入記』 鈴木智彦 文藝春秋

『官邸から見た原発事故の真実』 田坂広志  光文社新書

原発事故及び被曝に関連した著作の読書印象記掲載一覧 (更新1版)


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